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書記が美術史やるだけ#11 イタリア・ルネサンス美術-1

問題



解説

ルネサンス(Renaissance)は,「再生」「復活」などを意味するフランス語であり,古典古代(ギリシア,ローマ)の文化を復興しようとする文化運動を指す。

(1)誤りフィリッポ・ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi, 1377年 - 1446年4月15日)は,イタリアの金細工師,彫刻家,ルネサンス最初の建築家であり,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の設計を手がけた。ここで,独立した2重の構造を持つドームを採用することで巨大な円蓋が実現された。また,ブルネレスキは,鏡面にフィレンツェの建築の輪郭を写し取ることで遠近法を幾何学的に実証した。

レオン・バッティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti,1404年2月14日 - 1472年4月25日)は,初期ルネサンスの人文主義者,建築理論家,建築家であり,『建築論』などの理論書を残した。

(2)誤りドナテッロ(Donatello,1386年頃 - 1466年12月13日)は,ルネサンス初期のイタリア人芸術家,金細工師,彫刻家であり,立像や浅彫のレリーフを制作した彫刻家として有名である。図は『ダヴィデ像』であり,フィレンツェの銀行家コジモ・デ・メディチ(Cosimo de' Medici, 1389年9月27日 - 1464年8月1日)の依頼により制作された。

ロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti,1381年頃 - 1455年12月1日)は,初期ルネサンスの彫刻家,金細工師であり,『イサクの犠牲』などの作品を残した。

(3)正しいマサッチオ(Masaccio, 1401年12月21日 - 1428年)は,ルネサンス初期のイタリア人画家であり,最初に透視図法を使用した,また絵画に消失点などの概念を導入した画家の一人である。図はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会『聖三位一体』であり,体系だった透視図法が特徴的である。マサッチオの影響を受けた画家は数多く,フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi, 1406年 - 1469年10月8日)やフラ・アンジェリコ(Fra' Angelico / Beato Angelico,1390年 / 1395年頃[1] - 1455年2月18日)などといったフィレンツェ派の形成にも寄与した。

(4)正しいルカ・デッラ・ロッビア(Luca della Robbia, 1400年 - 1481年)は,フィレンツェ出身のイタリアの彫刻家であり,『カントリア』に見られるような甘美な様式を特徴とする。この時代には,コジモ・デ・メディチの孫であるロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de' Medici, 1449年1月1日 - 1492年4月8日)により,ルネサンスの文芸や芸術作品が保護された。

(5)誤りサンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli, 1445年3月1日[1444年とも]- 1510年5月17日)は,ルネサンス期のイタリアのフィレンツェ生まれの画家であり,『プリマヴェーラ』『ヴィーナスの誕生』などの作品を残した。

マルシリオ・フィチーノ(Marsilio Ficino 1433年10月19日 - 1499年10月1日)は,イタリア・ルネサンス期の人文主義者(Renaissance humanists)であり,メディチ家の保護を受けプラトンなどギリシア語文献の著作をラテン語に翻訳した。フィチーノはプラトン・アカデミーの中心人物であり,これには多くの人文主義者が集まったほか,ボッティチェッリにも影響を与えた。

ジローラモ・サヴォナローラ(Girolamo Savonarola, 1452年9月21日 - 1498年5月23日)は,フェラーラ生まれのドミニコ会修道士であり,1492年に実権を握って神政政治を行ったが,後にローマ教皇によって焚刑とされた。


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