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【小説】#9.5 怪奇探偵 白澤探偵事務所|幽霊ビルのうわさ|閑話

※本編がいつもよりホラー描写強め、流血描写があるため、閑話は本編で起きたことを羅列しています。(本編はこちら

 今回の依頼は、ビルに出るという怪異の調査だった。歌舞伎町の人から人へ広まる噂が元になり、実際にはいない怪異を呼び込んでしまったために異変が発生した、というのが大まかなまとめになる。
 事実として死んだ子供はいなくても、それが事実のように多くの人に知られることでその場に異変を呼び込んでしまう。触媒となった道具――くまのぬいぐるみを処分して解決することができた。
 ――午前零時、ビル着。裏口から入る。内部確認中に裏口ドアの消失を確認し、本来であれば建物正面、および非常口にしか設置されていない階段が目の前に出現、上階へと進行――
 ディスプレイを見ながら目を細める。
 今回の依頼人は、以前納会を兼ねた忘年パーティ会場でオーナーから紹介された丸井さんだった。異変の原因や発生経緯の詳細なレポートを提供するオプションをご希望とのことで、現場であったことが思い出せなくなる前にレポートに取り掛かっている。
 しかし、文章を書くなんて学生以来のことでどうにも手が進まない。
「オーナー、裏口から入って上に上がったあとって、何がありましたっけ……」
 所長机で別の書類作成中のオーナーに問いかければ、書類とファイルの山の向こうからひょっこりと顔を覗かせた。オーナーは別件の書類を片付けているらしく、レポートの処理は俺に任されている。
「野田くんに視てもらって、原因がある階まで行ったよね?」
 そうだった。自分でやったことなのに記憶が曖昧で、自分の記憶力は信頼できないなと思う。
 慣れないキーボードを打ち込みながら、現場を思い出す。
 電気の通っていないビルの中は真っ暗で、出口が消えてからは上へ上へと呼ばれるように登って行った。四階のフロアに光がはっきり視えて、原因になるものを探してある部屋にたどり着く。
「……しばらくぬいぐるみは見たくないっすね」
「はは、うん、私もベッドメリーはご遠慮するよ」
 踏み込んだ部屋の中、怪異の原因であるぬいぐるみを見つけた。部屋中に同じぬいぐるみが散らばっていた。
 オーナーがその処理を始めた瞬間、ビルの一室が子供部屋のような様相に変わり、本来の部屋より広く、天井は高くなった。頭上にベッドメリーがゆらゆら揺れていたのは、はっきり覚えている。
 部屋が変化したのと同時に、オーナーに出口を確保するよう強く言われた。鬼気迫る様子にただごとではないと思い動き出したものの、床に散らばっていたぬいぐるみが動き出して邪魔をする。
 ぬいぐるみをちぎってはなげ、ちぎってはなげ、何とか出口を確保したものの――
 キーボードを打つ手が止まる。
 出口を確保し、オーナーがぬいぐるみの処理を終えた。ぬいぐるみは動かなくなり、部屋の様子はビルの一室に戻ったのに、頭上のベッドメリーは消えなかった。
 地面に倒れたオーナーと、床に広がる……いや、これは書かない方がいい。
「レポートって白澤さんの怪我の件とか、……あの話とか、書かない方がいいですよね?」
「怪我のことは、書くとしても軽傷くらいで濁していいよ」
 丸井さんも心配するだろうから、と言われてすぐに思い出すのはコンビニATMの引き出し限度額いっぱいまでの額が入った封筒だ。お見舞だから、と追加の封筒が出て来そうな気がして、怪我をした、という部分は消した。
「あの話って、どの話?」
「え、……白澤さんが人じゃないって話」
「ああ、それは私と野田くんの秘密ということにしてもらえると嬉しい」
 オーナーはにっこりと微笑んで口元に立てた人差し指を添える。秘密、というか外で誰かに喋ったところで、冗談だと思われて終わりだと思う。
 大きな怪我だった。救急に連絡しようとする俺を止め、白澤さんは自分は人間ではないからいい、と言ったのだ。実際、その場で傷が治るのを見て、人と違うものなのだな、ということは理解できたが、別に見た目が変わるわけでもないし、人間を食べるとかでもないらしいのであまり気にならない。
「丸井さん、野田くんがどう視えているかを知りたがっていたよ」
「……文字にするの難しいっすよ」
 視える、ということを説明するのは難しい。電球の明かりのように視えるときもあれば、豆電球のように視えることもある。形がくっきり見えるようになってからは、元になるもの――今回でいえばくまのぬいぐるみを縁取る形であったり、光が反射している感じだったりする。とりあえずそのまま書けばいいか、と単語を並べていくことにした。
「オーナー、本当に怪我は気を付けましょうね」
「善処するよ」
「しばらく夢に出そうですもん」
 結構ショッキングな場面だったからか、ふと頭の中に蘇ってしまう。思い出しかけて、ぶるりと頭を振った。やめよう。今はレポートに集中したほうがいい。
「それは本当に、ごめん」
 真剣な声で謝られると、何とも気持ちの落としどころがない。そもそもあれは事故であったのだからオーナーは悪くないのだ。
 言うんじゃなかった、と苦い気持ちになった。何というか、親しくしてもらっているうちにあまり考えずに何でも言うようになってしまっているのかもしれない。失言だ。
「……ちょっと言いすぎでした、すいません」
 苦い空気になってしまった。かちゃかちゃとキーボードを叩く音しか聞こえない。居心地の悪い沈黙に何か言うべきだろうかと言葉を探していると、腹の虫がぐうと鳴いた。俺の腹の虫ではなくて、白澤さんの腹の虫が。
「今、お腹鳴りました?」
「……鳴ったね」
「お昼食べます?」
「…………いただこうかな」
 ふ、とつい笑みが漏れた。何というか、あまりにいつも通りだったからだ。
 気にしすぎるのも良くないな、と椅子から立ち上がって伸びをした。
 昼は何を食べよう。夜は白澤さんと飲もうかと思って、つまみが作れそうな食材を買い込んでいる。
 そうだ、今夜飲みませんかとはまだ言っていない。昼食のついでに聞いてみようと決めて二階へ上がる。
 多分、明日もこうしているだろうなと考えると、何となく気分が良かった。