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#フリースクールに通っていた宮崎鈴子 2017.1.19

#鈴散歩振り返る地行
#フリースクール
#不登校の宮崎鈴子
#宮崎鈴子は中学校に行っていない
#宮崎鈴子のフリースクールは緊急の逃げ場だった

この日も27歳に間もない継続中のわたし。
今から話すのわ、まだ天才が発揮されていない13~15歳の中学生時代。

わたしは、中学校1年生の3学期と中学校3年生の6月から学校に行かない不登校だった。
実際にわたしが通っていたカウンセリングもフリースクールも児童相談所にある臨床専門期間の中にある所だった。

お次はフリースクールについてまとめる。

ここからは、福祉大学生時代に書いた卒業論文を完全なるコピーした記事(笑)
*フリースクールに通って感じたこと
→初めて来た時、小学生の頃に放送されていたTBSドラマ:キッズウォーでフリースクールというのが出てきており、架空かと思っていた。まさか本当にあるものとは思ってもいなかったというのが第一印象だった。
ここでは、朝9時から昼16までの日中活動を送っていた。朝きっちり来るのが難しいなら昼から来ても良しとされ、特に時間の規定は無かった。(カウンセリングを受けてから、来たという場合もある。)
おおまかなスケジュールで言うと、朝:ホームルーム・レクリエーション、昼:相談・勉強時間という日々だった。
通っていたメンバー様々な理由を抱えていた人がほとんどだった。例えば、「制服が嫌で学校へ行く気になれなかった」「周りが自分に近寄ろうとせず、集団無視された」「家庭環境とぎくしゃくしたり、色々と重なった」「睨んでもいないのに目付き悪いと誤解されていじめられた」「好きだった人から嫌われて裏切られた」「学校がめんどくさい」「周りがうるさいって言ってきて、辛くて学校に行かなかった」と本当に様々だった。時にフリースクール先生のみならず、女性の教育実習生も来て一緒になって活動していた。
それでは、わたしがフリースクールでどのような活動をしたのかについて挙げると。
初めて見学として来た調理実習・海に散策・登山・2泊3日のキャンプ・運動会・運動公園に行ってレクリエーション・福岡タワー見学・受験生への面接講座・スケート体験・卒業式を体験(経験)した。このように取り挙げると1年いたのではないかと思うだろうが、実際は中学3年生の10月から3月までの半年しかいなかった。
振り返ってみると、実際に通ってみて半年ではあったが普段の学校生活と比べて、楽しいや辛いという気持ちよりも何となく新鮮と感じる経験(体験)が多かった。長い間、中学校に行っていなかったので”普段の学校生活”という感覚を忘れていたというのもあえうのだが、フリースクールに通ってみると「よくも悪くも平凡な学校生活」のようにも感じた。
何故ならば、一見”平凡”と言うのは簡単で安易に聞こえるようだが、これがなかなか”ごく普通なこと”、”ごく当たり前のこと”が気づきにくく難しい。たとえ、日々の生活がよくても悪くても「変わり無く一定に過ごして普通な日」だったというのは意外と大切な一日を過ごしたととらえても良い気がする。
せっかくなので母親が当時フリースクール通っていたわたしへの本音も載せる。
「フリースクールに行くことで”すぐ学校に戻ってくれる”と期待してた」
「専門のカウンセリングに通えて良かった」
「フリースクールにの先生から”ここに来たら、元の中学には戻れない”と言われたけど、言い方としては辛かった。先生に対して許せないと思ったし、良い印象も無かった。」
「鈴子のことを考えると良い印象=合うところで不登校を克服してくれるとならば、私の気持ちは置いて、鈴子がフリースクールへ通う事を中心に考えるようにした」とのこと。
わたしの中ではすでに、たとえ義務教育であろうと中学校と縁を切ったと思っていたし、中学校へ戻る気(登校復帰)は全く無かった。只でさえ、人間関係や思春期の不安定で問題になっていたので意地でも復帰をする意思も全く無かった。
ちなみに、決してこの経験が無駄だなんて一切思っていない。わたしにとってのフリースクールは、居場所とまでは行かないが”緊急の逃げ場”だったと感じている。

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