護憲教

今回のウィルス騒動ではっきりしたこと、日本が他国と異なることの根本は何か? それはただ一点、明らかに現代の独立国家基準を満たしてないこと。もっとはっきり言えば国家としての体をなしてない、国民の意識や国家としての法律や制度が他国のそれらとは明らかに「不備、欠落」があるという事実。この事実を認めて「不備、欠落」をどのように補うのかを議論する必要があるのではないか。

今回の「騒動」で国家としての法基盤、憲法で守るべき最大の「思想」として所謂「憲法9条:平和主義」を掲げる自称護憲派が最も守りたいこと。それはこの9条そのものではなく「個人の権利を制限しないこと」だと思うようになった、「憲法9条を守れ」は隠れ蓑にすぎない。自分の解釈では国家という制度の上に「個人の権利」があるという構図を守ること。この構図を死守するためには何でも利用する、そう考えると色々と納得できる。

護憲派について:
タイトルにあるように現在の「護憲派」は一神教よろしく現行憲法を経典としこれを議論、改正しようとすることは背信行為であり異端審判の対象となる、という中世思考を信奉する集団、勢力に等しい。一神教というより一信教と書き直した方が正確かもしれない。自らが絶対と信じ、万能であると信じるのであれば議論しても相手を説き伏せ、納得させられるはずだが現状そこまでの自信はないようだ。案外現行憲法の問題点を一番理解できてるのはこの「護憲派」かもしれない。

個人の自由、権利について:
「個人至上主義者」にとって国家は個人の自由、権利を保障すべき「形態」でありこの自由、権利を制限するものではない、制限してはならない。つまり国家は個人の自由、権利を保障する形態であれば何であっても問題ない。将来ではなく今現在の保証さえあれば。国家は個人に尽しても個人が国家に尽す必要などないとの考えしかない。

議論を避ける風潮:
一番の問題はこれだと思う、議論ができない、自らの主張の正当性のみを訴えることしかできない。社会的地位を利用して強要、恫喝で自らの主張を押し通すもの。全く関係ない行為や発言で相手を非難、攻撃して自らを正当化するもの。全ては自分の「自由、権利」を守るために、将来ではなく現在の自由と権利のために。他者との意見相違や利益衝突を議論で解決できない、するつもりがないためこうなる。個人間の問題だけであれば困った風潮ですむが「個人至上主義者」は国家のことなど頭の片隅にもない。俗にいう「利権」にしがみ付く連中、流行りの言い方では「グローバリスト」?

個人として今後どうすべきか:
では個人としてできること、どう考え行動すべきか? 一度冷静に個人と国家という制度について考えるべき時ではないかと思う。無限の自由、権利を主張することが将来の自分を含む個人のためになるか、自由、権利の一部を委譲できる環境をつくるべきかを。具体的に何ができるか、何をすべきか、簡単に結論はでない。しかし現状、自分たちが置かれている状況は正確に理解しておく必要がある。つまり、個人と国家の関係をそして自分の「意見」をすくなくとも他人に説明できるように。