見出し画像

シャッターを切らなければいけないと思った、熊本県・益城町

なかなか報道されない現状を1人でも多くの方に知って頂きたいと思っていますので、近くの方にでもシェアしていただけると嬉しいです。
短期的な支援では、復興はなかなか難しいということ。必要な支援は経過時間と復興状況で異なります。本当の復興には長期的な支援が必要で、そこには必ず資金が不可欠になります。最後に益城町に資金援助ができるリンクを貼りました。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
【2020年7月31日に記載した記事を再度、構成し直しました】

私の故郷ではないが、私にとって大切な場所になっている熊本県。2016年に熊本地震後、益城町の現地に足を運び、2020年に益城町と九州豪雨水害の現場である球磨川周辺に足を運んできた。

百聞は一見に如かず

報道されることはどうしても、ごく一部にしか過ぎず、他のニュースが入ってくることで報道時間が短くなりやすく、時間経過とともに報道される頻度が減るとまるで「もう大丈夫な状態まで復興したのかな?」と誤解を招きやすい。なので、私の目に映ったものに小細工を入れず、耳にしたことを代弁し、リアルを届けられたらと思い、ここに綴ることにした。


2016年4月 熊本地震

サッカー選手時代に所属していたチームは熊本県の益城町を本拠地としていた。
震災当時、私は福岡県で教員をしており、元チームメイトから得られた情報と自分が足を運び、見たもの。

そして、2020年の今を比較していく。

2016年4月24日と2020年7月27日。私は益城町を訪れた。

スクリーンショット 2022-03-21 19.40.03

みんなで練習していた場所は簡易テントが張り巡らされ、人工芝のグランドは隆起していた。奥に見える隣のグラウンドには、震災によって発生した処理待ちのものを一時的に集める場所になっていた。

人工芝のグラウンドが綺麗に再建され、簡易テントは見当たらない。安全性の確保が難しいと、所属していたチームはチーム名を変え、本拠地を移動せざるを得なくなった。

スクリーンショット 2022-03-21 19.40.28

自衛隊の車掌置き場と自衛隊のテントが設営されていた広場。奥の緑の屋根は益城町総合体育館であり、私の元職場だ。

スクリーンショット 2022-03-21 19.40.48

天然芝の養生中で入れないようになっていた。総合体育館は綺麗に立て直されていた。

スクリーンショット 2022-03-21 19.41.01

コンクリートの円柱は地震の影響で傾き、道は破損していた。館内にはいると、廊下などのスペースで横になる被災者。柔道場では、個人プライバシーのための仕切りはなく、多くの被災者がそこを過ごす場所としてりようしていた。

スクリーンショット 2022-03-21 19.41.13

元勤務先であったのに、この日が休館日ということをすっかり忘れていて、館内には入れなかった。それでも、このように再建されたことを嬉しく思う。

スクリーンショット 2022-03-21 19.41.21

売り上げの一部がチームの活動資金に回させるという、よくある自動販売機。私が所属していたチームの自動販売機が震災によって、倒れていた。

スクリーンショット 2022-03-21 19.41.31

元の位置に戻された自動販売機の横には、ロアッソ熊本の自動販売機が並んでいた。安全性の保証が難しいということもあり、私が所属していたチームは名前を変え、本拠地を移動せざるを得なくなった。今もチームはこの場所で活動はできていない。

スクリーンショット 2022-03-21 19.39.42


震災直後、熊本県出身の漫画家・尾田栄一郎氏から「必ず助けに行く」という趣旨のメッセージが届いたことから始まった、このプロジェクトは、今現在も続いている。これは尾田栄一郎氏の作品であるONE PIECEに出てくるキャラクター・サンジであり、熊本県内にその他のキャラクター像が設置されている。

2020年3月末に予定されていた新たなキャラクター像の除幕式はコロナの影響で延期されているが、多くの人が熊本県に、被災地に足を運ぶきっかけを設計している。

長期的な復興支援には必ず資金が必要である。

私が2020年4月27日に訪れた益城町は、震災から約4年の月日を迎えた。記憶を辿り、益城町総合体育館周辺をぐるりと回ったが、まだまだ多くの重機が整備を行っており、倒壊した家屋があったであろうその場所は、更地になっていた。

調べたところによると、震災前と震災後では益城町の人口が約半分にまで減少したようだ。

(参考資料リンク先↓【平成28年熊本地震からの 復旧・復興に向けた取組み】)
https://www.town.mashiki.lg.jp/kiji0032076/3_2076_8111_up_e05sdqr0.pdf

4年経った今も仮設住宅をしている被災者は多くおり、義援金の受付を今現在もしている。復興活動は長期戦だ。

そのことを痛感し、7月に豪雨災害の被災地となった球磨川周辺へと向かった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
下記のリンク先から益城町に直接、義援金を送ることも可能です。
(追記:令和3年3月31日をもって義援金受付終了)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?