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「初代プリキュア最強論」が揉める理由

『天気の子』の放映に合わせて、初代プリキュア最強論が盛り上がったらしい。
が、この初代最強論はとかく揉めがちな話題であり、なぜかスルーされない傾向にある。

初代最強論が発生する理由

初代最強論は(ひとまず事実誤認のある点は置いといて)主に肉弾戦や映画の描写が根拠になっており、要するにフィジカルの強さを論じている。実際、マーブルスクリューなどの飛び道具が言及されることは少ない。

これは、

①数値スペックが設定されていない
②マッチョイズム

の融合なのではないかと思う。

「最強の仮面ライダーはディケイドかハイパームテキかオーマジオウ」「最強のウルトラマンはキングかレジェンドかノア」と言われても、だいたいは「まあ、そうだよね」となるだろう。(異論は存在する)
これは劇中の描写だけではなく、彼らが圧倒的に強いことが設定として明文化されているためかと思う。

もし「キュア〇〇はパンチ力10トン、キック力25トン、飛行速度マッハ3、プリキュウム光線は厚さ10cmの鉄板を貫通する」といった設定があれば、おそらく数値の高いプリキュアが最強と言われることになるだろう。
もちろん、実際問題数字が上のほうが強いというのも乱暴な解釈であり、実際に戦った場合のシミュレーションの余地は残る。しかし、強さに関する明確な設定があれば、とりあえずは優劣がつけられるだろう。
こうした数値設定による比較ができない以上、イメージによる比較がメインになるのはやむを得ない。

イメージという点で見ると、女児アニメとしてはかなりアバンギャルドな作品として作られた初代は、戦闘シーンでフィジカルの強さを強調している印象が強い。
バンクによる個別攻撃や特殊能力が無く、回転を伴う連撃など目まぐるしいアクションを基本とし、アオリによるパワフルな構図、着弾地点の破損など身体的な傷みを伴うダメージ描写など、フィジカルを強調した演出が目立つ。後続作品でも同様の場面はあるが、傾向としてやや形式的な表現にとどまる印象だ。
また、初代は変身、名乗り、必殺技のすべてのパートで一切笑顔を見せず、これも初代が特に過酷な戦いをしている印象を強める。少なくとも、ここ数年見られるような変身に伴う自己実現的なポジティブなニュアンスは薄い。実際、初期には変身をかなり強く嫌がるエピソードもあった。
決して後続のプリキュアがラクをしているわけではないのだが、初代と比べて相対的にそう見えてしまう要因がそろっている。

ここに、「身一つで戦ってこそ正々堂々とした態度である」「つらい思いをして頑張ったほうが偉い」といったマッチョイズムが加わることで、初代こそが最強というイメージができるのではないか。
すなわち、「キラキラ笑顔でビームを撃って敵を倒す最近のプリキュアより、素手で怪物と殴り合う初代のほうが強いはずであってほしい」という願望が働くことでバイアスが生じ、初代最強論が発生してしまうのだ。

過激化する反・初代最強論

無邪気に初代最強を唱える層に対して苦い顔をする反・初代最強論者は、

①強さによる比較を否定する
②初代が最強とは断言できない根拠を提示する

といった反応を取る。

①については好みの問題なので個人の自由だと思うが、しばしば「強さの比較はテーマの読み違えである(プリキュアの強さとは心の強さである、プリキュア同士で強さを競うのはプリキュアの精神に反する、等)」と最強論者の理解不足を指摘するパターンに発展する。

②についても反証を示して「だから初代以外のほうが強い場面がある」となるが、ここで「そんなことも知らないのに(全部見てないくせに)語るな」とセットになるパターンが多い。
また、「レジェンド故に下駄を履かされている」という理由で、演出上の補正がかかっている劇場版での活躍を除外する向きもある。この場合も、「テレビシリーズを見ないで映画の印象だけで語るな」という話に発展する。(個人的には、登場キャラクター数が多いため活躍に偏りが出るのは当然だし、「恣意的に補正がかけられているから」と例外扱いにするほうが恣意的ではないかと思うが)

いずれも、要するに「無知なニワカは黙っていろ」ということである。

「〇〇も見てないのに語るな」「お前の見方は本物のファンの見方じゃない」という論法は、古参オタクが陥りがりな知識マウントである。
もちろん、僕もオタクの一員としてそう言いたくなる気持ちは分かる。新参者は得てして声が大きく、事実と異なる主張や一部分を切り取って面白おかしく喧伝しがちなので、イラッとするものである。
だからといって、訂正の域を超えて”初代最強”という見方そのものを否定するのは、自分の好みでない尺度で語るファンを切り捨てる行為である。
個人的な好みという感情の問題を、さも「これが正しいファンのあり方でござい」と主張する姿は、とても見苦しい。
「すべて見るまで口を開くな」というメッセージを発することは、新規参入のハードルを上げ、長期的にはコンテンツの先細りを招く。まさに老害と言っていい。

この世界には、自分と違う好みや、自分と異なるものの尺度をする人がいるものである。
「自分は誰が最強とか興味ないけど、あなたは初代が最強だと思うんだね」と相手の考えを否定しないことが多様性につながるものと思うが、「いや、それは間違いである。なぜなら~」と突っかかってしまうのがオタクの性分である。

最強のプリキュアは誰か

最強のプリキュアは誰か。
それは誰でもない。

プリキュアは今年で18年目に突入する長期シリーズだが、ずっと見続けてきた古参オタクは「他人の”大好きな気持ち”」を否定してマウントを取り合う。
今日もネットのどこかで「われこそはプリキュアのすべての知識と唯一絶対の解釈を知っており、初代が最強などと抜かす連中は何も知らないのだ」と、多様性と真逆の世界を目指す。

プリキュアの想いは誰にも届いていない。
無意味な戦いを続ける彼女らに、最強などいるはずもない。

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