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#福岡西方沖地震から13年経ち28歳のスズコ ➡2018.3.20 #宮崎鈴子の写メ詩

どうも、みやざきすずこです。
大好きで愛する皆、今日も生きていますか?
改めて口調が違うと思いますが、今日は3月20日です。
福岡の皆さんはご存知の通り…2005年3月20日に福岡西方沖地震が起きた日でもあります。
今日で13年となりました。
詳しくは各自Wikipediaでお勉強してください。
あまり記念日みたいな感じではなく、縁起が悪いので書きたくない反面もあります。
ですが、日々過ぎていくからこそこういう出来事の振り返りはやはり必要だと思うのです。
ちなみに当時のわたしは、すでに中学校を卒業しており高校に入学する年でした。
当時は地震が起きる前5分前にちょうど目が覚めてリビングに行こうとした途端に揺れました。
もう放心状態で何も気力を失っていました。
1番冷静になって行動を起こしたのは妹で、1番慌ててパニックになって泣いていたのは母親というのを未だに覚えています。
父親は、長崎に単身赴任をしていたので、母親1人で娘2人の子育てというシングルマザー状態でした。
母親は、泣きながら友人・父親・知り合いに電話をしていたのも覚えています。
とにかくわたしは、放心状態で何にもする気が無く、その日は警戒して眠れませんでした。と当時の地震経験を振り返ってみました。
我が家でがは今でも地震の話をすることが暗黙のタブーです。
それから13年経ち、28歳の年に至っています。
どんな事かあっても自然現象は逆らえないもの。

西方沖地震のみならず東北でも津波という自然破壊が起きました。西方沖のよりもより恐ろしいという。
それでモノ・家のみならず何も悪くない人達の命まで奪って去ってゆきました。非常に悲しく寂しいです。
周りは、被災者さんのためになんかしようとたくさん行動を起こしました。
しかし、わたしは対して行動を起こしませんでした。
当時は罪悪感と悲観に陥っていましたが、今を振り返るとあえて起こさなくて良かったと思っています。
それは、よくよく考えると・・・お月様に願い事も兼ねて神頼みをしていたというのもありますし、人のためより自分がいかにして幸せでいるか・今という60秒間ごとを大切に生きるかという方向な考えを持つようになったからというのもあります。
以前、父親と話していたのが「今でも被災者に募金や支援をしよるごたあけど、はっきり言ってそこまでせんで良いやろ~?」と考えが一致しました。
゛周りは、良かれで物が足りないと物を与えればどうにかなるだろう゛と何だか違う気がします。確かに表面で見る事が多いから、内面まで見るのは難しいのも否めません。
物より心を使った形で支援をしてゆく方が大事で必要になってくるのではないでしょうか。
それは、”笑顔・自信・希望”という形。

正直、わたしは福岡にいて東北からは非常に遠い距離でこれからも被災者さんのための支援はしません。
ただ、その代わり別の形で宮崎鈴子が今あるもの・今は何が必要かというのを軸に貢献をしてゆきます。

そうやって地震が起きて13年経った今日…わたしは生かされています。

#福岡西方沖地震から13年経ち28歳のスズコ
➡2018.3.20 #宮崎鈴子の写メ詩

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