【小説】#25 怪奇探偵 白澤探偵事務所|学校の七不思議
あらすじ:普段通り業務に勤しむ白澤探偵事務所に、突然常連客の丸井からパソコンが届く。詳しく話を聞けば、どうやらダウンロード購入したゲームを遊んでみて欲しいということらしい。早速ゲームを起動してみるが、途端に意識を失ってしまい――。
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「野田くん、丸井さんから荷物が届いたんだけど何か聞いてる?」
白澤さんが足元の大きな箱を指して言う。思い当たるものはなくて、静かに首を横に振った。
白澤探偵事務所に突然荷物が届くのは特段珍しいことではない。年末年始、いわゆる大掃除の時期は三階の倉庫まで持っていくのを諦めるほど荷物が届くこともある。ご家庭で不要になった家具家電の回収ではなく、出所不明の壺やら札と釘でしっかり封をされた木箱やらを回収するのが怪奇探偵らしいところだろうか。
ただ、無断で送り付けられることは稀だ。大体は鑑定の依頼であったり、せめて事前に何かしらの知らせがあることがほとんどである。所在不明の荷物を少し警戒してしまうのは、事務所に来て日が浅い頃に曰く付きのポラロイドカメラに触れたせいだろう。
伝票を見れば見慣れた癖のある字が目に入る。おそらく丸井さんの直筆の字なのだが、似せて書いたとかコピーとかそういう風にして送り付けて来た可能性もありうる。警戒はしすぎて損なことはない。
「ちょっと電話してみます」
幸い見知った間柄であるし、こういうものはすぐに確認してしまったほうがいい。伝票にある番号にかければ、呼び出し音が三度鳴る前に丸井さんの元気な声が聞こえてきた。
『もしもし、丸井です!』
「突然すみません、白澤探偵事務所の野田です。お荷物が届いたのでお電話したんですが……」
『あっ、そういえば連絡するの忘れてたな! ごめんごめん、二人に見てほしくてパソコンごと送ったんだよ』
丸井さん本人が送った荷物とわかって、とりあえずはほっとした。白澤さんは早速荷ほどきにかかっている。パソコンごと送ったという発言からして、何かあるのはパソコン本体ではなくその中身のような気がした。
丸井さんに断って音声をスピーカーに切り替えて、白澤さんにも聞いてもらうことにする。
『白澤くんも聞いてる? いやあ、僕が持っていけばよかったんだけど重たくてさあ!』
「白澤です。お荷物は無事に届きましたが、どうしました?」
『ええとねえ、最近インディーゲームにハマってて! 配信サイトで色々買ってみたりしてるんだけど、いかにもホラーゲームって感じのやつを買ってダウンロードしたんだよね』
かいつまんで話を聞くに、丸井さんは最近配信ゲームを買うのにハマっているらしい。有名な怪談や怪奇現象をモチーフにしているものが特にお気に入りだそうで、そういうジャンルのものを片っ端から購入してはやらずに積み上げていると言う。
『最近、学校の怪談をモチーフにしたゲームを買ったんだけどさ。僕が遊ぶ前に配信停止されちゃったみたいで、評判が残ってなくてゲームの詳細がよくわからないんだよね……七不思議から逃げて学校を脱出するゲーム、って内容だったと思うんだけど』
「そのゲームに何かあったんすか?」
『いや、まだ何もないよ。ただ、何となく一人でやる気にはならなくてさ! それなら白澤くんと野田くんとやろうかなと思って。先に遊んでみてほしいなーって』
思わず、白澤さんと顔を見合わせた。
丸井さんは好奇心が強いし、何事にも一通り触ってみるところがある。しかし同時に、自分でやってはいけないものに関してはあまり触らないというところもあった。鼻が利くというか、これは白澤探偵事務所に任せるべきものだとわかったらすぐに依頼をしてくれるのだ。
「わかりました。では先に遊ばせていただきますね」
『わあ、ありがとう! 面白いとこメモっといてー!』
じゃあそのうち事務所に行くから、またオンライン飲みしようね、じゃあね、と俺たちの返事を待たずに早口の通話は切れた。
さてどうしたものかと白澤さんを見れば、パソコンを組み立て始めている。
「やるんすか、ゲーム」
「丸井さんはそういう勘が利くところがあるから、何かありそうな気がする。とりあえず起動してみようか」
箱の中にはずっしりと重たそうなパソコン本体とケーブル、その他周辺機器が詰まっている。丁寧に接続方法を書いたメモがあって、丸井さんの癖字を何とか解読しながら組み立てた。
応接テーブルの上に液晶を置き、ゲームパッドを接続したパソコンの起動ボタンを押す。低い駆動音の後すぐに立ち上がって表示されたデスクトップには起動ショートカットがわかりやすく置かれていた。
真っ黒なアイコンで、どんなゲームなのか想像がつかない。丸井さんが学校の怪談がモチーフと言っていたから恐らくホラーゲームなのだろうが、それ以外の情報がなさすぎる。
タイトルから何かわからないだろうかと思ったが、ゲームスタートとしか書かれていない。情報があまりになさすぎて、確かにこれでは一人でやるのはちょっとな、と迷う気持ちもわかった。
「このまま起動しちゃっていいですか?」
今日の予定をちらと確認する。この頃は仕事があればいい方で、事務所は閑古鳥が鳴いている。
「構わないよ。始めようか」
じゃあ起動しますね、と起動ショートカットを選択する。
瞬間、ぶつり、と嫌な音がして液晶が暗転した。液晶の黒い表面に、画面を覗き込む俺と白澤さんの顔が映っている。黒い画面は自分の顔が反射するからあまり好きではない。そもそも嫌な音の原因を探ったほうがいいだろうかと身を乗り出せば、目の前の液晶が突然眩しく光った。
あまりに強烈な光に目が開けていられない。視線を逸らそうとするのだが、なぜか画面から目が離せない。真っ白な画面の奥、覗き込むような人影が見える。誰かがこっちを見ている。一体だれが。白澤さんを呼ぼうとしたのだが、身体に力が入らない。そのまま意識が遠のいて、目の前が真っ暗になった。
頭が痛い。何が起きたんだっけ、とぼんやり考えながら身を起こした。
真っ暗で何も見えない。突然光を浴びて、眩しさに目が眩んだ。
「野田くん?」
白澤さんの声がして、恐る恐る目を開けた。どうやら懐中電灯の光のようだと気付く。瞬きを何度かしているうちに光に慣れ、ようやく周りが見えるようになった。
「……白澤さん、ですか?」
目の前には学生服を着た少年がいた。
確かに顔立ちは白澤さんに似ている気がするが、あまりに若すぎる。けれど、声はよく似ていた。ただ、見知った白澤さんの姿と違いすぎて、とても同一人物とは思えず一歩後ずさる。
「何が起きたかわからないとは思うんだけど、まずは鏡を見てくれるかな」
少年はポケットから小さな折り畳みの鏡を取り出す。鏡を見るのはあまり好きではないが、有無を言わさぬ雰囲気にそのまま受け取った。
手鏡を開くと、いつもと違う自分の顔が映って驚く。ひどく懐かしいが、この懐かしさはあまり喜ばしいものではない。中学生くらいのときはこんな顔をしていたような気がするが、あまりはっきりとは覚えていない。
気付けば、俺も学生服を着ていた。黒い詰襟の学生服は何だか懐かしい。
「恐らく、ゲームの中に入ってしまったんじゃないかな」
白澤さんの言っている言葉の意味を理解するまでに二、三度瞬きをした。ゲームの中に入るなんて、そんなことがあるだろうか。いや、普通に考えたらありえないのだが、このゲームに怪奇現象の何かが絡んでいるならそういうこともあるような気がする。
白澤探偵事務所に入ってから、荒唐無稽なことでもそういうこともあるだろうなと受け止めるようになった気がする。何でも起こりうるのだ。白澤さんが付いているから何とかなるはずだ、という気持ちももちろんある。
つまり、白澤さんと俺の外見が学生になっているのはゲームに合わせた外見の変更、ということだろう。プレイヤーとしてこのゲームに参加している格好だ。
立ち上がって周囲を見る。薄暗いリノリウムの廊下に扉が並んでいる。窓を開けて外を見てみようとしたのだが、鍵が見当たらない。それなら教室の窓を開けてみるかと近くの扉に手をかけたが、押しても引いても開かない。窓を割ってやろうか一瞬迷ったが、白澤さんがいる手前やめておいた。
「少し調べてみたんだけど、どうやら特定の扉しか開かないようなんだ」
「……その感じだと、玄関も開かないってことですか?」
白澤さんは一度頷く。なるほど、この学校の中に閉じ込められた、ということらしい。
「野田くん、ちょっと上の方を視てくれる?」
天井を見上げたが、何もない。真っ白な天井があるだけだ。ただ見るのではなくて何かないか視てほしい、という意味だと理解して目を瞑る。
最初は薄ぼんやりとしていたが、次第にくっきりと丸い二重の環が視えてきた。内側の環は時折大きくなったり、小さくなったりしている。
「二重の環が視えますね。内側の環が大きくなったり小さくなったりしてます」
「ああ、やっぱりそうか。それが視えるなら話は早いな」
白澤さんは何かを知っているらしい。目を開いて瞬きを何度かする。白澤さんは腕組をして天井を見上げている。
「幻永界の道具で箱庭に人を入れて観察するというものがあってね」
げ、と声が出た。観察という部分が特に気になる。見られるということ自体が俺はあまり好きではないが、観察となるとなおさらだ。コレクショングッズの保管とかそういうことに使うのだろうか。それ以外の用途についてはあまり考えたくない。
「前に体験したことがあるんだけれど、内側にいる感覚が似ているんだ。あとは、ずっと視線を感じるね」
言われてみると、確かに背後に誰かが立っているような、遠くからじっと見つめられているような、そんな気もしてくる。こういう気配は無視をするに限る。意識しているとわかると案外絡まれることもあるのだ。
とにかく、箱庭に閉じ込められているという状況はわかった。問題は、ここからどうやって出るかということだ。見る限り、学校のどこかにいるということしかわからない。
「そもそも、その箱庭ってやつからは出られるんですか?」
「箱庭の持ち主の定義する出口に行けばいい。丸井さんは七不思議から逃げるゲームと言っていたね」
箱庭の持ち主がゲームの製作者だとしたら、出口を指すのはゲームクリアだろうか。
とりあえず、この学校を出ることを目指すのがいいだろう。どうしてかわからないが、次はここに進まなければならないのだと何故か理解できてしまう扉がある。頭上から微かに視線を感じながら、とりあえず先に進んでみることにした。
扉を開けると何故か理科室で、中を歩く人体模型が闊歩していた。
後ろにいる白澤さんを制して、部屋の中をよく見ると次へ、と張り紙の張ってある扉がある。
そういえば、丸井さんは七不思議から逃げて学校を脱出するゲームと言っていた。つまり、見つからないように次の扉へ進んでいくゲームなのではないだろうか。
人体模型が背中を向けた瞬間に早足で教室を抜け、次の扉を開ける。
扉の先は音楽室だった。めちゃくちゃだ。
決まった扉しか開かないということは、廊下にあった窓や扉は恐らく飾り戸だったのだろう。道理で開かないわけだ。
音楽室では壁にかけられた肖像画があちらこちらへ視線を彷徨わせている。この部屋にも前の部屋と同じように次へと書かれた張り紙のある扉がある。
七不思議の怪奇現象に見つからないように次の扉へ向かう。単純ではあるが、タイミングを測ってやれば難しくはないはずだ。
肖像画が目を閉じた瞬間、白澤さんと同時に次の扉へ向けて走り抜けた。
どれくらい時間が経っただろうか。何度かタイミングを測って次の扉へ駆け抜けることを続けていると、いつの間にか玄関に辿り着いていた。
美術室から出たと思えばトイレへ繋がり、トイレの個室からなぜか階段の踊り場にある合わせ鏡へ行き、さらにそこから体育館を経てようやく玄関である。
「野田くん、玄関が開いているよ」
白澤さんの指す方を見ると、確かに玄関の扉が一つ開いていた。
ここに来たばかりのとき、窓の外は真っ暗だった。今は朝が近づいたのか、空が薄っすらと明るくなりつつある。
「出ましょう!」
いつ閉まるかもわからない扉である。これを出れば終わりだと思いたいが、校庭にも七不思議に纏わるものがありそうな気がする。
二人で揃って学校の外に出る。校庭には人影が一つあった。
二宮金次郎像が、校庭を走っている。
銅像であるのに動きはやけにスムーズで、むしろ軽やかでもある。校庭の向こうに校門があって、校門の上にはゲームクリアとこれまたわかりやすく垂れ幕が下がっていた。少し呆れてしまった。思わず頭上を見上げるが、薄闇の空では何もわからない。
「……白澤さん、これどう思います?」
「最後だから走れってことじゃないかな」
白澤さんは走る準備か、軽く屈伸をしている。俺も見習って少し体を解し、改めて校庭の方を見た。
瞬間、校庭を走る二宮金次郎像と視線がぶつかったのがわかった。
見つかった、と理解する前に、像がこちらに向かって走ってくる。
「すいません、見つかりました! 俺がひきつけるんで、白澤さんは気を付けながら来てください!」
見つかったのは俺だけだ。白澤さんはあの像に見つかっていない。俺の方を見ているなら、逆にこのまま像をひきつけたまま校庭を走れば白澤さんに危険はないんじゃないかと思ったのだ。
白澤さんの返事を待たずに走る。
校門までの距離はどれくらいだろう。校庭を一周すると何メートルあったっけ、とどこか現実逃避のようなことも考えてしまう。後ろからは金属の擦れるような音が追いかけてきて、その音が段々近づいてくるのがわかる。
息が上がる。足を一歩踏み出すたびに音の近さに振り返りそうになるが、追い付かれたらどうなるのかわからない。何より、追い付かれた後に白澤さんに気付かれたらと思うと、必死に走っていた。
乾いた校庭を踏みしめる。そういえば走るということ自体が随分久しぶりだ。音が随分近い。けれど、校庭ももう目の前だった。
あともう少し。
息を吸う。吐く。足が重いが、もう真後ろに像がいる気がしてならない。
大きく足を踏み出してようやく校門の向こうに足が着いた途端、がらん、とひと際大きな音がして思わず振り返った。
像が、ごろんと転がっている。見慣れた本を開いたポーズで、校庭に転がっている。校庭の真ん中あたりに、駆け足でこちらに向かってくる白澤さんも見えた。
終わった、という安堵が先にあった。息が上がっていて、校門の向こうにしゃがみ込む。顔を上げると、朝日が昇っていた。朝が来たから、像が自由に動ける時間も終わったのかもしれない。
急に目の前が霞んだ。疲れからか、と瞼を擦ってみるが視界は晴れない。それどころかどんどん霞んで何も見えなくなる。頭上に大きな二つの環が見えて、両方がふっと消えた瞬間、意識が途切れた。
頭が割れるように痛い。ついでに首が痛い。痛みで思わず呻くと、隣からむっくりと人影が現れて心臓が跳ねた。
「ああ、野田くん。どうやら戻って来れたみたいだね」
「あ、そうすね……」
白澤さんだ、と気付いてようやくほっとする。白澤さんも首を捻ったり体を伸ばしたりしている。どうやら、二人ともゲームを起動した直後から意識を失っていたらしい。
日はすっかり沈んで、事務所の中は薄暗い。パソコンの液晶だけが煌々と光っている。
画面を覗き込んだ白澤さんが、小さく首を傾げた。
「野田くん。ゲームが消えている」
慌てて俺も液晶を覗き込んだ。確かにあったはずの起動ショートカットが消えている。白澤さんに詳しく調べてみてもらったが、パソコンからゲーム本体がすっかり消え去ってしまったようだ。
「これって、どういうことなんすかね……」
「推測だけど……このゲームを作った人は、どういう風に遊ばれるかがとても知りたかったんじゃないかな。ゲームを起動したら箱庭に連れて行くくらいだし、余程気になっていたんだろうね」
ゲームが消えた、ということには説明がつかない気がする。白澤さんは困ったように苦笑して、言葉を続けた。
「初めて遊んでいるところが見たいんだろう。つまり、ゲームをクリアした人間にはもう用事がない」
用事がないから痕跡もすっかり消してしまうということか。ようやく理解できたが、あまりの自分勝手さに呆れてしまった。作ったものを楽しんで欲しいという気持ち自体は多少わかるが、もう用事がないからと切り上げてしまうのはよくわからない。
「丸井さんにはどう報告しましょうか?」
「私から上手く説明しておくよ。野田くんは向こうで体験したことを今のうちに書き留めておいてくれる? きっと丸井さんも聞きたがると思うから」
「了解です」
連絡してくる、と言って白澤さんがその場を離れる。俺もようやく立ち上がって、うんと体を伸ばした。体の筋が伸びる感覚が気持ち良く、頭痛もだいぶ収まってきた。これなら、メモを取るくらいはできそうだ。
まずは何があっただろうか。思い出しながら机に向かう。丸井さんはきっと、どの話を聞いても喜ぶんだろうなあと思うとつい笑ってしまう。怖い思いはしたが、興味深く楽しんでくれる人がいるなら苦労のし甲斐もあるのかもしれない。
考えてると、あのゲームは丸井さんという貴重なプレイヤーを失ったことになるのではないだろうか。消えてしまったのだから仕方がないとはいえ、用がないなら関わることもないかと思い直し、レポートの準備を進めようと椅子に座りなおした。