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【小説】#12 怪奇探偵 白澤探偵事務所|怪奇探偵の在り方について

あらすじ:白澤探偵事務所で探偵助手を続ける中で人間ではないもの、怪奇現象に触れた野田は改めて白澤に「怪奇探偵」とは何かを問う。今までに解決した依頼にも触れながら、白澤は野田の質問に答えていく。

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 白澤探偵事務所の探偵助手である野田ひろみになってから、半年が過ぎた。
 半年前、新宿の街で迷う男の道案内をしているうちに知らない路地裏に迷い込んでしまった。男が落とした見たこともないコインを拾った瞬間、男の態度が豹変して思わずその場から逃げ出した。
 路地裏を駆け、偶然飛び込んだのが白澤探偵事務所だった。
 男に見つかったら何をされるかわからないと匿ってもらい、男が遠くへ行くまでの時間つぶしと不安を解すために簡単なゲームをすることになった。そこで、決まったコインだけを言い当てた俺を探偵助手として採用したいと白澤さんは言った。
 それから俺は探偵助手の体験をさせてもらい、ここで働くことを決めたのだ。
 探偵助手になってからは、白澤探偵事務所の探偵であり、オーナーでもある白澤さんと二人で働くことになった。様々な依頼をこなすうち、この探偵事務所は説明のできない不可思議な事象、いわゆる怪奇現象を取り扱う「怪奇探偵」だと知った。白澤さんは俺に「視る力」があると言い、その使い方を示してくれた。他にも、知識や行動で次々と怪奇現象を解決していく。
 怪奇現象に遭遇する中で、偶然にも白澤さんが人間ではないことも知った。けれど、人間ではないからと言って恐ろしいこともなく、変わらず探偵助手として働いている。
 ただ、その場の思いつきや白澤さんの手を借りて「視る」ことをしてきたけれど、怪奇探偵というのはどういうものなのかをちゃんと知りたくなった。

 そういうわけで、事務所の応接用のソファーで、オーナー――白澤さんと、向かい合って座っている。
 半年前、この探偵事務所に逃げ込んだ時にはまさかこの事務所に住み込みで働くことになるとは思っていなかった。あれがつい昨日のような気もするし、ずっと前のような気もする。人生とは何が起こるかわからないものだ。
「改めて聞きたいんですけど……怪奇探偵って、どういうお仕事なんですか?」
 一度聞いたことのある問いではあったが、改めて聞いてみたかった。
 事務所に入ってすぐの頃は、人探しやもの探し、浮気調査や土地の調査が主だと聞いていた。怪奇現象を取り扱うとオーナーの口から聞いたのは、クリスマスに人が居着かない家の調査をした後のことだ。
「怪奇現象の原因究明や事象の解決、解決できない事象の場合は定期点検や護符の手配が主かな」
 怪奇現象の原因究明、と聞いて思い浮かんだのはついこの間行った幽霊ビルでの出来事だ。幽霊が出ると噂されているビルの調査をし、怪奇現象に至る事件や事故がないことを知り、現地に赴いて原因を探した。
「定期点検っていうのは……春先に行った、冬将軍のお見送りとかですか?」
「そうだね。基本的に、私の手で取り扱える範囲の事象は無理に取り除かないことにしているんだ」
 定期的に仕事が入るしね、という白澤さんは商売がうまいのか単に仕事が好きなのかどちらなのだろう。取り除かないようにしている、というのもできるけどやらないという意味なのか、単純にやりたくないということなのかは俺にはわからなかった。
「そもそも怪奇現象ではない理由で困っている人が依頼に来ることもあるから、その時は探偵として……というか、何でも屋さんとして対応することもある」
「何でも屋さん、ですか」
「何でもやってくれる探偵事務所があるって覚えていてもらって、困っている人に紹介してもらうのが目的だけれどね」
 なるほど、口コミ営業である。確かに、困ってはいるけれどどこに相談すればいいかわからないものでもとりあえず白澤探偵事務所に相談すれば何とかなる、と言う風に紹介が続いていけば、原因に怪奇が絡むものも依頼が来るかもしれない。俺がここで働き始めるより前からオーナーがそうやって活動を続けているからには、案外そういう相談はあるものなのかもしれない。
 仕事のことは、おおよそわかってきた。今まで何度か教えてもらっていたから、というのもあるけれど、はっきり怪奇現象の解決や抑える手配をする、というのは理解できた。
 わからないことはまだある。怪奇現象というのは何が原因で起きるのか、ということだ。クリスマスに訪問した人が居着かない家は人為的であったし、春先に花見客が次々と行方知れずになった桜は自然が意思をもってのことだった。ならば、その原因となる怪奇自体はどこから来るのか。
「あの、今までの仕事の中で何度か境界の向こう側……みたいな話があったと思うんですけど、怪奇現象と境界の向こう側って関係があるんですか?」
「現象を引き起こす道具や技術が境界の向こう側で作られたものということはあるよ。百乃さんの珊瑚のかんざしみたいに、こちら側で使ってみたら効果が変わってしまった、みたいなものも含むけれど」
 つい先日、人間ではないと名乗る少女――百乃さんが、友人に贈ったプレゼントが思わぬ効果をもたらすかもしれないから取り返したいと依頼があったばかりだ。オーナーはプレゼントを取り返すのではなく、道具の効果を封じることによって依頼に応えた。それを見て、道具を壊すとか取り上げるとか以外にも解決する方法があるのだと知った。オーナーは今までそうやって色々な人の依頼に応えてきたのだろう。
 ふと、別の疑問が湧いた。仕事と直接関係はないが、こういう機会でもなければ口に出せない疑問でもある。聞こうか聞くまいか、少し悩んで、やっぱり聞くことにした。
「百乃さんって、元々境界のあちら側から、こっち側に来たんですよね?」
「そうだね。他にも結構、そういうひとはいるよ」
「実家も境界のあちら側にある、ということですよね」
 そうなるね、とオーナーは頷く。百乃さんとオーナーの生まれが近いとか遠いとか、そういうことは俺にはよくわからないけれど、確かめたかった。
「……オーナーも向こうに実家があったり、家族がいたりするんですか?」
 オーナーは一瞬きょとんとして、それからしばらく沈黙があった。
 聞いてはいけないことを聞いただろうか、と背中を冷や汗が流れる。事務所に入って一緒に暮らし始めて半年、お互いの個人的な話をする機会はなかったように思う。だからこそ、オーナーの個人的な背景に触れてもいいものか少し迷いがあった。
「私は、私という単一の存在なんだ。だから親というものを持たないし、子もいない。もちろん兄弟や親戚みたいなものもいないよ」
 単一の存在。言われた言葉をおうむ返ししてしまった。オーナーはにっこりと微笑んで頷く。
「本来はこういう姿かたちをしているわけでもないし……ああ、そういえば野田くんも前に私の本来のかたちを見たことがあったよ」
「え、いつですか」
「私がうっかり桜に攫われたことがあっただろう? あのとき、白い牛みたいな、山羊みたいなものを見たと言っていたけど、覚えているかい?」
 思い出そうとするのだけれど、記憶に靄がかかったように遠い。白くて大きな何かが居た。小さな山のような大きさで、そういえばあれと目が合ったのを覚えている。瞬間、靄が晴れたように記憶が蘇る。そうだ、それの額にある目が開きかけた瞬間にオーナーが戻ってきたのだった。
「あれがオーナーの本来の姿、ってことですか……?」
「うん、この体は人間と接しやすくするための端末みたいなものなんだ。あの姿じゃ人間は怖がるだろう? あと何というか、特別なもの……みたいに扱われてしまって困ったから……」
 八百万の神様がいる、といわれている国の土壌が裏目に出たのかもしれない。確かに、山ほどの大きさがあって額に目を持つ生き物を見た俺も、ただの生き物ではないと思ったくらいだ。同じ反応をする人間がいるだろうことは想像に容易い。
 ようやく、オーナーは根本的に俺と違う生き物なんだとわかりはじめていた。わざわざ人間と接するために、このかたちをしているのだとしたら、目の前で穏やかに微笑むオーナーはとても稀有なひとなのではないかという気持ちになってくる。俺が同じ立場ならわざわざ人間に関わることを選ぶだろうか、と考えるとまた疑問が湧いた。
「オーナーはどうして、この仕事をしてるんすか?」
 わざわざ境界を越えて、姿かたちも変えて、人間と関わる理由が知りたくなった。オーナーは小さく首を傾げて、間をおかず口を開いた。
「人間が好きだからかな」
「……好きなんですか?」
「うん、好きだから手助けがしたくて、私の持つ技術を使って役に立てないかなと思ってこうしている」
 オーナーの表情が、言葉が眩しい。心からの言葉なのだろうことがわかって、余計に不思議になった。例えば人間の作るものが好きだからとか、単純に興味があるとかではなく、好意が理由になっているとは思わなかったのだ。俺があまり人間を好いていないから意外に感じるのかもしれない。
「……趣味で人助けみたいな?」
「そんなに聞こえのいい趣味ではないかな、何というか……見ていられなくて、手を出してしまっているというのが正しいかもしれない」
「心配してる感じすか?」
 そうかもしれないね、と言う白澤さんはどこか照れくさそうな顔をしている。なるほど、オーナーにとって人間という生き物は危なっかしく見えるのかもしれない。
「……私は元の体がああいう大きさだから、視るというのがあまり得意ではないんだ。だから、これからも野田くんの力を貸してくれるとうれしい」
 俺は、人間はそこまで好きではない。無碍に扱われた記憶もあるし、そもそもまともに相手をされたこともない。関わってきたと思えば無遠慮に踏み荒らされ、嫌な思いをしたことばかりを覚えている。
 ただ、オーナーと会ってからは、そういう人間に会うことも減った。だから、オーナーの役に立つなら、俺のできることをやることは構わないと思っている。人間である俺が人間を嫌いで、オーナーは人間でないのに人間が好きなのは少し妙な感じがするけれど、それでこれからもずっと続けられるならそれでいいと思う。
「……こちらこそ、これからもよろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げれば、オーナーも同じように頭を下げてくれた。
 半年。同じ職場にこれほど居るのは、久しぶりのことだった。これがそのまま日常になって、続いてくれればいい。さすがにそれをいうのはなんだか気恥ずかしくて、黙っておいた。


「私からも野田くんに聞いてみたいことがあるんだけど、いいかな」
 少し休憩しよう、とアイスコーヒーとお茶請けのクッキーを並べたところで、オーナーがちらと俺を見た。一方的に聞くだけで答えないのもおかしい話だし、今更何を聞かれたとして特に驚きもしない。どうぞ、と答えてグラスに口を付ける。
「今までに何か視えたり、感じたりしたことはある?」
 今まで、というのは事務所に来るより前という意味だろう。少し、思い出そうとしてみる。視ることに関しては、ここに来る前に何かを見たことはないと思う。視た、と認識していないことはあったかもしれないが、意識して視ていない以上は経験したと言えない。感じる、ということに関しても同じだ。
「全然ない……と思います」
「ご家族や親戚にそういう感じの人はいた?」
 両親は至って普通の主婦とサラリーマンで、そういうものを視たことがあると言っていたこともないし、日常の中でそういうものを視ている気配もなかったように思う。妹、弟に関しても同じだ。小さな頃に暗闇に怯えることはあったが、自分で電気が付けられるようになってからは怖がらなくなった。
「……何かあるとしたら兄ですけど、仲悪いので聞いたことないです」
 クッキーを手に取る。お歳暮にいただいたクッキーが丸ごと残っていて、賞味期限まで日がないからという理由でこのところ毎日おやつとして消費を続けている。オーナーはアーモンドの乗ったクッキーを摘まんで、俺はプレーンなものを選んでもくもくと口を動かす。
「お兄さんがいるのは、今初めて聞いた気がする」
「居ることを思い出したくないので……」
 人間ってろくでもないな、という感情の七割は兄のせいと言っても過言ではない。思い出すとくさくさした気持ちになって、アイスコーヒーをちびりと飲む。苦い。クッキーの甘さが紛れていいのだけれど、舌がきゅっと縮まりそうだ。
「野田くんの目が良すぎるから、誰かから引き継いだものなのか偶然生まれたものなのか気になってね。人間の場合は誰かから引き継ぐ力のほうが多いから、身近にいたのかなと思って聞いてみたんだ」
「はっきり視えるようになったのはここに来てからなんで、今までどうって感じではないっすね……」
「その感じだと使っていくうちにだんだん強くなって来たんだろうな……常に視えるようになってしまうと疲れるだろうから、百乃さんから貰った石はずっと付けておいたほうがいいかもしれない」
 なるほど、日常的に何かが視えるようになってしまうとまずいというのは何となくわかる。というより、今まで見落としていたものに何かが居るというのを知ってしまうのは少し恐ろしいような気もする。怪異が身近に居ることに気がついてしまうようになる、というのは神経が磨り減りそうだ。
 オーナーがポケットから百乃さんから貰った石のついたブレスレットを取り出す。今まで俺が持ち歩いていたお守りと同じ効果を持つようにする、というそれが終わったらしい。受け取って、早速左手首に付けた。
「何か違和感があったらすぐに相談してね」
「わかりました」
 僅かに沈黙が生まれる。お互い、聞きたいことは聞き終わったという沈黙だ。コーヒーを飲む。クッキーの最後の一つが残っていて、二人でじっとそれを見つめた。
「野田くん、どうぞ」
「いや、オーナーどうぞ」
 こういう、最後に残ったひとつは対処に困るものだ。兄が居ればだいたい兄に取られたし、弟や妹がいれば譲るものだというのが身に染み付いている。ついでにいえば、これは事務所に届いたお歳暮なのであって、オーナーのものというのが正しい。俺が手をつけないからか、オーナーは困ったようにクッキーに手を伸ばした。
「半分にしようか。はい、野田くん」
 クッキーを割った半分を差し出され、反射的に受け取ってしまった。オーナーは半分を早速食べてしまって、俺をじっと見つめている。せっかく割ってくれた半分を返すのも変だな、と残りの半分を口に放り込む。
「……甘いっすね」
「そうだね。次はチョコレート缶だな」
 お歳暮まだ残ってるんですか、と言えばオーナーはくすりと笑う。つられて笑って、クッキーの甘さをコーヒーで流す。苦いのは変わらないけれど、嫌いではなかった。