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【小説】#6.5 怪奇探偵 白澤探偵事務所|深夜の道案内 | 閑話

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 事務所に帰宅してすぐ、身体が冷えているなら温かいシャワーを浴びたほうが良いと風呂場に押し込まれてしまった。確かに指先の感覚は鈍いしつま先がかゆいような気がする。東京の冬に霜焼けなんてできるとは思わないが、じっくり体を温めてからリビングに戻った。
「野田くん、何飲む?」
「コーヒー飲もうかと」
「ノンカフェインのがあるよ」
 じゃあそれで、と返事をしてソファーに座った。いつも使っているオレンジの湯たんぽが鎮座していて、すでにお湯で満たされている。白澤さんが用意をしてくれたらしい。ニットのカバーをかぶせて膝の上に置いた。風呂上がりには熱いくらいだが、リビングがそこそこ寒いのでちょうどいい。暖房をつけて出ていくべきだった。
「白澤さん、こういう夜中のお仕事ってどれくらいあるんです?」
「あるときはあるし、ないときはない」
 参考にならない答えに、とりあえずなるほどと返事をした。部屋の扉につける鍵を貰ってはいたが、深夜にこういうイレギュラーな仕事が発生するなら、取り付けないほうがいいのかもしれない。別に部屋に入られて困ることもないのだが、プライバシーの保護というか、まあそういうときだけ使えばいいだろう。
 ケトルのお湯が沸く音、ドリップバッグがぴりりと開封される音、目の前のテレビから流れる天気予報――寒波の影響は弱まり、本日は例年より暖かくなる見込みです。――を聞きながら、天井を見上げている。日中温かくなるなら湯たんぽはいらないかもしれない。コーヒーのいい匂いがする。
「もう眠いかな」
「や、飲んだら歯磨いて寝ます」
「私もそうしよう」
 テーブルにマグが二つ並ぶ。隣に白澤さんが座って、白い湯気が立つそれに手を伸ばした。続けて手を伸ばして、湯気の立つそれに口をつける。ノンカフェインのコーヒーっていつものコーヒーとそんなに味が変わらない気がするのだけど、本当にカフェインが入っていないのだろうか。全然わからない。
「野田くん、今日の夜なんだけど」
「……またお仕事ですか……?」
「お仕事じゃないよ、お願いがあって」
 マグを傾けながらくすくすと笑う白澤さんは俺をからかっている風で、でも別に不愉快ではないのでそのままお願いとやらを聞くことにする。
「夕ご飯、お鍋食べたいなと思って……」
「お鍋」
「すごく寒かったから、食べたいもののことを考えてたんだ」
 あの甘いような苦いような匂いがする煙草を咥えて、境界を補修しながら考えていたことが食べたいもののこと。寒さを凌ぐやり方がなんというか、とても根性論だ。ブランケットに包まって寝落ちしかけた俺から言えることは何もないが。
「いいですよ、お鍋。作りましょう」
 うん、冷蔵庫にある野菜とかお肉とか全部入れてしまえるし、そういえば冷凍庫にうどんが一玉残っていて使ってしまいたかったし、ちょうどいい。鍋キューブもあることだし。
「……楽しみだなあ」
 隣で目を細めて笑う白澤さんを見て、起きたら冷蔵庫の中身を確かめようと決めた。なんというか、最近、思いのほかこのひとが量を食べられる人だと気が付いたのだ。食べたいと言われておなかいっぱいまで食べさせてあげられないのはほんの少し気の毒だし、それに、緊急の対応で疲れている上司を労いたいという気持ち分くらい、具を増やしてもいいはずだ。