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【小説】#26 怪奇探偵 白澤探偵事務所|踊り出す靴

あらすじ:幻永界に行くという白澤に誘われ外出する野田。白澤はエチゴの開いた新春セールで新しい靴を購入しており、それが自宅に届いたのだと言う。早速靴に足を通す白澤だが、足が勝手に踊り出し――。

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 荷詰めが終わった頃には薄っすら汗をかいていた。
 丸井さんから送られてきたパソコンの精査が終わった。返送するために梱包をしていただけなのだが、少し暑く感じる。梱包材でしっかりクッションを作ってやってとしばらく作業をしていただけなのにと不思議に思ったが、春の陽気が近づきつつあるのだと気付いて納得がいった。
 近頃は暖房を付けずに過ごす日もあるし、桜の開花予想の話も聞くようになった。寒い間は冬を長く感じるが、終わりかけてみるとこんなものかと思うから不思議だ。
 そろそろ冬のものを片付ける時期なのかもしれない。休日のうちに諸々の片付けをやってしまおうかと立ち上がったとき、白澤さんに声をかけられた。
「野田くん、今日幻永界に行くんだけど一緒にどうかな」
「どこかお出かけするんですか?」
「この間のエチゴさんのセールで靴を仕立てたんだ。向こうの家に届けてくれたと連絡があったから早速取りにいこうかなと思っているんだけど」
 幻永界に行くなら、ついでに倉庫に置いてあるエチゴさんに処分をお願いしたいものも運んでしまいたい気がする。昨今の時勢を鑑みて鑑定物の発送を多く請け始めたら、倉庫があっという間に一杯になってしまったのだ。鑑定の結果を伝えると処分はこちらに任せるという人が多く、倉庫は普段より荷物が煩雑としている。
「あの、あっちにいくならついでに倉庫の中身も移しちゃいませんか?」
「……それもそうだね。じゃあ私は入り口を作るから、野田くんは支度が出来たらおいで」
 白澤さんはすでに支度を済ませていたらしく、先に倉庫へ上がった。
 俺も了解の返事をしてパーカーの袖を捲る。いっそ半袖のシャツでも着ようか迷ったがそれはまだやめておいた。荷物を運ぶための滑り止め付きの軍手と、後は汗を拭くためのタオルと、他になにが必要だろうか。とりあえず支度のために事務所の階段を上がった。

 幻永界にある白澤さんの家と倉庫を繋げ、二人がかりで倉庫の荷物を移動させた。結構な量の荷物だったが、黙々と手を動かしていればすぐに済んだ。後日、エチゴさんを呼んで買い取りなり処分をお願いすることになるだろう。
 片付けが済み、ようやく白澤さんの目的である靴を見ることになった。
 階段を降り、リビングに入るとテーブルの上につやつやとした靴が揃って置かれていた。すぐ傍にエチゴさんの書いたらしい納品書が添えてあり、これが白澤さんの買った靴であることはすぐにわかった。
「靴べらとか持って来ればよかったですね」
「ああ、新品の靴は革が固いからね……これは幻永界の品だし大丈夫だと思うけど」
 白澤さんが靴を手に取ってまじまじと靴を見る。光の加減か、薄っすら赤く見える靴だ。ワインカラーというのが自然だろうか。しかし色のニュアンスが今まで見てきた靴にないもので、変わった品だというのはすぐにわかった。
 フローリングに靴を置き、早速白澤さんが足を通す。新品の靴といえば固くて伸びにくいものだが、身体に馴染んだ靴のようにすっと履けた。いいものというのはこういうものなのかもしれない。
「どんな感じですか?」
 白澤さんは少し不思議そうな顔をして、その場でくるりと回った。
 あまりにも靴が良かったのかな、と思わず笑ってしまった。よっぽど調子がいいのか、ステップを踏んで踊り始めたのでまた笑う。こんなにご機嫌な白澤さんは始めて見た。いや、しかし踊りだすような人だっただろうか、とも思う。
 腰から捻りをいれて、足を組み替えるようにステップを踏む。フローリングを叩く乾いた音が心地良いが、白澤さん自身はどこか困ったような表情をしていることに気付いた。
「野田くん、少し助けてもらっていい?」
「靴擦れですか? 絆創膏取ってきましょうか」
「いや、足が止まらない」
 そう言いながらくるりとターンが決まって、俺は唖然としてしまった。
「少し特殊な靴だったようだね。止まりたいのだけど、足が言うことを聞かないんだ」
 この軽快なステップは白澤さんの意志ではなく、勝手に体が動いているということらしい。そんなことがあるだろうかと驚いてしまうが、幻永界なら何が起きてもおかしくはないとも思う。
「脱げないんすか?」
「難しいね……野田くん、私の足を引っかけるとか、踏むとか、できないかな」
 その間も白澤さんの動きは止まらない。むしろ、引っかけるとか踏むとか、という言葉を聞いたからなのかさっきより激しい動きになっているように思う。
 確かに白澤さんを転ばせれば足は地面から離れるが、身体が勝手に動いているというのだから受け身もとれないのではないだろうか。そういう状態の人に手を出すのは、まして白澤さんが怪我をするようなことはしたくない。
 やります、と言えないでいると、白澤さんは苦笑して首を横に振った。
「無理にやろうとしなくていいよ。しかしどうしようかな」
 白澤さんは若干呼吸が乱れつつある。疲れてきたのだろう。自分の意志で動きが止まらないということは、自分の限界を越えた動きを強制されるということだ。
 やはり多少危なくても転ばせるか何かしたほうがましだろうか。しかし、と悩んでいるうちに白澤さんはじっと壁を見つめていた。
「ちょっと、奥の手を使ってみようかな」
「何かあるんですか?」
「これから、そこの壁まで何とかいくから、私が着いたら上半身を支えてもらっていいかな」
 白澤さんは視線だけで目の前の壁を指している。上半身を支える、というと抱え上げる感じだろうか。ずっと動いたままの足を引っかけて転ばせるよりは、比較的対処がしやすい。支えるくらいなら俺にもできそうだ。
「はい、それなら何とか」
「わかった。先に向こうで待っていていいよ」
 白澤さんは上半身に弾みをつけて、勝手に踊り続ける足をどうにか壁の方に向けて進めていく。何でもそつなくこなす人だと思っていたが、これもまた器用で感嘆してしまう。ステップを踏む動作も様になっているし、ダンスもやろうとすればできるんだろうなと何とはなしに思ってしまった。
 俺が壁際まで半歩進んで少しも経たずに白澤さんが壁際にたどり着く。何をする気なのだろうと目で追っていたら、白澤さんと目が合った。
「じゃあ野田くん、行くよ」
「はい!」
 上半身を捻ってステップの先が壁に近づいた瞬間、目の前に白澤さんの背中が飛び込んできた。背から腕を回し、上半身をぐっと固定する。殆ど組み付くような恰好になったが、その間も足は忙しなくタップを続けていた。この靴はよほど踊りたいらしい。
 上半身を固定した一瞬、白澤さんは俺に体重を預けるように床を蹴った。身体を反らせて踏み留まり、腕を解かないように力を入れる。白澤さんの宙に浮いた足は、そのままの勢いで思い切り壁を蹴った。壁を踏みつけた、と言ってもいい。
 バン、と乾いたような重たい音がした。思い切り壁を踏み切った力はそのまま後ろにいた俺に来て、予想外の力にそのまま後ろに倒れ込んでしまった。背中から倒れた上、白澤さんがそのまま俺の上に重なっている分痛いやら重いやらで何が起きたのか一瞬わからなかった。咄嗟に白澤さんから腕を解くことも出来ず、二人で床に転がる。
 こういう時、身体が丈夫で良かったとしみじみ思う。久しぶりに転んだ気がする、と痛む腕や背中を庇って上体を起こした。
「野田くん、大丈夫? ごめん、ちょっと勢いをつけすぎた」
「びっくりしましたけど大丈夫です。白澤さんの足は?」
「もう大丈夫」
 白澤さんは先に立ち上がって、その場でとんとんと足踏みをした。もうステップを踏む軽快な足音は聞こえない。靴は大人しくなったようで、ほっと息を吐いた。
「さっきの何だったんですか?」
 白澤さんの手を借りて立ち上がる。じっと白澤さんの靴を見るが、変わった様子はどこにもない。つややかな新品の革靴にしか見えないのに、突然踊りだすなんて幻永界には変わった品が多い。
「持ち主を選ぶというか、そういうものは幻永界では結構あるんだ」
 白澤さんは早々にソファーへ身体を沈めた。余程疲れたらしく、背もたれに首まで預けてぐったりと天井を見上げている。靴は大人しく白澤さんに履かれたままだ。
「こういうときは持ち主の方が強いぞっていうのを示すのが手っ取り早くてね」
 猛獣使いか何かなのだろうか。唖然としていると、ともかくこれで大丈夫と白澤さんは微笑んだ。それで大丈夫というのならいいが、新しいものを買うたびにこういう力比べのようなことをするのは大変そうだ。
「転ばせたお詫びになんか美味しいもの食べにいこうか」
 白澤さんは困ったように笑う。壁を蹴った勢いで俺を転ばせたお詫び、ということらしい。
 痛みはあったが、今はもう随分薄れている。打撲にもならない程度のことだが、白澤さんの気持ちが納まらないというのがまずある気がしている。それに、白澤が美味しいものを食べに連れて行ってくれることはもはや日常になっていて、あまり珍しいことではない。
「結構腹減ってるんで今からでもいいですよ」
「お腹空いてるならちょうどいい」
 一休みが済んだらしい白澤さんがソファーから立ち上がる。幻永界の用事は靴を取りに来ることだけだったらしく、事務所に戻る準備を始めた。
 何となく、俺も新しい靴を買おうかなと思う。新しいものを買うのに、春という季節はなんだか似合う気がする。白澤さんに選んでもらうのも楽しいかもしれない。そのときは幻永界の靴は避けてもらおうと考えながら、白澤さんの背に続いた。