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【小説】#7.5 怪奇探偵 白澤探偵事務所|春を呼ぶはなし|閑話
※本編はこちら
依頼人の家を後にし、車でしばらく走る。運転免許がない俺はいつも助手席だ。うねる山道はあまり風景も変わらず、ぼんやりしているだけで眠気が来る。さすがに、上司に運転を任せて一人でぐっすり眠るのはどうだろうかと考え、口を開いた。
「お仕事、早く終わりましたね」
「こんなに早く終わったのは初めてだよ」
オーナーの声は心なしか弾んでいるように聞こえる。毎年ある仕事だからいつもこうなのだろうと思っていたのだがどうやら違うらしい。
「いつもはあの人がいる場所がわからないから、半日くらい探し歩くんだ」
「ああ、それで最初に視たんすね」
「はじめての贈り物なんだって」
思い入れがある品というのはつながりがあるものをよく視えるようにしてくれるということらしいのだが、いまいちよくわかっていない。ただ、自分の目が役に立ったらしいことはわかった。役に立ったのならよかった、と少しほっとする。
「それで、今度はどこに向かってるんですか?」
山道の風景はあまり変わらないとはいえ、来た時と違う道を通っていることぐらいはわかる。白澤さんは楽しげにハンドルを指先で叩いて、寄り道だと言った。
「ねぎそばが食べたいなと思ってね」
「……ねぎたっぷりのそば?」
「ねぎで食べるそばだよ」
全く未知のものが出てきた。思わず手元のケータイに打ち込み調べれば、この近くに箸の代わりにねぎを使って食べるそばというものがあるらしい。食べづらいのでは、と思ったが黙っておく。
「野田くん食べたことなさそうだからいいかなって」
「ご馳走になります」
確かに、俺自身では選ばないものだろうから体験させてもらうという意味ではいいのかもしれない。奢りならいいか、くらいで済ませておこう。
道路状況はよく、他の車も滅多にいない。小さな音量でラジオが流れている以外は静かで、突然沈黙が湧いたような感覚を覚える。気まずいというほどではないけれど、不意に会話が途切れる瞬間は何となく落ち着かない。
「雪江さんとお話できた?」
沈黙を破ったのは、白澤さんのほうが先だった。
「はい、なんか……たくさん褒められました」
探偵助手として役に立った場面はまだ多くないが、どんな話も楽しんでもらえてよかった。名前も気に入られたようで、ずっとひろみさんと呼ばれていたのでまだむずむずしている。
そういえば、と疑問が浮かんだ。
「あの、気になったんですけど」
「何かな」
「白澤さん、お名前なんていうんですか?」
オーナーはいつも白澤ですとしか名乗らないし、依頼人に名前を呼ばれるところを見たことがない。事務所宛てに届く荷物は事務所の名前が宛名に書かれていて、どこにもオーナーの名前がないのだ。
「前に名刺渡したのに、忘れちゃった?」
「……もらいましたっけ……?」
半年も経っていないのに、随分昔のような気がする。名刺。貰うとしたら初対面の時だ。変なコインのときに、そういえば、貰ったような気がする。ろくに見もせずにポケットに押し込んだのか、それともテーブルにおいてそのまま置いて帰ったのか、記憶がない。当然、名前も覚えているわけがない。真剣に考えて頭を抱える俺を見て、運転席の白澤さんがくすくすと笑った。
「ごめん、ちょっと意地悪言った。京介だよ、京都の京に介助の介で京介って名前」
字面を頭で思い浮かべ、苗字とくっつける。白澤京介。覚えていなかったのに、言われてみるとすごくしっくりくる名前だ。なんというか、らしい、という意味で。
「いい名前ですね、あと何ていうか……似合います」
「ありがとう」
白澤さんはいつものようににっこりと微笑んでいる。いい名前ですね、なんて人に言う日が来るとは思わなかった。口に出してみて、何となく落ち着かなくてむずむずしている。本心から人を褒めるのは少し恥ずかしい。そういうことが気軽にできるようになれば、オーナーや雪江さんのように穏やかでいられるのかな、とも思う。
せめて、食べ物くらいは気兼ねなく褒められるようになりたい。段々短くなるねぎに苦戦しながら何とか食べたねぎそばのいいところを白澤さんに伝えようとしたところ、ねぎがしゃきしゃきしていてそばと一緒に食べると美味い、という当たり前のことしか言えなかった。
褒める、というともっと大げさな言葉が必要な気がするのだが、白澤さんが美味しかったのならよかったと満足げだったから、これで十分なのかもしれない。