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【小説】#23 怪奇探偵 白澤探偵事務所|隠蔽された記憶【後編】

あらすじ:過去の事象を見られる《遠見の人》の家を訪ねた白澤と野田。早速野田の過去を見たところ、全く覚えのない男の姿があった。隠蔽されていた記憶に動揺する野田に、白澤は男のことを知っていると言い――。

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 軒先の風鈴が小さく揺れて、目を覚ました。
 見慣れない天井に、思わず二度瞬きをする。起き上がってようやく、遠見が終わって少し休ませてもらったのだと思い出した。
 自分の過去に起きたことが知りたくて、過去を見ることができるという遠見の人に俺の過去を見せてもらった。夏の昼下がり、一人で古い神社の軒先に座っている幼い頃の俺に触れたのは見知らぬ男の手だった。そこでようやく、事故が原因だと言われていた傷跡がずっと昔に見知らぬ男につけられたものだと知った。
 ケータイを見る。一時間ほど経っただろうか。夢も見ないほどぐっすり寝ていた。過去を見た後というのは酷く疲れるものらしい。すっきりと目は覚めたが、身体にだるさが残っている。見たことを思い出すと気分がもやもやと曇ってしまうから、小さく頭を振って考えるのをやめた。
「おや、起きたね。おはよう」
「おはようございます……すいません、俺、だいぶ寝てましたね」
 そういえば、白澤さんは、あの男のことを知っているかもしれないと言った。
 白澤さんは、あの男について何を知っているのだろう。俺につけられた傷の意味もわかるのだろうか。知りたいけれど、どう切り出していいかわからない。何か言おうとして口を開いて、思いつかずに口を閉じた。
「野田くん、まだ疲れているだろう? 今日、泊まってから帰ろうか」
「え、泊まるって……どこにですか?」
「遠見さんにおすすめの旅館を聞いてね。連絡しておいたんだ」
 天然温泉付きの部屋らしいよ、と言って白澤さんは柔らかく微笑む。ついでに車のレンタル延長をしておいたとか、明日は休みだから仕事のことは気にしなくていいとか、色々矢継ぎ早に聞かされた。どうやら俺が横になっている間に、色々なことの手配を済ませてくれていたらしい。
 夏に温泉、というのはあまり経験のないことだ。そもそも、大人数と同じ風呂に入ると妙に視線を集めるのが嫌で、温泉に行ったこともあまりない。温泉付きの部屋、というのはけっこういい部屋なのではないだろうか。
 そんなにしてもらっていいのだろうか、とまず思った。ありがとうございますと言えばいいのか、すいませんと言えばいいのかわからなくなって、何も言えなかった。
「ゆっくり話もしたいからね」
 白澤さんの金色の目が、じっと俺を見た。ここではなく、別の場所で話そうということらしい。そうですね、と一度頷いてゆっくり立ち上がった。うんと体を伸ばす。日はまだ高くて、外では蝉が鳴いていた。

 遠見さんに御礼を言ってから家を出て、再び車に乗り込んだ。車は東京に戻る道ではなく、山の方へ向かっている。
 田園風景が左右に広がる道路を行く。すれ違う車はほとんどなく、俺たち以外の車も見かけない。貸切にしたみたいだな、と思いながらぼんやり窓の外を眺めていた。
 車内はラジオが小さくかかり、時折ナビが声を発するくらいで、やけに静かだった。何を話していいかわからなかったし、何もいうべきではないような気もした。
 宿に着いたら、白澤さんから話してくれるだろう。それはわかっていたけれど、今すぐ聞いてしまいたい気持ちが勝った。どう言おうか迷って、結局そのまま口に出すのがいいと腹を決める。
「あの、白澤さん……俺に傷をつけた男のこと、聞いてもいいですか?」
 白澤さんはハンドルを握りながら、うん、と言った。ほっと息を吐く。聞いてはいけないかもしれないと思っていた少し前の自分に、そんなことはなかったと言ってやりたくなった。
「どこから話していいか考えていたんだ。ずっと黙ったままで、すまなかったね」
「いや、俺もどう聞いていいかわからなかったんで……」
 実際、どう聞いていいのかはわからない。あの男は一体誰で、何の目的があってこんなことをしたのか。俺でなければいけなかったのか。この傷はなんなのか。疑問だけが浮かんでくる。一気に全部聞いてしまいたい衝動を堪えて、白澤さんの言葉を待っている。
「あれは随分昔に封印されていた男なんだ」
 ふういん、と思わずそのまま言葉を繰り返せば、それで合っているとばかりに白澤さんが頷いた。
「向こう側がそういう風に取り決めたものだから私は詳しくは知らないのだけど……」
 曰く、情報の閲覧が制限されているらしい。制限が掛かっている時点で、なんとなく嫌な感じがする。そんなに悪いことをしたのか、それともそれを知っている人物が多いとまずいのか、俺にはわからない。白澤さんにもわからないというのだから、
「……野田くんにはあまり向こう側に関わらせないつもりだったんだけど、今後はそうもいかないな。やりとりも増えてくるだろうし、これからは向こう側のことを幻永界(ゲンエイカイ)と呼ぶね」
 耳慣れない言葉に、白澤さんに言われた言葉を頭の中で繰り返す。幻影という字を宛てるなら、まぼろしの世界になる。音だけでは何となくイメージがつかなくて、どういう字で書くのか聞いた。
「まぼろしと、永遠の永だよ」
 頭の中で、二つの漢字を並べてみる。幻と永遠、その世界。幻影ではなく、永遠に幻のような場所なのかもしれない。
 改めて、こことは全く違う場所なのだと理解した。向こう側――幻永界にある白澤さんの家に行ったときには何も感じなかったが、訪れた後だからこそ違う場所なのだと意識できている気もする。
「話を戻そう。封印が破られれば幻永界も気が付くけれど、記憶の隠蔽をしたように封印が破られたことも隠蔽されていたようだ」
 封印にまつわることは情報を最低限に伏せているらしく、幻永界の一部にしか詳細な情報がない。一部しか知らないということは、そこさえ記憶の隠蔽ができてしまえば封印が破られたということは誰も知ることができないとも言える。
「何の目的でこんなことしてるんすか?」
「それは、わからない。向こうにも知らせたから、何かわかったら教えてくれると思うけど……」
 白澤さんにもわからないことがあるのだな、と思うのと同時に、一気に身体の力が抜けた。
 過去を見れば、何が起きたのか全てわかるんじゃないかと思っていた。そうではないのだ。何もわからなくて当然だと、ようやく気が付いた。
 椅子に背を預け、ゆっくり息を吐く。力みすぎていたようで、少し楽になった。幻永界に問い合わせていると白澤さんが言うからには、今は情報を待っているところなのだろう。
 ナビが左方向を示す。大きな道路を外れ、山道を通っていくらしい。一車線ずつの細い道路が山肌に沿ってずっと先まで続いている。道が細くなると、一気に山肌が近くなる。燃えるような緑を間近に見ると、いきいきとしすぎて少し怖くも感じた。同時に、季節が変わればこのあたりは紅葉がきれいなんだろうなとも思う。
「……もしかしたら、の話をするね」
 白澤さんはぽそりと囁くように言った。こういう白澤さんは今まで見たことがないかもしれない。俺はちらと運転席の白澤さんを見た。
「その傷跡があるから、色々なものが視えるようになったのかもしれない。傷跡がよくないことを引き寄せていた可能性もある」
 いつもより漠然とした物言いに、俺も小さく相槌を打つに留めた。もしかしたら、そういうことがあるかもしれないという話だ。
 傷をつける理由はわからないが、傷をつけたからには俺の体には何かが起きたのだろう。傷跡が残っている以上、変化はもうあったとも考えられる。視えるようになった、というのも変化の一つなのかもしれない。
 はっきり視えるようになったのは白澤探偵事務所に入ってからだが、視えるからこそよくないことに巻き込まれやすかったのかもしれないと以前白澤さんに言われたこともある。
 だが、気になることが一つある。
「……でも、白澤さんと居るようになってから、変なのと遭遇するのは減りましたよ」
 白澤探偵事務所の助手になってから、そういう手合いと遭遇することは殆どなくなった。
 今までの労働と言えば、単発の仕事ではおおよそトラブルが起きるかきつい視線がつきものでろくなことがなかった。初対面というシチュエーションが悪いのかもしれないとも思ったが、白澤探偵事務所に訪れる依頼人と会うときも初対面である。
 人と会うことは同じなのに、何故だかわからないがここに来てからは対人のトラブルに遭うことはほぼなくなっていた。
「ああ、それは私と居るからだと思う。私はよくないことをある程度遠ざけられるから、野田くんを守れているのかもしれないね」
「どういう感じに遠ざけるんです?」
「最もひどい結果にならないようにする程度に」
 いわゆる厄除けみたいなものだよ、と白澤さんは口元だけで笑った。そういえば、白澤さんはお守りの取り扱いにも長けていた。なるほど、と手首についた守り石を見る。石は貰い物だけれど、それにお守りの効果をつけてくれたのは白澤さんだった。
「うん、そうか……トラブルが減って、それで視える力が強くなったのかもしれないな」
「あー、視界を遮るものが減ったから、みたいな……?」
 そんな感じで視る力が強くなるものだろうか。確かに、事務所に来たばかりの頃はぼんやり明るく見える程度だったが、今ははっきりと光が形になって見えることもある。
 道は随分細くなり、山の中を走っていると言っても良いほど周囲の緑が欝蒼と繁っている。光はちらちらと差し込む程度で、眩しいというよりは光が透けた緑が綺麗に見えた。
 ふと、ここで目を瞑ったら何か視えるだろうか、と思った。こういうところにも何かいるのだろうかと思ったのもあるし、それが視えるようになったのだとしたら、明確に視えるようになったと言える気がしたのだ。
 目を瞑る。車窓に流れていく景色の中に、確かに薄ぼんやりとした光が視える。視えた、と思ったらすぐに通り過ぎるから何が光っているのかまではわからない。けれど、小さな弱い光から、大きく眩しい光まで区別がつくようになった気がする。
「野田くん、トンネルの先に滝があるらしいよ」
 へえ、と目を開けた瞬間、視界の端に白いものが過った。車はトンネルの中に入り、橙のランプが通り過ぎて行くばかりだ。振り返ってみてもトンネルの中は暗く、よく見えない。明るい場所から暗い場所に入ったからか、目を瞑っても光はもう見えなかった。
「あんまりたくさん見ようとしない方がいいね」
「普段はやらない方がいいですか?」
 小石が跳ねて、車に当たる音がした。白澤さんはミラーを一瞬見て、それから小さく首を捻る。後続車は居ないが、何か気になることでもあったのだろうか。俺も同じように覗いてみるが、橙のランプが続いているばかりだった。
「見るということは、そこに居ることを認めるということだからね。怖がると寄ってくるとかいうだろう?」
 見ようとしなければやり過ごせる場面もある、ということだろうか。少し難しい。仕事以外で視ることもあまりないだろうし、何となくでその辺りを視るのをやめた方がいいんだなということはわかった。
「うん、まあ後で車を見ればわかるよ」
「……そうですか?」
 よくわからないまま返事をするのと同時に、トンネルを抜けた。すぐに轟轟と水の流れる音が聞こえる。ガードレールの外側を見れば、太い川が流れていた。滝は見えなかったが、川は太陽を反射してきらきらと眩しく光っていた。

 二車線になったな、と思ったらすぐにようこそ、と書かれたアーチが見える。日に焼け、薄くなったインクは読みづらく、すぐに小さな街が見えてきた。
 街中は旅館やホテルが大きく目立つ。栄えた街並みというより、一世を風靡した趣きのある雰囲気が漂っている。長く閉じられたままの店先にあるガラスは曇り、錆びたベンチがバス停に添えられている。バスは一日に三本ほどらしい。
 どこに泊るのだろうとぼんやり外を眺めているうち、山肌にほとんど触れるようなところに建っている旅館の前でナビが案内を終了し、白澤さんが車を止めた。高そう、というのが素直な感想である。財布も何も持たずに来たから、何も言わずにおいた。
「車を置いてくるから、降りてそこで待っていてくれる?」
「わかりました」
 先に車を降りる。そういえば、車を見ればわかると白澤さんに言われていたのだった。思い出して振り返れば、助手席のドアの下側にべっとりと手形がついていた。ひとつ、ふたつではなく数えきれないそれに、ぞっと背筋が冷える。
 レンタカーであるから綺麗な状態だったし、車を止めていたのは遠見さんの家に居た間だけだ。その間につけられたとは考えられず、思わず車の中に戻っていた。白澤さんは車内に戻ってきた俺を見て、言ったでしょうとばかりに微かに笑った。そのまま駐車場に向けてゆっくり車を走らせる。
「よくある話だろう? トンネルを走っている最中に車の窓を叩かれるとか、霊魂が車の前を過るとか……視ることでその事象を寄せてしまうこともある、というのはこういうことなんだ」
「じゃあ、あれってトンネルの中で……?」
「うん。でも、こういう手合いは私の方で対処できるから問題ないんだ。これからも何か視えたら教えてね」
 どうにかするのは私の仕事だから、と言って白澤さんは柔く笑った。
 がらがらの駐車場に車を止め、白澤さんがすぐに車を降りた。俺も追って降りて、外から様子を見る。白澤さんは車全体をぐるりと見て、車体の下側にいくつか護符のようなものを張った。事後処理、という感じだった。
「うん、もういいよ。行こう」
 白澤さんに迷惑じゃないだろうか、と一瞬考える。俺は視えるだけで何かできるわけじゃない。考えてから、でもそれを求められてここにいるんだとも思った。それから、まだ何もわかっていないのに不安に苛まれていた自分のことを思い出し、少し笑ってしまった。過去を見ればすべてがわかるわけではないのに、焦りすぎていた。
「風呂付きの部屋って、どんなですかね」
「天然温泉で露天風呂だそうだよ」
 まずは、ゆっくり休んだほうがいい。まだ何もわからないうえ情報もなく、俺が一人で悩んで何かに気付くはずもない。
 何より、白澤さんがいるから心強くもある。頼れる人がいるというだけで随分気持ちが楽になるのだと、もう何度も思っている気がする。感謝だけでは足りない気がして、湯上りに肩でも揉もうかなと考えながらゆっくりと旅館へ向かって歩いた。

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