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【小説】#8 怪奇探偵 白澤探偵事務所|満開の枝垂れ桜

あらすじ:桜の開花宣言や早咲きの桜を見る人々で賑々しい空気で満ちる春、依頼人の名が明かされない調査依頼が届く。ある庭園を中心に家出人が増えているという怪異の調査を行っている最中、白澤の姿が消え――。
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 春らしい風の吹く日が続き、すっかり暖かくなった。街を歩く人々もいつの間にか身軽になり、外を出歩く人も増えたように感じる。実際、この時期は花見だの歓迎会だので空気が賑々しい。
「野田くん、お花見とかする?」
「しないっすね」
 新宿で花見と言うと、どうしても大量の人が先に頭を過る。花より人間の方が多いのではないかと思うが、確かめたことはない。今までも花見客を横目に家に帰るような生活ばかりしていた。花見という場で浮かれている人たちがちらちらと見てくるのが不快で、花見なのだからせめて花を見ろと思っていた。
 領収書をファイリングしながらオーナーの質問に答えれば、オーナーはタブレット端末を片手ににっこりと微笑んでいる。仕事の気配を察し、ファイルを閉じた。オーナーの机のそばに立ち、話の続きを待つ。
「ちょっとね、変わった依頼が来てて」
 オーナーに差し出された端末をのぞき込むと、そこには人の名前がずらりと並んでいる。上から順に十人まで数えたところで、スクロールした先にもまだ名前があることに気が付いて数えるのをやめた。
「このところ、家出人の届けが異様に増えてるから調べて欲しい、と」
「家出ってそんなに珍しいもんですか?」
「ただの家出人ならそう珍しくないけど、ある場所で花見をした後から見かけないという部分が一致していてね」
 不思議だろう、と言う白澤さんはそのまま端末を操作し、画面いっぱいに地図を広げた。
 地図には家出人の名前と、最後に見かけた場所にそれぞれ印がつけてあり、印は一つの場所を囲うように散らばっている。中央に位置するのは、とある庭園だ。
「なんか、これ……探偵向けの調査っていうか、刑事ドラマっぽいですね」
「野田くん、勘がいいね」
 白澤さんはにんまり笑うと端末を閉じ、今夜調査に向かうから昼から休んで構わないと言ってどこかへ出かけてしまった。調査の下調べか何かに向かったのかもしれない。
 勘がいい、とはどういう意味だろう。家出人の調査と、刑事ドラマっぽいという俺の例えがどう結びついたのかと首を捻った瞬間、もしかしたら本職の人からの依頼なのではという想像が頭を過った。
 いやいやまさか。そんなことがあるだろうか。ただの探偵に、公的機関が調査の依頼をするだなんて。普通ではないからこそ白澤探偵事務所に持ち込まれたのかもしれない。依頼人について詳細を知らない以上、想像に過ぎないのだから考えても仕方がないことだとこれ以上考えるのはやめた。確実なのは、今日の帰りは遅くなるだろうということだけだ。
 机の上に積まれたファイルをちらと見て、そっと視界から外した。昼から休んで良いと言われたのなら素直に休んで夜の調査に備えておくべきだろう。何しろ探偵助手なのだから、備えは万全にしておかなくては。残りは明日やると決めて、休息のために二階へ向かった。

 問題の庭園は、駒込駅からほど近い場所にあった。どうやら歴史ある庭園らしいのだが、俺は詳しく知らない。場所がわかればいいだろうとあまり調べて来なかったのだ。わからないことがあればオーナーに聞けば済む話だ。それも、調査に必要になったときに聞けば良い。
 時刻は二十二時を過ぎたところで、庭園の門はきっちり閉じられている。開演時間についての案内札が立っているのだが、オーナーは当然のように門に取り付けられた鍵を開けた。昼間出かけていたのはこの鍵の受け取りと、閉園時間中に調査をするという話をつけるためだったのかもしれない。
「じゃあ野田くん、お花見行こうか」
「……ライトアップもあるんすねえ」
 園内は仄かに明るい。桜の木に沿うようにライトが立てられ、柔らかな光が満開の花を照らしている。閉園時間を過ぎたら本来であれば明かりは落とすものだろうが、夜の調査であれば明かりは必要だ。特に、街の明かりも届かない場所であれば。
 桜が時折風に吹かれ、さわさわと揺れる音がしている。春の風は暑くも寒くもないから嫌いじゃない。人がいないとのびのび桜が見られて良いな、と思ってから、ポケットからお守りを取り出す。
「じゃあ、視てみます」
 取り出したお守りをオーナーに預け、目を瞑る。
 目を瞑ってすぐは、ついさっきまで目に見ていた明かりの残像が残っている。スポットライトの丸い光が、まだ瞳の中にあるらしい。一瞬、風が強く吹いた。それがきっかけになったのか視界が切り替わった。
「うわ……」
 視界一杯に広がる光量に呻いてしまった。目を瞑っているのに、明るくて眩しいのだ。
 庭園の中に、スポットライトをいくつも束ねたような、空に真っすぐ立ち上る強い光がある。直感的に、あれだとわかった。良いとか悪いとか、その光が持つ意味はわからないけれど、あの光までいけば何かがわかるということだけがはっきりと理解できたのだ。あまりに強い光だから、その強さに呑まれているのかもしれない。
「すごくヤバいのありますよオーナー、……オーナー?」
 横にいるオーナーに声をかける。返事がない。さっき、俺の右に立っていたはずだけれど。逆だったかな、ともう一度呼んでみる。それでも返事がなくて、目を開けた。
「オーナー?」
 ぐるりと周囲を見渡しても、どこにもオーナーの姿が見当たらない。
 また、風が吹いた。桜の花びらが舞って、どこかへ消えてしまう。風はさっきより一際強く、桜の立てるざわざわとした音を聞いていると何とも不安な気持ちになる。
 もしかして、先にいってしまったのだろうか。それとも園内の地図を確認に行っているとか、もしかして俺をからかってどこかに隠れているとか。いや、仕事中にふざける人ではないからそれはないか。とにかく、よく知らない場所で別々に行動して良いことはない。ケータイを取り出し、オーナーの番号にかける。
 ――おかけになった電話は、電波の届かないところにいらっしゃるか、電源が入っていないため、繋がりません――
 同じ内容のメッセージが三度繰り返され、呆然としながら電話を切った。
 東京都内で、地下にいるわけでもないのに電話が繋がらないことがあるだろうか。うすら寒い感覚が肌を這う。落ち着かなくて、さっき視えた強い光が気にかかった。
 この園内において、今、最も何かをした可能性があるのはあの光だ。こんなに強い光だから、オーナーにも視えていたのかもしれない。もし視えていたとしたら、あの光に向かうだろう。
 俺が出来ることは、視ることだけだ。あの光の場所まで行って異変の原因がわかったとして、解決できるかどうかわからない。それでもじっとしていられなくて、その光の方に向かって歩き出した。

 園内を歩く。仄かにライトアップされた桜は確かに綺麗なのだが、今は花を見るような気分じゃなかった。普段はオーナーと一緒に行動するから、何かあっても大丈夫だろうと気楽でいられる。だが、今日はその安心感がない。
 もしかしてオーナーも今回の件に巻き込まれているのではないかと不安になったり、そこらへんからひょっこり出て来るんじゃないかとあたりを見渡しては人の気配のなさに背中が寒くなるのを繰り返している。
 とにかく、気持ちが落ち着かない。それならただ待っているより、行動しているほうがいい。
 光が立ち上る場所は、園内の外れにあった。目立つ散策ルートから外れ、休憩用のベンチなどもない、少し寂しい場所だ。人が立ち入った形跡は薄いのだが、木々たちはしっかり手入れされている。園内の穴場スポットのような扱いなのかもしれない。
 ライトアップの明かりが遠ざかり、ケータイのライトを使いながら周囲を探る。時折目を瞑って光を視ながら進めば、木々の開けた場所に出た。
 そこに、枝垂れ桜が佇んでいた。柔らかな風が吹くたび、満開の花をつけた枝がさらさらと揺れる。幹は太く、あまりに豊かな枝と桜の花に圧倒され、いっそ神々しく見える。こんな気持ちでなければ楽しめたのだろうが、あの光が瞼の裏に焼き付いている。
「……普通の木だよな……」
 そろそろと近づき、桜を見上げる。さっき視た光の量があまりに大きかったから、目で見てわかるような異変があるのではと思っていた。強いて言うなら、人をすっぽり隠せそうな枝ぶりは少し不気味なくらいだ。
 ケータイのライトを落とし、木の幹に触れて少し考えてみる。
 目を瞑って視ている視界の中では、異変の原因であったり、現実の世界に存在しないものが光のかたちで映る。
 今まではどこに光があるか、どれくらい明るいかがわかればよかった。見つけさえすれば、白澤さんが解決してくれるからそれで良かったのだ。
 もっと、ちゃんと視たら何かがわかるかもしれない。
 木の幹に両手をぺたりと付け、目を瞑った。
 瞼の裏に仄かな光の残像がある。これは枝垂れ桜を照らすスポットライトの光だ。この光ではなくて、と頭上を見上げた瞬間、視界が切り替わった感覚があった。
 スポットライトで直接照らされているみたいな、眩しい光が目の前にある。光から目を逸らしかけ、耐えた。今は、この光が何で、どうすればいいのかが知りたいのだ。
 意識を光に集中させる。徐々に、ただ眩しいだけではなく光の強さが場所によって違うことがわかってきた。光は木の根から幹を通り、枝葉に向かって広がっている。根にある光はさほど強くなく、立ち上って見える光は幹や枝を通るものが主らしい。
 幹から手を放し、より強い光を放つ方へ手を伸ばす。手に触れる感触から、それが枝であることがわかった。
 特に強い光は、枝垂れ桜の垂れた枝の中にあった。じっと見つめるうち、光が輪郭を持ち、枝から花、膨らんだ芽まで、目を開いて見ているのと変わらないような像が見えてくる。
 見ようとするとここまで見えるものなのか。不思議だな、と思いながら枝を指先で手繰っていく。開いた花は柔らかい。小さな芽は、これから開くのだろうか。
 枝の先にあるやわらかな蕾に触れた瞬間、静電気のような、指先を刺すような痛みが走った。同時に、これを取り除かないといけない、と脳に言葉が浮かんだ。
 あまりに唐突に浮かんだそれを理解するのに、少し時間がかかった。何でそう思うのかはわからないし、桜の枝を折るのはよくないことなのはわかっているが、早くこれをここから失くしてしまわないと、という焦りばかりが膨らんでいく。
 蕾に触れても、もう痛みはない。けれど、視ている中でこの蕾をつける枝が、一際眩しい。失くしてしまわなければ。折らなくては。何でかわからないけれど、そうしないといけない気がするのだ。
 時折吹く程度だった風は、今ではちょっとした春の嵐になっている。さらさらと枝が揺れている。俺の手から逃げようとしているようにも、視える。
 ――後で白澤さんに謝ろう。そうしないといけない気がしたんですって、ちゃんと言えば何とかなる。
 枝を掴む。風が強く吹いている。ぐ、と指先に力を入れる。眩しい。指先だけの力では枝は切れなくて、両手で掴んでぐいと思い切り引っ張った。
 枝がしなる。もう少し、と力を込める。体重をかけて下に引いた瞬間、ぷつ、と頭上で音がした。枝が途中で切れたらしく、突然抵抗する力がなくなって尻もちを付く。
「痛ぇー……」
 目を開く。頭上で、枝垂れ桜の枝が力なく揺れている。俺の手の中には、さっき引っ張った枝がある。断面は薄い緑で、この中では比較的若い枝だったのかもしれない。
 桜には悪いことをしたと思うけれど、衝動的にやってしまった。最も明るい光を放つ枝を折ったとして、木全体の持つ光は変わっただろうか。確かめるために、また目を瞑る。今度は、スムーズに光を目で追うことが出来た。
 木の根にあった光は、ほとんど見えなくなった。幹から枝に伝う光も弱くなった気がする。俺の手の中にある枝が、今ここにあるものでは一番眩しい。
 さて、この枝をどうしようか。
 ふと、自分の後ろがぼんやり明るいことに気が付いた。スポットライトの残像にしては大きすぎ、手に持つ枝のそれよりあたたかな雰囲気のある光だ。
 まだ何かあるのか、と振り返る。枝垂れ桜から離れ、庭園の方へ一歩踏み出した瞬間、目の前に白い巨木が見えた。
 ――白い木なんて、さっき見ただろうか。
 巨木の根を視る。根は茶色だ。どこまで伸びているのだろうと見上げて、ぎょっとした。
 木ではなかった。それは、巨大な生き物の足と、その蹄だったのだ。白く長い毛、四本の足、小山ほどの大きさのある何かが、俺を見下ろしている。頭らしき部分に、天を突くような角が生えているのも見えた。外見だけ見れば、山羊や羊なんかの草食動物に似ている。
 像は段々鮮明に見えてくる。ぼんやりとしていた像の輪郭が浮き出て、黒い鏡のような瞳がじっと俺を見ていることに気が付いた。気が付いてしまった。その何かの額に、縦に入った皺がゆっくりと開いていく。
「野田くん」
「……っ!」
 目を開く。目の前には何もいない。背中を叩く手の温度と、聞きなれた声に慌てて振り返る。
「お手柄だね、それ私に貸してくれるかい」
 オーナーが、いつも通り何も変わらない様子でそこに立っていた。どこ行ってたんですか、というより先に手に持っていた枝を手渡していた。仕事が先である。
 手渡した枝は、オーナーの手によって処理を施されていく。折れた部分を札でくるまれ、先端の蕾を年明けの仕事で使った煙草の煙で燻しながら、枝全体をとんとんと叩く。周囲がざわざわと落ち着かない空気に変わった。雑踏の中にいるような、近くと遠くで人の声や靴音が聞こえるのに目には見えない。
「……今何してるんですか?」
「この桜の枝の内側に人が留められていてね、吐き出させているところだよ」
 あと四人くらい入ってるんじゃないかな、と言いながら桜の枝を撫でたり叩いたりしているオーナーを見ているうちに、段々力が抜けてくる。どうやら原因である枝を引っこ抜いて良かったらしい。桜の枝を折ったことを謝る必要はなさそうだった。
「ずっと美しく咲いていれば人がここにいてくれるのになって思っていたみたい、寂しかったんじゃないかな」
「……さっき白澤さんがいなくなったのは?」
「うっかりしてて連れていかれてしまった、お恥ずかしい」
 野田くんのおかげで助かったよ、とにっこり微笑まれると、安堵でいっぱいになって、身体の力が抜けた。その場にしゃがみこんで、大きく息を吐く。
 何とかなって、よかった。俺にできることが役に立って本当によかった。同時に、オーナーに頼りきりであることもわかった。一人になったときどうすればいいか、この後相談しておこう。今はもう、何も考えたくない。
 しゃがみ込む自分の影を見て、さっき見たもののことを思い出す。白い、よくわからない生き物だ。桜が人を捕まえていたのなら、あの白い何かは一体何だったのだろう。
「オーナー、さっきここででかい羊……山羊? みたいなのが見えたんですけど、何かご存知ですか?」
「でかい、何……?」
「白くて、角が生えてて……?」
 確かに見たはずなのに、記憶が遠い。何を視たのか、思い出せなくなってきている。頭を抱える。こんなに記憶力が弱くては、オーナーの助手なんか務まらない。
「思い出せる?」
「見たはずなんすけど、はっきり思い出せなくて……」
「……わかった、調べておくよ」
 桜の枝の処置は終わったらしい。オーナーは枝をずるずると引きずりながら歩き始めている。その背中を追いかけ、枝垂れ桜を振り返る。ただそこに咲いているだけならきれいなのに、桜が咲いているときしか人が訪れないのが寂しいというのは難儀だろう。
 また、風が吹いた。桜の花びらが舞う。どこまで飛ぶのだろうと目で追ったのだけれど、夜の闇に溶けてわからなくなってしまった。

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