生活の拠り所とするところ

2021年上期がもうすぐ終わろうとしています。緊急事態宣言もなくなったものの、まだまだ油断はするな、とかオリンピックを開催するなんてけしからんとか、中止であるべき、無観客でするべき、なんて言われていますが。

海外のワクチン接種率の高い国ではどこ吹く風でマスクを外して屋外で会食を楽しみ人との逢瀬を楽しんでいる様子が映し出されています。

この1年ですっかり海外の各国の友人とオンラインで気軽に会話する習慣ができました。たいして時差も気にせず気軽に時間も決められる。今日、明日いい?みたいな。

海外在住日本人もいれば、外国人もいてコロナに対する鬱屈した気分は誰でも同じ。そしてオリンピックには誰もたいして興味がないのも同じ。まあ世間はそんなもの。私は開催してほしいし有観客もアリだと思っています。バスケもサッカーも有観客でしっかりやっているからねー。屋内ライブもコンサートも実施しているし、オリンピックだけ禁止となるとちぐはぐな感じがして否めない。

この1年で宗教を信仰する友人、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教などと話をする機会が多かったり文献もたくさん読んだ。何より身近に感じる機会が多かったから。

誰もかれもが人と人とのつながり、愛を大切にしているという話。日本では経済か人の命かどちらが大切なんだ?!みたいな論調がメディアでは多かったような気がしていた。どちらか?しか選べないものではない。と思っていた。

で、海外の友人たちは一貫して、人と人との繋がり・交流を求めているような気がして。人の命が大切なのは当たり前だから、ロックダウンをして経済的な補償も手厚くする。それでも行動制限を守らない、日本人は真面目だね、なんて揶揄されていたけれど、ルールに対する真面目さではなく、人は人と会い交わり交流しないと生きていけないということがベースにありすぎるからではないかと。

なんせ、家族や兄弟姉妹、友人でもアイラブユーを挨拶代わりに使う人々。相手に思いを伝える言葉は100通りあるんだよ!!とエジプトに住むアラブ人の友達に力説された。
今スグには会えないけど、いつ会える?来月、来年?みたいな会話はしょっちゅうしている。インシャーアッラー(神のみぞ知る)的なところはあっても、会いたい気持ちを最大限伝えるということ。実際に会えるかどうかという現実的に予定を横に置いておいて、とにかく、会おうという熱意はみんなすごい。

来年、押し寄せてくる波。私も押し寄せる側の波になろう。

みんなに会いに行こう、というのが今のモチベーションであり日々の大変な生活の中の拠り所です。

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