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【小説】#19 怪奇探偵 白澤探偵事務所|境界を越える扉|閑話

◇ 19話 境界を越える扉|本編はこちら ◇

 二階に降りると、見慣れた家具が並んでいた。三階の倉庫と同じく、事務所の間取りと鏡合わせになっているようだ。知っている部屋なのにどこか違うというのは少し違和感があるけれど、そういうものらしいから慣れるほかない。
 白澤さんはいつもと同じように食器棚を開け、普段使っているのと似たマグを二つ取り出した。これもまた、知っているものなのにどこか違うような印象がある。
「喉が渇いてるだろう? 麦茶でいいかな」
「全然大丈夫です。がぶ飲みします」
 白澤さんがくすりと笑いながら、事務所で使っている麦茶のスティック粉末を取り出した。どうやら向こうから持ってきていたらしい。浄水器の付いた水道を捻り、水を出す。水の色も匂いも、知っているものと変わらない。
「はい、どうぞ。先に座っていていいよ」
「あ、どうも……」
 白澤さんから麦茶を受け取り、ソファーに腰を降ろす。麦茶の入ったマグを傾けると、思ったより喉が渇いていたことに気付いて一気に飲み干してしまった。一息遅れて白澤さんが隣に腰を降ろし、同じように一気に飲み干したので笑ってしまった。
「あの、白澤さん。さっき、昔の事務所は一階も倉庫みたいだったって言ってましたけど本当ですか?」
「うん、昔は怪異物についての依頼があったら現地に行ってモノを回収してくるくらいだったから。回収したものをそのまま置いていったら自然に……」
 あまり想像しやすい光景で笑ってしまった。三階の倉庫も、白澤さんの家も、物を最初に置いた場所から動かしていないから雑然とものが増えていくのだ。白澤さんの癖なのだろうな、と思うと少し面白い。
「私だけならどこに何があるか覚えているから困らないんだけど、丸井さんが来るようになってからはね……何でもかんでも出しておいたらまずいな、と思って三階を倉庫にしたんだ」
 丸井さんがあれもこれもと怪異物に手を出していくのが目に浮かぶ。白澤さんが止めるより先に、これは何、あれは何、という怒涛の質問が始まるだろう。
「丸井さんが来るようになったのって、何がきっかけなんです?」
 白澤さんは口元を僅かに緩め、目を細めた。思い出し笑い、みたいな顔である。
 曰く、丸井さんは若いころから怪奇愛好家で、怪異物の噂を集めて楽しんでいたらしい。情報を集めるだけでも十分だったものが、実際に見てみたい、触れてみたいと思うようになり、噂の出所を尋ねるようになったのだとか。ところが、噂を聞いて駆けつけてもすでに怪異物はなく、白澤探偵事務所にあるというのが何度か続いた。結果、直接事務所に訪れてきて、怪異物に纏わる面白い話を聞かせて欲しい、という依頼をする人になったのだという。
「丸井さんは情報の扱いが上手なんだ。私が専門家だとわかってからは危ない怪異物の噂があると私に調査を依頼するようになってね……賢いひとだなと思って、常連さんに」
 それがどれくらい前のことかわからないのだが、害のないものを楽しんでいる人が訪ねてくるにあたり、触らせてはいけないものをとにかく倉庫に片付けたのだろう白澤さんを想像すると少し面白い。白澤さんなら、丸井さんが楽しんでいるのなら危険な目に合わせてはいけないと場を整えるだろうな、と思ったのだ。
「二階はずっとこんな感じなんですか?」
「うん、人間の生活様式もやりたかったから」
 白澤さんは心底楽しそうに笑う。なるほど、ひとではない白澤さんにとっては、人間と同じように道具を使うことや生活を整えることは楽しいことであるらしい。本当に人間が好きなのだなあと思うと、不思議な気持ちにもなるのだが。
「案外楽しいよ、好きなものと同じ生活をするのは」
「そういうものなんすか?」
「そういうものだよ」
 白澤さんは空になったマグカップを二つ手に取り、流しに向かう。その背中を見ながら、今も楽しいのだろうなと思う。かすかに聞こえる鼻歌に耳を済ませながら、ソファーにゆっくりと沈み込んだ。