見出し画像

【小説】#20 怪奇探偵 白澤探偵事務所|《向こう側》のよろず屋

あらすじ:白澤探偵事務所の倉庫にある品々を境界の向こう側にある白澤の家に運び、用事が済むまでそのまま留まることになった野田。ある朝、これから不用品の買取から処分までを扱うよろず屋が来ることになり――。

◇怪奇探偵 白澤探偵事務所シリーズ1話はこちら◇

画像1

 枕元のアラームが鳴って、目が覚めた。
 震動を止めようと手を伸ばしたが、あるはずの場所にケータイがない。のろのろと枕元を探り、普段と逆の位置にあるのを見つけてようやくアラームを止められた。
 境界の向こう側にある白澤さんの家で生活しはじめてから、数日が経った。三階の倉庫に取り付けた扉から白澤探偵事務所に帰ることはできたのだが、白澤さんの用事が済むまでここに居ることになったのだ。
 幸い、白澤さんの家は普段生活している事務所と鏡合わせになっているという以外はほとんど同じだった。冷蔵庫の中身やリビングに転がっているクッションの形まで全く同じ状態で存在していたので驚いてしまった。白澤さんが言うには、二階の生活空間は同じ状態を保つように仕掛けをしているらしい。仕組みはわからないが、便利な仕組みである。
 窓の外を見る。初夏を感じる日差しはなく、薄曇りの空が広がっている。霧が深く、周囲の様子ははっきり見えない。わかるのは石畳の道路と街路灯くらいだろうか。ぽつり、ぽつりと建物の明かりらしきものは見えるのだが、それがここからどれくらい離れているのかはわからないままだ。
 白澤さんが言うことには、境界の向こう側というのはあまり晴れることがないらしい。霧や雨であることが殆どで、酷い雷雨が続くこともあるのだという。それを考えると、霧が出ているくらいはいい天気なのかもしれない。
 ベッドから降り、うんと伸びをする。今日は来客がある、と昨日のうちに白澤さんから聞かされていた。恐らく、先日倉庫から運んだ品々を買い取ってくれる人が来るのだろう。品物を運ぶ手伝いが必要になるかもしれないし、早々に身支度を整えることにした。
 
 支度を済ませ、一階に降りる。一階は事務所と違い、全体が応接間のような造りになっていて、大きな窓には重たそうなカーテンが取り付けられ、今日は薄いレースのカーテンだけが引かれている。古めかしい絨毯の上にローテーブルがあり、向かい合うようにソファーが並んでいる。壁には真新しい本棚が並んでいるのだが、何故か空っぽだ。
 白澤さんは、ソファーに座って手元の書類に目を通しているようだ。テーブルにはいくつかの書類が並んでいる。おはようございます、と後ろから声をかければ、白澤さんは俺の方を振り返った。
「おはよう、野田くん。そうだ、お客さんが来る前に渡しておきたいものがあるのだけど……」
 そういうと、白澤さんはポケットから薬包紙をひとつ取り出した。手を差し出すと、白澤さんから包みごと手渡される。そっと開けば、風邪薬でよく見るようなカプセル錠剤があった。
「薬、ですか?」
「五感で得る情報が最適化する薬だよ」
「最適化って……」
  意味が理解できず復唱すれば、白澤さんは少し考えてから口を開いた。
「私の本体を見たときのことを覚えているかな?」
 もちろん、覚えている。深夜の庭園、桜を照らすスポットライト、その全てを見下ろすようにいた小山ほどの大きさの白い何か――それの額にある瞼が開いて、目が合った。あの目を思い出すと、今でも少し背筋が冷えるような感覚があるのが不思議だ。
「ここには人間が驚いてしまうものが多い。そういう刺激が強いものを、薬を飲んだ人の身近な情報に置き換える作用があるんだ」
 情報の最適化というのは、俺が何か見慣れないものを見ても驚いたり怯えたりしないように情報が処理できるようになる、ということであるらしい。この薬を飲んでから白澤さんの本体を見ると、いつもの白澤さんに見えるということだろうか。
「……わかりました。とりあえずこれ、飲みますね」
「うん。そこに水を用意してあるから」
 テーブルに水差しとグラスが四つ並んでいる。どうやら客人は二人であるらしい。白澤さんの隣に座り、グラスを一つ借りてカプセルを喉の奥に流し込んだ。
 薬の効果はどれくらいで効果が表れるのだろう。とりあえず、この薬の効果で俺の見るものが最適化されるのなら、白澤さんの本体を見た時のように驚くことはなくなるということになる。知らなかったとはいえ、驚いたり、怖がったりしたいわけではなかった。自分がそういう視線を受けたことがあるから、余計に気になるのかもしれない。
「……お客さんって、どういうひとですか?」
「これから来るのは付き合いの長いよろず屋さんなんだ。不用品買取から処分まで手広く扱っていて、信頼できる商人だよ」
「よろず屋……って何屋です?」
 商人ということはわかったけれど、何を扱う店なのだろう。あまり聞いたことのない単語が出てきたから、そのまま白澤さんに訊ねた。
「何でも屋さん。品物のほかに情報を扱うひとでもある。遠見の人についても、何か知っているかもしれないと思ってね」
 よろずというのは古い言葉でたくさんと言う意味だよ、と付け加えられてようやく理解できた。多くのものを取り扱うから、買取商でもなく処分屋でもなくよろず屋ということらしい。
 遠見の人というのは過去のことを見られる人のことを言うらしい。自分にあったかもしれない過去の出来事が気になると白澤さんに相談したら、遠見の人を探してくれることになった。よろず屋さんがその情報を持っているとしたら、案外早く会えることになる。
「なんか、すいません……」
「いいんだよ。私が出来ることをしたい、というのもあるしね」
 呼び鈴が鳴る。どうやら、よろず屋さんが来たらしい。ソファーから立ち、玄関へ向かった。

「白澤くん、こんにちは! ……あら、白澤くんじゃない……?」
 ドアを開けると、驚いた様子の女性と、まだ成長期を迎えていないような少年が並んでいた。
 白澤さんが出てくると思ったら予想外の人間が出てきて驚いているらしく、じっと見つめられて少し視線が痛い。特に、傍にいる少年からじっと見つめられている。
 女性は驚いた様子ではあるが、不思議そうに首を傾げている。垂れた眉と目元の印象が柔らかく、穏やかそうな人だ。少年は後ろ髪を襟足で揃えていて、白いブラウスと合わせてみると清潔感のあるよい子という感じに見える。息子さんだろうか。
「あの、ええと……助手です。白澤は中におりますので、どうぞ」
 沈黙に耐えかねて中へ促せば、女性はにっこりと微笑んだ。俺が何者かわかって安心したのかもしれない。そういえば名乗っていなかったことに気が付いて、いつもと違うということに多少緊張していたのかもしれないと気付いた。
「まあ……わたくし、よろず屋のエチゴです。今後とも御贔屓に」
「野田と言います。こちらこそ、よろしくお願いします」
 小さく頭を下げられ、慌てて同じように頭を下げる。柔らかく、優しそうな声をしている。視線が近く、身長が高いひとなのだと気が付く。少年は彼女の腰より少し高いくらいだろうか。
 挨拶を済ませてソファーへ案内すると、エチゴさんは小走りにソファーに近寄る。白澤さんが顔を上げるより前に、白澤さんの前にしゃがみ込んでいた。
「白澤くん、ご無沙汰じゃない? 最近呼んでもらえなかったから今日はいっぱいモノがあるってことでいいのかしら?」
「中々こちらに戻る機会がなかったもので……品物は三階にありますから、いつも通りお願いします。査定が落ち着いた頃に私と野田も向かいますね」
「はぁーい、かしこまりました! ニィくん、三階だって!」
 ニィくん、と呼ばれた少年はこっくりと頷いて、エチゴさんの腕を軽く引いた。早く、と急かしているようだ。エチゴさんが立ち上がると、少年はエチゴさんより先に三階へと向かった。案内は不要らしく、白澤さんは倉庫に向かう背中を見送っている。
「彼はエチゴさんの助手でね、体は小さいけれどとても力持ちなんだ。お仕事の邪魔にならないように二人の仕事が終わってから三階に行こうか」
「わかりました」
 なるほど、どうやら俺が手伝う場面はないらしい。査定が終わるまで待つためか、白澤さんはタブレットを使っての読書をはじめた。俺はどうしようかしばらく考え、とりあえずケータイを取り出して画面を見つめることにした。
 
 一時間ほど経っただろうか。白澤さんに声をかけられ、三階の倉庫へ向かった。
 倉庫に入ると、ほとんどの品物に買取と書いた札が貼り付けられていた。査定はほとんど済んだらしく、少年が置時計を軽々と運び、エチゴさんが時計の周りを忙しなく回っている。
「あ、白澤くん! 査定済みましたぁ、処分になるのはこれとこれで……このままニィくんに持たせていいかしら?」
「ええ、構いませんよ」
 事務所で預かっていた怪異物のいくつかはこのまま処分になるようだった。処分になるものは回収していってくれるらしいのだが、少年が処分品を腕の中に抱え上げた瞬間、視界が霞んだ。
 突然目に何かが入ったというより、何かの意図的に視界がぼやけたような具合だ。固いものがごつごつとぶつかり合う音がする。少年が何かをしているのだろうことはわかるけれど、見えない。もしかしたら、これが白澤さんの言う最適化の効果なのだろうか。情報を置き換えることが出来ないから、何も見えないのかもしれない。
 音が止むと、目の霞みが取れた。少年は変わりなくエチゴさんの傍に控えているが、処分とされた品は消えている。
「他は全部買取で……見積りはこれくらいなのだけど」
「エチゴさんの目でそうなら問題ありませんよ」
 見積もりの詳細はわからないが、白澤さんはよほど彼女を信頼しているらしい。振込はいつも通りにと会話を切り上げたあと、白澤さんはどこからかぬいぐるみを取り出した。ついこの間、ぬいぐるみであることを終わりにしたいと言ったロボットのぬいぐるみである。
「これは買取ではなくて君に役立ててほしいのだけど……」
「まあっ! まあ、まあ……とてもきれい! 自然発生した魂の入っていた器なんてなかなかお目にかかれるものではないけれど、本当にいいの? これ、わたしのところではなくて、他所であればずっと高い値を付けてくれると思うけど……」
 エチゴさんはぬいぐるみを受け取ると、慎重な手つきで扱った。魂の入っていた器と聞くと大げさな気がするが、事実あのぬいぐるみには確かに自我があった。どうやら、自ら意識を宿していたものというのは大変貴重なものらしい。
「うちで魂を送ったものだから、値段をつけられないんだ」
「そう……お値段の問題じゃないもの、ね。うん、持ち運びできるニィくんを作れるかもしれないし、大切にするね!」
 持ち運びできる少年、というのは一体どういう意味だろう。どうやら俺にはわからない事情があるらしい。エチゴさんは少年にぬいぐるみを抱っこさせてにっこりと微笑んでいる。こうしてみると、少年が新しいぬいぐるみの持ち主のようで微笑ましい光景ではある。
「ニィくんはどう? わたしとずっと一緒にいたいでしょ?」
「……別に。オレ、どこにもいけないだけだし……」
「照れなくていいのに~」
 そうじゃないから、とどこか気恥ずかしげな少年を見ているとつい頬が緩む。何というか、二人のやり取りは気心が知れた間柄という感じで、見ていると和んでしまう。横を見ると、白澤さんもどこか和やかな顔をしていた。
 少年をしばらくからかって満足したのか、エチゴさんは何かを思い出したように顔を上げた。それから、申し訳なさそうな顔をして白澤さんへ小さく頭を下げる。
「白澤くん、あのね……頼まれてた遠見の人なんだけど、しばらくかかりそうなの。最近、新しい遠見が増えていないから人が足りないみたい」
「ああ、なるほど……わかりました。私は連絡が取れればいつでも構いません」
「はーい、見つかったらすぐ連絡するね!」
 遠見の人というのは職人のようなものなのだろうか。なり手が少ないとか、後継者がいないとか。過去を知る、というのはやはり難しいものなのかもしれない。
 
 エチゴさんと少年は後日荷物を引き取りに来ると言って、ソファーに座ることなく早々に帰ってしまった。お茶は何を出すべきか、茶菓子はいるのかと思っていたが、用意をする間もなかった。もう少し話を聞いてみたかった気はするが、次の仕事があると言っていたから引き留めるわけにもいかない。
「野田くん、ちょっと聞きたいんだけど……1999年って、野田くん生まれてる?」
「生まれてますね……なんか関係あるんすか?」
 白澤さんは口元に手を当て、少し考え込んだ。1999年に自分に何があったかは覚えていないが、世界が終わるとかなんとかで世紀末ブームがあったのだと聞いたことがある。一体いつどの仕事をしているときに聞いたかははっきりしないが、関係のある事柄だろうか。
「境界の向こう側が関与して何かが起きた場合、人間の記憶を多少修正することがあってね……99年はひとつ、対象人数が多い修正があったんだ」
「それに巻き込まれて記憶がないのかもしれない、ってことですか?」
「可能性の一つとして、だけどね」
 何があったのかは教えられないけれど、と白澤さんは少し首を傾げて困った顔をした。何があったのか知りたいとは思わないが、何かがあった、というのなら確かに原因の一つになるかもしれない。しかし、顔に傷が残るのと、関連があることとは考えづらい気がする。
「そこも含めて、遠見の人は精査してくれると思うよ」
「まあ…どっちでも、連絡待ちですね」
「そうだね。連絡が来るまでの間、しばらくこっちで待っていようか……事務所の倉庫にある本、こっちに移したいしね」
 どうして一階の本棚に何も入っていなかったのかがようやくわかった。白澤さんは倉庫にある大きなものを片付けたあとに蔵書の整理をするつもりだったらしい。タブレットを使っての読書も多いが、やはり本の数が多い。
「……お手伝いしますね」
「ありがとう、助かるよ」
 あの棚が空いたらまた本が買えるようになるし、と白澤さんはご機嫌に微笑んでいる。物の場所を移すのは片付けるとはまた別なのだが、わざわざ指摘するのはやめておこう。
 本棚を見る。一見大きな棚ではあるが、白澤さんは自分の蔵書の数を把握していないらしい。おそらく、本棚には収まりきらない量が倉庫に積まれている。
「あの本棚に収まりますかねえ」
「……収納しながら考えるよ」
 エチゴさんから連絡が来るのが早いか、白澤さんの蔵書の整理が終わるのが早いか考えながら、早速白澤さんと本の移動に取り掛かることにした。本棚の追加発注をエチゴさんにお願いするのが一番早いかもしれないと考えると、少しおかしかった。