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「 #わたしの食のレガーレ 」 コンテスト SUZUの好きなnoteをご紹介


#わたしの食のレガーレ 」コンテスト


suzukyuin特別賞を昨日発表致しました。

素敵なお話を共有してくださったお三方に感謝致します。


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で、他にも応募くださった中でSUZUが個人的に好きなnote作品を、是非皆さまに読んで頂きたいのと思いましたので紹介しますね。


このnoteのエピソードは大好きです!

飲食店ってほんと生きるために必要な「食」だからこそ、いっとき擬似家族みたいな錯覚に陥ることがあります。

そしてとても良いことに、お互い責任のない立場にいるからこそ「理想の家族ごっこ」が心置きなくできたりします。それがこのnoteによくあらわれていて「お父さん」と「お母さん」の「たくらみ」にぐっときました。

生きるために食べる場所で紡ぐことができる「家族」のあったかさ、飲食店の役割みたいなのを再認識させてもらいました。

マリナ油森さま、佳きエピソードを書いてくださってありがとうございます。


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そして次は接客の本質について大変勉強になるnote

サービスや接客でよく言われる「言われなくても察しろ接客」ですが、ここに書かれた大将の高度な「察する」が本物なのだとわたしは考えています。

場をコントロールする接客って超高度テクニックなんですね。このnoteにはそれが詰まってました。

「お客様のニーズを察しろ」というのは場のコントロールまでセットなんですよ、ってことをちゃんと教えてくれる「サービス師匠」に出会えるって素晴らしいです。接客って技術なので。

多くの「察する接客」は単なるドタ勘に頼ったものが多く、実は外してる人が多いので的外れな接客なりがちなのですが、この大将の「察する」は非常に理にかなっておりドタ勘からの察するではないんですよね。この差がわかるようになると良い接客に近付けるのではと思っています。


もともとエスパー能力も無いのに客のニーズを勝手に「察する接客」って害悪だと思ってまして、わたしはこんな記事も書いていますので

ANAはお客様のニーズを100通り察する教育をしてるよ(ドヤ)ってやった結果、客側は言わなくても察してもらえることに甘んじてしまい、意思疎通ができず不幸になってしまったお話です。

「察するサービス」って究極的には客を幸せには出来ないんですよね。

接客って誰にもできるものではありません、マニュアルとかが無効化される「その時々で変わる感情を持った人間」が相手だからです。

もうそろそろ、「察するサービスはよくない」って気がつく人が出てきてもいい頃だとおもってます。


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そしてグランプリ作品についてはこちら↓をご覧ください。

#わたしの食のレガーレ 」コンテストは2020/06/01にnoteでグランプリの発表がありました。

なんとグランプリ作品はsuzukyuin特別賞とのダブル受賞、破烈さまの作品でした!!

破烈さま、改めておめでとうございます。

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