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【小説】#18 怪奇探偵 白澤探偵事務所|死を誘うオルゴール

あらすじ:桜が咲いたというのに流行り病で世間は静まりかえり、白澤探偵事務所でもいくつかの仕事が見合わせになった。事務所で出来る仕事をしていると、突然丸井が現れ、古ぼけたオルゴールを取り出す。丸井が持ってくるからには何かしら怪奇事象が起きるのだろうと思っていたが、不思議と眠気が起き――。
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 桜が咲いたというのに、今年の春は思いのほか静かだ。
 たちの悪い感染症が流行っていて、催しが中止になったり、外出を控えるように求められたりと春を祝うどころではない雰囲気がそこらに漂っているのだ。
 白澤探偵事務所でもいくつか予定を調整しなければならなかった。訪問の日程は改めて取り直すことになり、来客もなるべく断っている。俺たちはどうにでもなるが、依頼人に何かあったらよくないというのがオーナーの方針らしかった。
 幸いだったのは、今年の冬は普段と様子が違うからと早めに雪江さんを訪ねていたことだ。
 冬将軍を送り出したあと、来年も来るという約束を果たしたことを褒められ、一年を過ごしてどうだったかと雑談を楽しみ、たっぷりお茶とおやつをいただいたうえにお土産までいただいて帰ってきたあとから流行が本格化してしまった。予定を早めてよかったとオーナーが言ったのを聞いて、ほっとしたことを覚えている。
 不要不急の外出を自粛するように求める世間の空気はまだ続きそうで、少し気が滅入っている。ただ、こういった世間のあれこれに関係なく事務所を訪れる人もいる。
「白澤くん、野田くん、元気にしてる~!?」
 呼び鈴が鳴るのと同時に玄関のドアが開いて、丸井さんが飛び込んできたので笑ってしまった。丸井さんはいつもと変わらない毛玉だらけのパーカーにくたくたのショルダーバッグを下げ、今日は携帯電話ショップの紙袋を手に持っている。
 丸井さんは、怪奇現象を起こす小物を事務所に持ち込むときは決まってこの紙袋にいれて持ってくる。オーナーと俺は、丸井さんがこの袋を持っているというだけで今日の目的が何となくわかってしまった。
「丸井さん、ご無沙汰してます」
 オーナーは丸井さんを応接ソファーへ促したが、丸井さんは紙袋とショルダーバッグだけを置いてお手洗いへ向かった。次いで、がらがらとけたたましいうがいの音と、ばしゃばしゃと水が流れていく音がする。
「習慣になっているのは良いことだね」
 ぽそりとオーナーが呟くので、また笑ってしまった。そういえば、丸井さんに出す炭酸ジュースの在庫はあっただろうか。おやつも最近買った覚えがない。とりあえず確かめなくてはと給湯室へ向かった。

 あるだけのおやつを乗せた盆と炭酸ジュースのペットボトルを応接テーブルに乗せ、オーナーの隣に座る。丸井さんが持ってきた紙袋はすでにひっくり返されていて、両手に乗るような大きさの古びた木箱がテーブルの中央に鎮座していた。
「これね、オルゴール。ぜんまいがついてないんだけど何でか鳴るんだよね」
 木箱をよく見ると、植物の蔦を模した金の模様や、大小様々な花が咲き乱れている。繊細な彫刻が施された古い品であるらしい。
 丸井さんが木箱の蓋を開けると、ころころとピンを弾く細やかな音色が流れ出す。曲はよくわからない。聞いたことがあるメロディーのような気もするし、全く知らないような気もする。
「オルゴールって大体手回しがついてるでしょ、でもこれにはなくて」
「本当だ。蓋の内側にもないですね……」
 オルゴールの中身を見る。赤いベルベットの布が貼ってあって、オルゴール本体の部分は見えない。どこにもぜんまいを巻く場所がないのに、オルゴールのまろやかな音がゆったりとしたテンポで流れている。
「それで、白澤くんに確認したいことがあって……」
 丸井さんとオーナーが話をしている。二人の会話の後ろでオルゴールのメロディがずっと流れている。退屈というわけでもないのに、何となく頭が重たくなってきた。オルゴールの音色にはリラックス効果があるとかなんとか聞いたことがあるが、ずっと流れていると何となくわかるような気がしてくる。
 ゆっくり瞬きをする。さっきまで眠気なんて全くなかったのに、頭がぼんやりしている。瞼が重い。目を瞑るだけ、と決めて目を瞑る。指先が温かい。眠い。依頼人の前で寝落ちはまずいとか、仕事中にこんなに眠くなったことが今まであったかとか、ぐるぐると思考が巡る。どうにか目を覚まそうと座りなおそうとするも体が動かず、思考も段々ぼんやりと鈍っていって、ぷつりと途切れた。

「野田くん、起きて」
 肩を軽く叩かれ、意識が浮上した。顔を上げる。オーナーは俺が起きたことを確認して、小さく頷いた。
 目を瞑っているだけのはずが本当に眠ってしまっていたのだとようやく気が付いた瞬間に意識が覚醒し、同時に背筋にひやりとした汗が浮く。心臓が急にばくばくと騒ぎだして、自分でも驚いた。
「……、……あっ、え、すいません」
「大丈夫。このオルゴールのせいなんだ、丸井さんを起こしたら説明するから」
 応接ソファーでは、丸井さんがソファーの座面にぴったりと収まって眠っている。一体何が起きたのだろう、意識が途切れる前は丸井さんとオーナーが話しているのを見ていた気がするのだが。時計を見ても、丸井さんが来てから十分も経っていない。
 オーナーは丸井さんの肩を軽く叩いて起こす。丸井さんは大きく欠伸をして、ソファーからむっくり起き上がった。うんと伸びをして、テーブルの上にあるオルゴールをちらりと見る。
「白澤くんはやっぱり平気かあ、持ってきてよかった! このオルゴールね、聞いてると寝ちゃうんだよ。野田くんが寝落ちしたのは見てたんだけど、自分はわかんないもんだね!」
 丸井さんは不思議そうにオルゴールを手に取って眺める。見た目は普通の、どこかレトロなオルゴール付きの小物入れである。ぜんまいを巻いてもいないのに流れ続け、そのメロディーを聞いているうちに眠ってしまう。リラックス効果、というにはいきすぎのように感じた。
「二人が眠ってしまったからこれは変だなと思って少し調べてみたんですが、どうも人間を寝かせて生命力を吸っているみたいですね」
「へえ~っ、蚊みたいな感じ?」
「いえ、どちらかというと夢を食べるバクのような具合で」
 テーブルにオルゴールが戻る。このところ、モノが意思を持つとか、自我を得るとか、そういう仕事が続いたから何となくこのオルゴールもそうなのだろうかと少し警戒してしまう。しゃべりだしたり、勝手に開いたりしないだろうか。いつの間にか蓋が開いていて眠らされている間に、とそこまで考えて、小さく頭を振った。
 オーナーがオルゴールを手繰り寄せ、蓋を固定するように指先で押さえた。オーナーの目は、いつもより僅かに厳しい。
「微睡むくらいならかわいいものですが、一度に二人も寝かせられるほど育っていることを考えるとよくないものが巣食ってますね」
「えっと、つまり……自然発生じゃなくて、こういう風に育った悪霊って感じ?」
 丸井さんはわくわくと好奇心を隠さずオーナーに質問を繰り返す。オーナーが詳しく話せば話すほど、このオルゴールを丸井さんの手元においておくのは危ないような気がする。
 そういえばこれを預けに来たのか、単純に見せに来ただけなのかも聞いていなかった気がする。俺が眠っているうちにそういう話をしたのかもしれないが、このオルゴールの処遇はどうなるのだろうか。
「ははあ、なるほどな。ちょっと寝付けないときにこのオルゴールをつけてると不思議とよく眠れたんだけど……結構ご飯あげちゃった感じ? 僕が育てたー、みたいな?」
「そうですね。たっぷり栄養を取って、立派に育ってしまったようで……」
 丸井さんはオルゴールの表面を撫でながらパパだよと話しかけたり、蓋を開けては閉め、閉めては開け、メロディが僅かに流れる前に蓋を閉じて遊んでいる。
「……ちょっと視てみていいですか?」
「あ、もちろんいいよ! どんな感じか教えて!」
 差し出されたオルゴールを受け取り、目を瞑る。手のひらに乗せたオルゴールに集中していると、箱を取り囲むように太い光がぐるぐると回っているのが視えた。蛇がとぐろを巻いているような、幾重にも連なった紐が絡み合っているような、複雑な光がオルゴールを中心にぐるぐると回っている。
 もしかすると、これがぜんまいの代わりなのかもしれない。この複雑に絡み合った光を解いてばらせばオルゴールに憑いた何かは弱るかもしれないが、絡まる光の数があまりに多すぎる。ほとんど一本の太い光に視えるようなそれは、俺が手を出せるものではないと何となくわかる。
 どうにもできなさそうだということだけを収穫に、目を開けた。丸井さんの好奇心の視線が、少しだけ痛い。
「……なんか、たくさん光が絡まって、ここをぐるぐる回ってます」
「オルゴールと一体化してしまっているようだね……分離させるのは難しいか」
 オーナーが口元に手を当て、ちらと丸井さんを見た。丸井さんは小さく首を傾げ、それから何かを思いついたようにはっと表情を険しくさせる。
「あっ、白澤くん、気にしてるね? 僕は怪奇アイテム収集が好きなのであって、寿命を減らすのは別に趣味じゃないから!」
 というわけでそれの処遇は白澤探偵事務所に任せるね、と言ってにんまりと笑った。
 怪奇事象を引き起こすものを集めるということは、リスクを背負うということでもある。自分の命とアイテム収集という趣味をどこで線引きして楽しむかは人によるが、丸井さんは自分の命を大事にできているようでほっとした。オーナーも同じだったようで、安堵した様子でオルゴールを手元に置いた。
「この場合って処分を依頼したってことになる?」
「このオルゴールを返却する場合は除霊ですが、オルゴールと一体化してしまっているので……処分になりますね。野田くん、私の机からタブレットを取ってきてもらっていいかな?」
 わかりました、と返事をしてソファーから立ち上がる。立ち上がると体がずんと重たく感じた。生命力を吸われる、というのはこういうことなのだろうか。力を持ってしまっている厄介なものとなると、オーナーが厳しい目を向けるのも少しだけわかる。
 この後は絶対にオルゴールの蓋を開けないように気を付けなくてはと決めて、オーナーのタブレットを持って応接テーブルへ戻った。

 丸井さんからの怪奇事象品の処分依頼を受領し、いつも通りにくしゃくしゃの鞄から出てきたコンビニATMの封筒を受け取る。オーナーが必要な分だけを抜いて、残りを丁寧に封筒にしまい直して丸井さんの鞄に戻した。容易に持ち歩かないような金額がこのかばんに入っている、と思うといつも妙に緊張してしまう。
「じゃ、あとはよろしくね! また変なのあったら持ってくるから!」
「はい、いつでもお待ちしてます」
 ひらひらと手を振って、空の紙袋を持った丸井さんは帰っていった。
 ふと、事務所の時計を見る。依頼書類を作りながら雑談と噂話を楽しんでいたら思いの外時間が経っていたようだ。オルゴールは応接テーブルに置いたままになっている。
「オーナー、これどうするんですか?」
「ああ、それはね……これを使って壊してもらっていい? タチが悪いからね」
 オーナーからしても相当悪質なオルゴールであるらしい。手渡された工具箱とブルーシートを見て、今日の仕事はこれを破壊することらしいと理解した。
「あと、これ。耳栓つけてやれば大丈夫だから」
「了解す」
 ブルーシートを床に敷き、オルゴールを中央に据え、オーナーからもらった耳栓をつけた。準備は万端である。工具箱からネイルハンマーを取り出す。手のひらに乗るほどの木箱なら、これで十分壊せるはずだ。
 蓋を明け、金具の部分をネイルで叩く。かすかにころころとした音が聞こえるが、耳栓のおかげでほとんど聞こえない。蓋はあっけなく取れて、木箱の中身がむき出しになる。ネイルの部分をベルベットの内側に叩き込めば、ぱりん、と細やかな音と共に、メロディーが止まった。
 目を瞑る。さっきまでそこにあったはずの光が解けていく。数回ハンマーを叩き込めば、木箱はあっという間に木材と金属片になり、光は視えなくなった。

 木材と金属片を可燃と不燃の袋にまとめ、ブルーシートについた破片を落とし、飛び散ったものと埃を掃除機で吸う。後始末が終わる頃には終業時刻が近づいていた。
「オーナー、終わりました」
「ありがとう。お疲れ様、助かったよ」
 私より野田くんのほうが早そうだから、とオーナーは小さく苦笑した。確かに、こういうのは俺がやるほうが効率がいい気がする。ただ壊すだけなら、腕力があったほうが良いだろう。
「憑いていたものが悪いだけだから、あとはごみの日に出しておいてくれるかな」
「了解っす。……あの、こういう風に壊して処理するのって珍しいんですか?」
 最近、モノ自体に何かがある、というものが多かったから気になった。あの時計は壊さなかったけれど、このオルゴールは壊した。その差は何だろうと思ったのだ。
「珍しくはないけど、私はあまりやらないかな。壊さないですむならその方がいいからね……今回は丸井さんが巻き込まれかけていたし、力もつけていたから壊すことにしたけれど」
「害意があるっていうのがマズい、ですか?」
「そうだね。丸井さんが怪奇事象を起こすものやことを楽しんでいるのだから、私のほうで危ないものは取り除くというだけだよ」
 丸井さんは、怪奇事象を起こすものを収集するのも好きだし、怪奇事象が起きる場所や噂話も好んでいる。趣味を楽しむことを続けて欲しいから、危ないものだけを取り除く、ということだろうか。
 以前、オーナーは人間が好きで、人間の役に立ちたくてお節介を焼いているのだと話してくれたことがある。人間が好きだから、人間に害のある危ないものは遠ざけたい。害意があるなら尚更だろう。丸井さんに何かあったら嫌だな、というのは俺も同じだ。
「……なんか、そういうのあったら俺がやるんで」
「うん。もし次があったらそうしよう」
 やさしいですね、というのはあまりに勝手すぎて、言葉を飲み込んだ。そうしたいからしている、というのも以前に聞いた。俺は、オーナーの手助けができればいいと思う。俺が出来る範囲のことで、オーナーがやりたいことが叶うなら、それが一番良いのではないだろうか。
 ぼんやりそんなことを考えながら、ごみを出すために事務所の外へ出た。びゅうびゅうと強い風が吹いている。春一番だ。いつの間にか日も長くなっていて、夕方でも随分明るい。
 薄明るい空を見上げながら、早く、いつも通りに仕事が出来る日が帰ってくるといいと思う。オーナーと俺で解決できることで助かる人がいるのだと、俺はもう知っている。