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【小説】#18.5 怪奇探偵 白澤探偵事務所|死を誘うオルゴール|閑話

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 タイムカードを切った頃に、呼び鈴と共に玄関が開く音がした。丸井さんが忘れ物でもしただろうか。それとも何か理由があって引き返してきたのだろうか。玄関の方を見れば、百乃さんの姿があった。
「あ、助手くん、こんばんは! 今日は生活の相談なんだけど、白澤いるかしら?」
「百乃さん、こんばんは。白澤さんはちょっと奥に……声かけて来ますね」
 客人の多い日である。百乃さんはオーナーと同じように人間ではなく、あちら側から来たひとだ。こちら側に来て日が浅く、生活のことで相談があると事務所に立ち寄ってオーナーに諸々相談をすることがある。
 オーナーは三階の倉庫に用があると言って、上の階に上がっている。二階に向かって声をかければ、返事があった。直後、とんとんと階段を降りる音が聞こえる。間もなく事務所に帰ってくるだろう。
「あっ、あとね、これはお土産! 苺のケーキだって」
「あ、いつもすいません。いただきます」
 生活の手助けだから相談で料金はとらないとオーナーが決めてから、相談があるとこうしてお土産を持ってきてくれる。百乃さんから白い紙袋を受け取り、中を確かめる。いつも美味しいものをお土産に持ってきてくれるので、個人的にはうれしい。
「では応接ソファーの方で……」
「百乃さん、こんばんは。相談ですよね、お伺いします」
「ごめんね、大した相談じゃないんだけど……」
 百乃さんは上着と鞄をソファーに放り投げて、オーナーの机に駆け寄る。オーナーが事務所に戻ってきたのと入れ違いに、俺は土産の中身が要冷蔵であることを確認し、二階の冷蔵庫にしまった。赤くてつやつやの苺が乗ったケーキが三つ入っていたから、後でお茶会になるかもしれない。
 事務所に戻ると、片手に仕事の片付けをしながらオーナーが百乃さんの話を聞いている。生活の相談だからそんなに真面目に聞かなくてもいいという百乃さんのお願いで、片手間に聞くような形に落ち着いたのだ。俺も今日やるべき仕事はすっかり終わらせてしまったあとだから、ぼんやりと立ちながら二人の話を聞いている。
「あとね、これはおまけの相談なんだけど……居酒屋というものに連れて行ってもらったとして、モモがお酒を飲むのはいけないことなのよね?」
 オーナーは手を止め、大きく頷く。百乃さんがちらと俺を見たので、俺もオーナーに続いて大きく二度頷いた。
「百乃さんの容姿は未成年に見えますから、そうですね。今お持ちの身分証明書も二十歳未満に設定されていますし、同行者である私が処分を受ける形になるかと思います」
「お店も処分ですね、未成年に提供するのもよくないんで……」
 未成年の飲酒は日本の法で禁じられているという話をかいつまんで伝えれば、百乃さんはがっくりと肩を落とした。酒に何かあるのだろうか、それとも居酒屋という場所だろうか。書類をファイルに片付けながら、オーナーは困ったように小さく苦笑した。
「百乃さんは種族が種族ですから、そろそろお酒が必要ですね」
「そうなの……動力源とまではいかないけど、あるほうがやっぱり活動しやすいから……飲むこと自体は出来るんだけど、ヒナの手前ちょっとね」
 日菜子さんは現役の未成年である。無事に志望校に受かったそうで、未成年飲酒という行為を行うことで、何かしら迷惑に巻き込むわけにはいかないということだろう。
 思わず、昔のことを思い出してしまった。髪の色が明るいのと、顔に傷跡があるのと、いつも不愛想だとかでグレていると思われていて、酒は、たばこは、と誘われるやら疑われるやらであまり良い思い出がない。
「それに、人間の居酒屋って楽しそうで……行ってみたかったんだけど……だめか~!」
 残念、と百乃さんは寂し気に笑う。いってみたかったんだろうなというのがわかる気の落とし方で、何か出来ないか少し考えてみる。居酒屋に同行したとして、酒を提供することはできない。酒を買ってくるくらいはできるだろうが、居酒屋にいきたいというのは叶えられない。ふと、一つ案が浮かんだ。
「百乃さん、うちで居酒屋さんごっこしませんか?」
「……居酒屋さんごっこ?」
「俺、居酒屋で働いてたことあるんで、家でそれっぽいメニューとか作れますし……あとお酒も出せますけど、どうでしょう」
 厳密には居酒屋ではないが、居酒屋に近いことはできるのではないかと思ったのだ。家で作れそうな居酒屋っぽいメニューもいくつか思いつくし、何より普段から白澤さんと飲むのにつまみくらい作っている。ついでに言えば、食べてくれる人が居るというのは思いのほかやる気が出るもので、冷蔵庫に作り置きのつまみなんかもあった。
 百乃さんはちらとオーナーの顔色をうかがう。いいのかな、とでも言いたげな素振りに、オーナーはにっこりと穏やかに微笑むことで応えた。
「助手くん、モモ……助手くんの居酒屋、いきたい!」
「はい、では一名様ご案内します」
 顔を見合わせて笑い、店員よろしく二階へ続く扉を開けた。百乃さんはぱっと晴れやかな顔で立ち上がり、扉の前にちょこんと立つ。
「野田くん、私は?」
「……二名様でしたね」
 オーナーと互いに顔を見合わせて笑い、タイムカードを切る。終業の時間は過ぎ、これから後はごっこ居酒屋の開店である。
「助手くん、白澤、早くー」
 早足で二階へ上っていく百乃さんを見送る。白澤さんが俺の肩に手を置き、小声でありがとうと言って後に続いた。御礼を言われるようなことでもないですよと言えたらよかったが、胸の内がくすぐったくなって何も言えなくなってしまった。