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【小説】#19 怪奇探偵 白澤探偵事務所|境界を越える扉

あらすじ:新緑の眩しい季節、陽気に誘われ外出したくもなるが昨今の事情から外出を控える日々が続いている。白澤探偵事務所は休業となり、事務所内の掃除や整頓も終えてしまった野田はやることもなくぼんやり天井を見上げていたが、白澤に手伝ってほしいことがあると声をかけられ――。

◇怪奇探偵 白澤探偵事務所シリーズ1話はこちら◇

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 新緑の眩しい季節である。
 例年であれば満開の桜から若葉の緑に変わり、春の陽気に誘われた人々の行楽シーズンを迎える穏やかな天気の日が続いている。日も長くなり、暑くもなく寒くもないというまさに出かけるのに最適な季節ではあるのだが、生憎自由に外に出られる状況ではなかった。
 世間を騒がせている感染症が落ち着くまでの間、白澤探偵事務所では定例の訪問を見合わせ、新規の依頼については急を要するものでなければ日を改めるということになった。いわゆる休業というものである。オーナーからは、休業になってもいつも通り給与が出るから心配しないように言われている。同時に、外出をなるべく控えるようにも言われていた。
 外出を控えるとなると、休業の間も事務所にいることになる。せっかくだしこの機会に事務所の掃除でもしておこうと紙類の整理や倉庫の整頓をしていたが、それもついに終わってしまった。
 やることがなくなってしまった、とぼんやりとリビングのソファーに背を預け、天井を見上げている。いや、やることが全くないわけではない。あることはあるのだが、緊急性がないものばかりなのだ。やる理由がないのならやらなくてもいいのでは、と怠惰な考えが頭を支配していて、起きているのが億劫になっている。
「野田くん、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど、今いいかな?」
 視界が天井が一転、白澤さんが覗き込んできたので驚いてしまった。ソファーに沈み込んでいた状態から座りなおして振り向けば、白澤さんはシャツにデニムといつもより随分ラフな恰好だった。
「お手伝いですか?」
「倉庫にある怪異物をあちら側に持って帰って処分と売買と……まあ色々しようと思っていてね。野田くんが手伝ってくれると助かるのだけど、どうかな」
 もう色々やりつくしてしまったようだし、といって白澤さんはくすりと笑う。今月は掃除と倉庫の整理をした勢いで、台所と風呂場もすっかり磨き上げてしまったところがある。家で出来ることはやりつくした、というのは白澤さんの目から見ても明らかであるようだ。
「あちら側って……境界の向こう側ってことですよね? 俺がいってもいいものなんですか?」
 白澤探偵事務所は、怪奇事象も取り扱う事務所である。オーナーである白澤さんは、人間の姿かたちをしているけれどその実人間ではない。ただ人間が好きだから、という理由で怪奇事象に困る人間に手助けをしてくれているのだと以前聞いた。同時に、境界の向こう側には、人ではないものたちが居るのだというのも聞いたことがある。
「問題ないよ。行き来する方法を知っている時点で、境界の扱いをわかっている人間がほとんどだからね」
 普通の人間はそもそも境界の超え方を知らないんだ、と付け足して白澤さんはにっこりと笑った。つまるところ、俺は扱いのわかっている人間として白澤さんに招待されているのだろう。
「向こう側といっても、向こうにある私の家にものを運ぶだけだからね。危ない場所にいくわけではないから、そこも安心してくれていいよ」
 境界の向こう側に興味がないわけではなかった。向こう側から来た依頼人――百乃さんの存在もあるし、今まで触れてきた怪異物の内いくらかは境界の向こう側から来たもので、一体どういう場所なのか知りたい気持ちもあった。
「わかりました。俺ができることなら、やりますよ」
「ありがとう。動きやすい服装に着替えて倉庫に来てくれるかな?」
 わかりました、と返事をしてソファーから立ち上がる。倉庫にある怪異物は、依頼人から回収を依頼されたものや、怪異の原因として保管しているものが大小様々ある。それを運ぶとなると中々骨が折れそうだが、時間も体力も有り余っている。とにかくまずは動きやすいように、というのを考えながら、自室に向かった。

 着替えて倉庫へ向かうと、白澤さんは倉庫の壁に符を貼り付けていた。天井近くに二枚、足元に二枚あり、四枚を繋げると大きな四角を描いている。俺が両手を広げたくらいの幅があり、結構大きい。
「白澤さん、それ何ですか?」
「向こう側にいく扉を作っているところだよ」
 もうしばらくかかるから待っているように言われ、白澤さんが扉を用意するのを眺めていることにした。四角の内側、中央あたりに符が二枚増えて、六枚が壁に貼り付けられている。外側の四枚が扉の大きさなら、内側の二枚はドアノブのようなものだろうか。
 まさか倉庫の壁に扉を作るとは思わなかった。幅を通らないようなものはないだろうか。大きな荷物はあまりなかったと思うのだが、と倉庫の中をぐるりと見渡してふと思い出したことがある。
 以前、境界のあちら側から持ち込んだ品が、こちら側では効果を変えてしまうということがあった。百乃さんと日菜子さんの、青い珊瑚のかんざしなんかがそうだ。もしかして、ここにある怪異物たちも、あちら側に運ぶと効果が変わってしまうのだろうか。
「あの、白澤さん。質問いいですか?」
「構わないよ」
「怪異物ってこっちとあっちで効果が違うのがあったと思うんですけど、ここにあるもので気を付けないといけないものってあります?」
 白澤さんは手を止め、振り返って俺を見るとにっこり笑った。
「良いところに気が付いたね。今倉庫にあるものは全て私が目を通しているから、あちら側に持ち込んでも野田くんに加害を及ぼすものは存在しないよ。安全でなければ君を誘えないしね」
 白澤さんであれば最初から危険がないように気を付けてくれているだろうことはわかっていたが、取扱いに気を付けるものがないと言われると安心である。念のための、保険のような質問をしてしまった。
「準備ができたよ。最初は少し風が出るから、少し離れていて」
 扉の準備ができたらしい。白澤さんが符のひとつひとつに触れながら、口の中で短く何かをつぶやく。聞き取れないからわからないが、扉を呼び出すための言葉なのだろう。唱え終わるると同時に、ごとん、と足元が揺れた。地震かと一瞬焦ったが、揺れと同時に壁の内側から扉が浮き出てきたのが見えた。
 向こう側に繋がっている扉ならどこか重々しい雰囲気のある扉が出てくるのではないかと思っていたのだが、両面開きの扉はつるりとしていた。木目がうっすらと見える程度だ。扉の中央には鉄製の取っ手がついていて、白澤さんがそれを引くと、びゅう、と倉庫の中に強い風が吹いた。
「うん、繋がった。とりあえず、向こうの家を一度見てみようか。ここにあるものをどこに置くかも相談したいからね」
「……わかりました」
 割合、あっさりと境界のあちらとこちらは繋がるものらしい。白澤さんが扉の中に入っていくのに続いて、俺も向こう側に足を踏み入れた。

 扉の向こう側――あちら側にあるという白澤さんの家の中は、大小様々なものが雑然と並べられていた。何となく見覚えがあるような気がするのは、白澤探偵事務所に勤め始めてすぐの三階倉庫の様子とよく似ているからかもしれない。
「ここにあるものは全部怪異物なんですか?」
「そうだね。昔は事務所の一階もこんな感じだったんだけど、丸井さんが頻繁に来るようになってからはとりあえずこっちに押し込んでいたというか……」
 丸井さん――頻繁に事務所に訪れる依頼人は、怪奇事象や怪異物をとても愛好している。その場にあったら即座に手に取ってどういった怪奇事象が起きるのか、怪異がかたちになったものかを調べかねないところがある。何かが起きる前にとにかくここに押し込んだ、ということだろう。
 部屋の広さは事務所の倉庫とほとんど変わらないように見える。違う部分があるとするなら、窓の位置や扉のある場所が事務所と反対にあるところだろうか。鏡合わせになっている、という感じだ。
 とりあえず、部屋の大きさはわかった。物がすでにたくさんあるということも見ればわかる。問題は、すでにあるものが多すぎて、今倉庫にあるものを置く場所がないということだろう。
「白澤さんがよければなんですけど、とりあえずここにあるものをちょっと片付けさせてもらっていいですか? 倉庫にあるものを置けるように場所作るんで……」
「すごく助かるよ。私はこういう、場所を作るというのがあまり得意じゃなくて……今のうちに倉庫のものを運びやすくしておくから、よろしくね」
 白澤さんはほっとした様子で、扉の向こうにある事務所の倉庫に戻る。扉は開けたままだから、白澤さんが怪異物を取り出しては何かをメモした紙を貼り付けていくのが見える。扉が開いたままだと、ものすごく広い部屋のように見えるから不思議だ。
 部屋に向き直る。雑然とした様子の部屋は、大きな箱の上に小物が積まれ、その上に適当に布が置かれたりと奇跡的なバランスを保っているものが多い。逆に言えば、大きなものと小さなものをまとめてしまえば、だいぶスペースが作れる気がする。
 こういうのはとにかく手を動かすに限る。おおよその配置を決めてから、整頓を始めることにした。

 黙々と手を動かしているうち、だいぶ空間がすっきりしてきた。小物が積まれた箱の中身が空っぽであったりして、箱自体が怪異物でないことを白澤さんに確認してから中に色々詰め込めんだあたりから随分楽になった。
 白澤さんも倉庫にある分の仕分けが終わったらしく、空いた空間に少しずつ物を移動し始めている。あらかた片付けたところで白澤さんの手伝いに向かい、倉庫にあったものをいくらか運んだ。
 倉庫にあったものは、それぞれ処分、売買、保管、と書かれた紙が貼りつけられていた。この後、あちら側で行う目的だろう。処分や保管はわかるが、売買となると誰がこの怪異物を買い取るのか、少し興味がある。
「野田くん、これ運ぶの手伝ってくれるかな」
「はい、今行きます」
 呼ばれて倉庫に向かえば、倉庫の奥で埃をかぶっていた大型の置時計がある。見るからに繊細な時計で、埃を掃った拍子に壊してしまいそうな気がして、今まで遠巻きにしていたものだ。時計には売買と書かれた紙が貼りつけられている。
「じゃあ持ち上げるよ、いい?」
「大丈夫っす」
 せえの、と声に合わせて時計を持ち上げる。振り子が内側の壁にぶつかり、こつんと小さく音を立てた。白澤さんに先導してもらいながら、ゆっくりと向こう側へ持っていく。
 ふと、先日の依頼を思い出していた。別荘から運び出した掛け時計が手元にあるのがしっくりこないから、別荘に掛け時計を戻してほしいという依頼だった。
 掛け時計を別荘に戻すことは難しいことではなかった。印象に残っているのは、そのあとだ。
 白昼夢を見た。ただ、白昼夢というには自分の身近すぎて、けれど記憶には一切残っていない光景を見た。あれが夢だったのか、俺が忘れてしまっただけの出来事なのか、それが気になっている。
「あの、白澤さん……ちょっと聞きたいんですけど」
「何かな」
「ここにある道具で、過去が見られるようなものとか……ないですか?」
 白澤さんが、ゆっくり置時計を降ろす。俺も同じようにゆっくり降ろして、運搬が完了した。白澤さんは、俺の目をじっと見つめている。何でその質問をしたのか言っていないことに気が付いて、掛け時計を戻す依頼の時に見た夢が気になっていることを話した。
「なるほど、そういうことか。探せばあるかもしれないけれど、私が個人的に持っている道具にもないし、倉庫にもそういう種類のものはないね……」
「そっすか……あ、ちょっと気になって聞いてみただけなんです。すいません」
「遠見が出来る人を探す方がいいかもしれないな。今どのあたりにいるかわからないから、知人に連絡を取ってみるよ」
 過去のものを見ることが出来る人を遠見と言うんだよ、と言って白澤さんはケータイを耳に当てている。すでに誰かに連絡を取ろうとしているらしい。ちょっとした興味で聞いてみたが、まさか本当に心当たりがあると思わなくて、少し慌ててしまった。
「お節介かもしれないけど、野田くんが気になるなら解決しておきたいからね」
 連絡が取れたとしても実際に会えるかどうかは別の話だしと言いながら、白澤さんは階下に降りていく。階段の下から微かに話し声が聞こえるような気はするが、内容まではわからない。
 気を使ってもらって申し訳ないような気もするし、これで気になっていたことが解決するかもしれないという安堵もある。自分の頬に触れる。ざらりとした、傷跡の感触がある。
 事故でついた傷だと聞かされていた。どういう事故か、両親が話したがらないから知りようがなかった。もし、事故ではなかったのなら何があったのだろう。その記憶は、どこへ行ってしまったのだろう。疑問は多々あったが、考えても解決するわけではないことは十分わかっていた。
「野田くん、休憩しよう。事務所と同じものがあるから、降りておいで」
「あ、わかりました」
 通話が済んだらしい白澤さんに呼ばれ、二階に降りる。
 今すぐわかるものでもない。いずれわかるというのもはっきりしていないが、一人で悩んだままでいなくてもいいのはだいぶ気持ちが楽になる。解決のために白澤さんが助力してくれるというのが、頼もしかった。