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レジェンド商法はウルトラマンの新しい文化となった

新作『ウルトラマンZ』のPVが公開され、がぜん期待が膨らんできた。

・格闘技主体のテクニカルなアクション
・ゼロばかりかジード/リクまで登場
・アツさを前面に出したヒロイックな雰囲気
・わりとどうかしてるロボット部隊のチョイス
・田口清隆の練り込んだ設定や、凝った映像美

……等々、実にワクワクする。

ゼットのフォームチェンジも明かされ、今度は3体のウルトラマンの力で変身すると。

で、それを見て、こう思った。

歴代ヒーローの力を借りて戦う、いわゆる”レジェンド商法”は、ウルトラマンの世界の新しい文化として定着したのだな、と。

この、ウルトラレジェンド文化が生まれるまでも経緯を思い返すと、実に感慨深かったので、健忘録的にまとめる。

1.小アイテムを介した玩具の連動~『仮面ライダー龍騎』における革新

『龍騎』では、後のシリーズに多大な影響を与えたいくつもの革新的な要素が導入された。
当時隆盛を誇っていた『遊戯王』や『ポケモン』のエッセンスを取り入れたアニメ的なデザインのモンスターとの共闘、”悪のライダー”の登場、信念の衝突による人間同士の凄惨な争い……等。

が、ヒーロー番組が玩具の販売促進としての側面をもつ以上、玩具ギミックについて避けて通れない。

『龍騎』では、大きく3つの革新的なギミックが導入された。

①カードを介した変身アイテムと武器の連動
②玩具システムに組み込まれた戦闘シークエンス
③システム音声による脱熱血

1-①カードを介した変身アイテムと武器の連動
複数の商品が連動は購買意欲を大きくかきたてるが、従来のシリーズでは散発的な登場にとどまる。

確か『特警ウインスペクター』のギガストリーマーが、武器同士の合体をギミックとして盛り込んだ初の商品だったと思う。マックスキャリバーとの合体が特撮ヒーロー初の合体武器と聞いたおぼえがある。
その後もメタルヒーローシリーズでは番組後半に登場する大型武器が初期装備と合体するのが定番となる。

スーパ戦隊シリーズでも、『鳥人戦隊ジェットマン』のバードブラスターとブリンガーソードを合体させたジェットハンドカノンのような、武器同士を合体させた威力向上は定番だし、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のハウリングキャノンのような、メンバーの個人武装を合体させる大型キャノンも90年代後半~00年代前半に多く見られる。
が、戦隊の合体武器はどちらかと言えば「複数モードで遊べる単一商品」といった印象が強い。
『ジェットマン』のバードブラスターとビークスマッシャーを合体させたスマッシュボンバーのような、「番組後半で登場した武器を初期装備と合体させる」パターンも多いが、なぜか活躍の印象は薄い。
おそらく、戦隊はなりきり玩具とロボ玩具の二本柱のため、番組の構成上巨大戦が〆になるためではないかと思う。

仮面ライダーシリーズでは、変身ベルトがメインの商材で、武器は補助的なアイテムという印象が強かった。
が、『龍騎』ではすべての武器や技の使用がカードを介して行われるため、カードデッキである変身ベルトと、カードを読み込む武器(便宜上武器と呼ぶ)の使用が必須となった。

パワーアップという特別なイベントではなく、年間を通して通常戦闘で恒常的に複数の玩具を連動させる。
ベルト一つで仮面ライダーになりきれたのが、ベルトと武器を買わなければ再現できなくなった。

『龍騎』に登場したカードシステムによって、ヒーロー玩具は龍騎以前と以後で分けられるほど変わったと思う。
まさに革新だ。

(それにしても、こういったガチャガチャした玩具の操作を安っぽく見せない演出の妙、”オモチャ”を自然に登場させるストーリーの巧みさには、舌を巻くばかり。例えば、会話の相手がポケットからカードデッキを取り出したので、目線を下げて相手の手元を見ることで一触即発の緊張感を示すシーンが何度かある。時代劇でサムライが刀の柄に手をかける動作と同じ効果を、カードによって行っている)

1-②玩具システムに組み込まれた戦闘シークエンス
たいていの戦闘は、変身→殴り合い→必殺技、といった流れで進行していく。
『龍騎』では、そのすべてのシークエンスでカードを使用する。

変身時にはカードデッキを掲げ、武器カードや能力カードで戦闘を行い、必殺技カードでトドメをさす。
こうした進行は、従来は子供が自由に行っていたが、カードによって規定されるようになった。
「剣のカードです。剣で斬りかかって!」「必殺技カードです。さあ、ライダーキック!」と。
これによって、なりきりの再現度が飛躍的に向上した。
思いつきで行っていた”子供の遊び”から、TVと同じ流れ=”正解”を再現できるようになった。
完成度が高まることで、なりきりの没入感が高まったのだ。

ただし、カードを引く順番はランダムになってしまう。
ので、この点は早くも翌年の『仮面ライダー555』で完璧になり、『仮面ライダーカブト』で変身解除まで含めた洗練された形となり、『炎神戦隊ゴーオンジャー』の炎神ソウルを引き継いだ『仮面ライダーW』のガイアメモリの登場によって、現在まで続く様式が完成する。

1-③システム音声による脱熱血
ヒーロー物といえば、武器やメカ、技の名前を叫ぶのが通例だったし、今もそうだ。
が、大人のファン層(というか抜け出せずに大人になった層)が増え始め、90年代に入ったあたりから、特撮ヒーローでもリアル志向のパッケージ作品が出始める。(大人向け作品が出てくるのは、アニメのほうがやや早かった印象)

それを受けて、子供がメイン視聴層のTVシリーズでも『ブルースワット』『ウルトラマンティガ』のような気合の入った作品が出始めた。
が、やはり玩具の扱いには苦慮していたように思う。
『仮面ライダークウガ』では、玩具のデザインがリアル志向の作風に寄せられ、違和感の無いように登場してきた。(このへんはさらっと流す)

リアルとは具体的に、技の名前を叫ばなくなった。
技や武器の名前を宣言する理由は、視聴者に行動を予告するためであり、見世物っぽさが非常に強い行為だ。リアルとは対局にあると言っていい。
……剣道は叫ぶけど、まあ置いといて。

が、叫ばなくなると今度は、地味になった。
なりきって遊ぶ際には、かけ声が無いと必殺技かどうか分かりづらい。
独特のポーズがあるウルトラマンならともかく、ライダーキックと普通のキックの違いは、技の名前を叫ぶか否かだ。

そこで『龍騎』では、システム音声が「ファイナルベント」と技を宣言することで、リアルさの担保しつつ技名を叫ぶという離れ業を実現させた。
トラックが「バックします」としゃべるようなもので、現実にも似た機能はある。
次の行動を宣言することで視聴者がグッと引き込まれ、無機質なシステムによって命が奪われるという無慈悲な恐ろしさを感じるという、演出上の効果も大きい。

こういった理由で、小アイテムと連動する玩具は、子供が遊ぶ上でも、ドラマ性を担保する上でも、非常に有用なシステムであると思う。

2.レジェンドの概念の投入~『仮面ライダーディケイド』が築いたもの

「平成ライダー」というファンが使っていた呼称を取り込んだ『仮面ライダーディケイド』では、玩具において今なお続く「レジェンド商法」が生まれるきっかけになった。

ヒーロー番組の商品としての寿命は、少数の例外を除いて1年程度だ。
が、その古い番組のヒーローを先輩=レジェンドヒーローと位置づけたことで、番組終了後も名義を利用した商品展開が可能になった。
これは『仮面ライダーW』以降の小アイテムと非常に相性がよく、レジェンド商法の登場によって毎年IPが増え続けるという正のサイクルが出来上がった。

ストーリーにおいても、『ディケイド』では先輩ライダーの精神性を受け継ぐことでレジェンドの持つパワーを得てパワーアップするという構成になっている。
昭和ライダーであれば特訓によって新技を獲得していたものが、平成ライダーでは新アイテム(新商品)の獲得になり、『ディケイド』より後の平成二期ライダーでは内的な成長によって新アイテムの獲得・使用するパターンが多用されるようになる。

新商品の登場と主人公の精神的な葛藤や成長をリンクさせることで、商品の訴求力とドラマ的な盛り上がりを両立させる手法が確立した。
世界の破壊者とはよく言ったものである。

3.ウルトラマンとレジェンドの親和性

たびたび共闘していた昭和ライダーだが、明確に先輩後輩の関係として描写されていたのはV3までで、X以降の出自はバラバラだ。正義を同じくする同志といった印象が強い。
平成ライダーになると作品ごとに世界観が異なり、『ディケイド』以降は盆と正月に顔を合わせる程度の関係になった。(だからこそ先輩後輩の共闘する特別さが際立つ)

それに対して、昭和ウルトラマンは基本的に出自が同じで、たびたび共演してきた。
平成三部作や00年代は独立した世界観のウルトラマンもいるが、それでもなんだかんだでメビウス、そしてゼロと、M78に戻ってきた印象。

感覚的な印象ではあるが、ウルトラマンのほうが作品同士の縦の結びつきが強いように感じる。
デザイン・ストーリー面でバラエティ豊かな平成ライダーに比べて、ウルトラマンは基本的な構成やデザインに通底する部分が大きいのではないかと思う。
商品単体の訴求力が弱いというより、強固な大ウルトラユニバースから抜け出せないファン心理かもしれない。

そして、レジェンド商法の有効性が浸透したところで、『ウルトラマンギンガ』以降のニュージェネレーションズが始まる。
レジェンドに相当する過去作のウルトラマンや怪獣を小アイテムに使用してパワーアップ。
出自が異なるにも関わらず頻繁に共演し、かつ先輩後輩の明確な上下関係が築かれていく。
昭和二期ウルトラマンの関係性を現代にアップデートしたような関係だ。
この共演のしやすさが、レジェンド商法との親和性の大きな要因の一つになっていると思う。

もう一つ消極的な要因を挙げると、ウルトラマンの持つ神性がレジェンド商法の多用につながっている面もあると思う。
平成二期ライダーでは、作品ごとに特定のモチーフを使い、デザインやアイテムが先鋭化していった。スーパー戦隊でもおなじみの手法だ。
が、戦隊やライダーと同じように、ウルトラマンのモチーフに動物や乗り物を使うと、ウルトラマンの持つ神性が損なわれてしまい、ちょっと考えにくい。
『オーブ』以降は地水火風といったエレメントも用いられるが、あくまで補助的な設定で、メインのモチーフになるほどのインパクトはない。

そういった理由から、小アイテムに使用できるモチーフが、レジェンド以外に無いという事情もあるように思う。

とはいえ、こういったニュージェネ独自の玩具システムによる恩恵は計り知れないので、僕は彼らのオモチャ感は好きだったりする。

4.玩具システムから見る、レジェンドの扱いの変遷

ウルトラ玩具は①ソフビ人形 ②隊員セット ③変身アイテム ④戦闘メカ の4つに大別できる。(その他、可動フィギュアやウルトラマンのなりきりアイテムなどもある。また、大人向けのフィギュア類はひとまず除外)

ニュージェネ以前であれば、ソフビ人形などの低価格帯玩具と、主に銃や通信機といった隊員セット、単純なライト・サウンドが搭載されたのみの変身アイテム、戦闘機やドリル戦車や移動車両などの中価格帯に相当する玩具、そして大型母艦や基地といった高価格帯玩具に分かれる。
ウルトラマンそのものに関わる玩具が低価格のソフビか、遊びにおいて使用が限定される変身アイテムのみという状況であり、ウルトラマンという極めて強力な資産がありながら、うまく商品化に結びついていなかった。
そのため、00年代のウルトラマンでは、首にぶら下げるカラータイマーや、戦闘に使用するブレスといった、ウルトラマンそのものになりきるための玩具が発売されるようになった。『ネクサス』ではウルトラマン専用の戦闘機(というか空飛ぶ棺桶)まで出た。
が、いずれもニュージェネでほとんど出ないところを見ると、あまりうまくいかなかった模様。せいぜいエックスのカラータイマーや、ゼロなりきりセット程度だろうか。

想像するに、
①アイテムを身につけると、遊ぶ際に余計な操作が必要になる(ライダーは攻撃の都度腰で操作をする描写を入れる。ウルトラマンはいちいち胸元に手をやったりしない)。
②体からデザインの一部を切り離すことによる不完全感・違和感
……といった理由だろうか?

そういった流れを踏まえて、ニュージェネでは周辺商品に過ぎない隊員セットやメカを廃し、ウルトラマンのなりきりアイテムも採用しなかった。
変身アイテムを大型化することで高価格帯の旗艦アイテムとし、さらに小アイテムとの連動を導入。食玩やカプセル玩具といった展開をスムーズにした。
番組終了後も継続して商品棚にぶら下がるソフビ人形は、依然としてウルトラ玩具の華だが、サイズの縮小と彩色の簡略化によって価格を下げ(維持し)た。

こうして振り返ると、これまでの試行錯誤の末に、とうとうニュージェネ玩具のフォーマットが固まり、感慨深いものがある。

個別に見ていくと、『ギンガ』『ギンガS』ではウルトラ玩具の顔とも言えるソフビ人形を変身に利用することで、従来のウルトラ玩具の流れから大きく逸脱しないように注意していることが分かる。
また、他商品と連動しない中価格帯の武器が発売され、後の展開の基礎を作っている。
『ギンガS』では隊員セットやメカも登場したが、あくまで副次的なアイテムといった慎ましさで、ウルトラマンそのものがメイン商材であることが優先されている。

『X』の玩具は基本的に『ギンガ』の形式を踏襲しながらも、隊員セットに変化が見られる。
ウルトラマンの変身アイテムを隊員用の通信デバイスと兼ねることで、ウルトラマンが主、隊員セットが従の関係を見せる。
同様の効果は武器にも見られ、スペシウム光線の構えをするウルトラマンが銃身から生えているという、冗談みたいなデザインの武器が隊員なりきり玩具として登場した。
ウルトラシリーズでも特にリアリティにこだわった地球防衛組織の隊員がウルトラマン水鉄砲みたいな武器をかかげる姿は独特の魅力があるが、これもウルトラマンそのものが主であることを印象づける。

そして『オーブ』はニュージェネ玩具で重要な転換点となる。
商品構成を見ると、ついに地球防衛組織が完全に廃され、隊員セットやメカが無くなることで商品展開がウルトラマン一本に絞られた
商品システムの特徴は、玩具展開の年間スケジュールのフォーマットが確立した点と、フュージョンの概念の導入だ。この2つは密接に関わっている。
フュージョンによってフォームチェンジを行うため、初期フォーム→中間フォーム最終フォームと、それに合わせた販売スケジュールがドラマの骨子となった。
まずは変身アイテムと武器が初期に登場し、中間フォームでパワーアップ。最終フォームに合わせて、変身アイテムと連動する武器が登場。そして劇場版で最終アイテムを出す。
ライダーや戦隊の手法を取り入れたスケジューリングで、順当なパワーアップ感と成長ドラマが見られるようになった。
フュージョンによって、レジェンドの登場とモチーフに沿ったフォームチェンジを両立。
従来は映画のクライマックスに登場するような特別な現象だったフュージョンが日常的に行われることで、「今度のウルトラマンは超強いぞ」感が強調された。
また、『オーブ』の魅力に、最後にレジェンド介さない本来の姿を取り戻すという熱いストーリーもある。フュージョン設定を生かした素晴らしい展開だと思う。
精神的・肉体的に未熟な若者が大人になっていく、王道的成長物語にせず、あえてひねったところに、こだわりが見て取れる。

『ジード』ではフュージョンをさらにブラッシュアップし、ソフビやカードではない、番組オリジナルの小アイテムを使用。
敵も同じアイテムを使用することで、ウルトラマンと怪獣の両方になりきることが可能になった。
今でこそ戦隊やライダーでも敵のアイテムも普通に販売されるが、怪獣の人形がウルトラマンと同列に扱われるウルトラシリーズらしいギミックだと思う。
また、最終アイテムにウルトラマンキングを使用したのは驚いた。
レジェンドに頼る手法は、キングの登場で早くも頂点に達する。キングに匹敵する特別なレジェンドを登場させようとしたら、もうノアくらいしかいないのでは?

『R/B』ではレジェンドを利用した小アイテムを使用しながらも、フュージョンを廃し、属性の利用にとどまる。間接的にレジェンドのパワーを使っているとはいえ、最終フォームはダブル主人公の合体という側面が強い。
レジェンドの意匠を取り入れたフォームチェンジはいずれ行き詰まるため、早々に路線を変えたのだろう。
ロッソ・ブル側のレジェンドが占める割合が下がったことで、オーブダーク(略)が際立った面もある。

『タイガ』ではレジェンドの比率をさらに下げ、変身・フォームチェンジには一切関わらなくなる。
先輩ウルトラにパワーを込めたブレスレットを授かる姿は、昭和二期ウルトラの雰囲気を強く想起させる。タロウの息子ということで、かなり意識しているのだろう。
また、今にして思えばプラズマゼロレットはゼロ10周年や『Z』の伏線にもなっていたことが分かる。やはりゼロさんはウルトラマンの中でも別格だ。
レジェンドに頼らずに変身していくために打ち出した「3人のウルトラマン」という設定は、絵的な賑やかさ、ウルトラユニバースの広がりを感じさせるユニークなアイデアだし、ニュージェネ共演の敷居を下げる役割も果たしていたと思う。
が、逆に言えばウルトラマンを3人登場させ、タロウの息子にしなければ、商品としての訴求力が提示できないということでもある。
『R/B』『タイガ』の2年でレジェンド商法から脱却しようとしながらも、「もはやウルトラマン1人では商品展開ができない」ことの証明にもなってしまったように思う。

直近2年の反動か、『Z』ではフュージョンが復活し、さらにゼロの弟子という設定が与えられる。
今度は3人のウルトラマンのフュージョンとなり、順当なインフレ感である。
『タイガ』のタイタス、フーマを引き継ぎ、パワー系マッチョと超能力スリムという、シルエットで能力の使い分けを見せるフォームチェンジが用意され、ウルトラマンの商品展開もうまくこなれてきたなぁ、と感慨深い。

5.設定から見る、レジェンドがウルトラ世界の文化になるまで

商品展開にレジェンドが明確に組み込まれたのは『ギンガ』からからだが、スパークドールズ設定は正直ムリがあるように感じていた。
いろいろと理屈をこねたところで、ソフビ人形を握りしめてキメ顔をされてもおマヌケだし、手の中でピコピコ動かしながら声を当てるシュールさもウルトラマンが矮小化された感じで微妙な気分だった。
戦隊が同じことをしても自然に受け入れられるので、やはりウルトラマンという商材が持つ神性なのかな、と。

『X』でスパークドールズをオーパーツとしたのは、苦肉の策ながらもうまい手だと思った。「そういうものなんです」と言われれば、それ以上ツッコむ余地がないので受け入れるしか無い。
映像的にはカードの使用がメインなのも、違和感を最小限にとどめていた。怪獣のパワーを引き出すためのカードキーのイメージ。

続く『オーブ』では、レジェンドのパワーの一部を借りるという形になり、以降もこのパターンがスタンダードになる。
直接本人からカードをもらったギンガたちを除き、本編で使用したカードはティガ以外すべてM78出身のだったが、人選は特に理由はなさそうな雰囲気。
オーブリングの出自自体が不明なので、O-50とM78に繋がりがあるのかも不明。まことに神秘のアイテムである。
同郷の『R/B』ではジャイロの出自自体は明確なものの、なぜ他のウルトラマンのパワーを使っているのかはハッキリせず。
グルジオボーンやフーマは単独で変身していたので、レジェンドを介さないでも変身できそうだけど。

レジェンド商法に対して正面からの説明を避けることでウルトラマンの神性を担保してきた『オーブ』以前に比べ、『ジード』では光の国で制作したものだと明確に設定された。
以降『タイガ』『Z』とM78出身のウルトラマンは、レジェンドのパワーを使うためのアイテムを使用するようになったことから、光の国ではウルトラマン同士でパワーの貸し借りが頻繁に行われていると分かる。たびたび共演していた昭和ウルトラの延長と考えれば、自然の流れだろう。

こういった流れで『ウルトラギャラクシーファイト』を見ると、実に感慨深い。

当初は商業的な都合から発生したレジェンド商法という玩具ギミックが、幾度となく共闘し、相互に力を与え合い、同志として絆を深めていった末に、ゼロを中心として爆発する。
ゼロの存在によって力を取り戻すニュージェネと、そして逆にニュージェネが力を分け与えてゼロをビヨンドにする展開は、ゼロの10年の歩みが商業的な要請を超えて、作品の積み重ねとして結実した瞬間である。
正直、この場面はとても感動した。

6.レジェンド商法=キャッシュレス決済説

さて、昭和ウルトラでは共闘し、ニュージェネではウルトラガジェットを介してパワーを貸す姿は、パワーと考えるから分かりづらいのではないか。

パワーではなく、お金と考えればどうだろうか。

昔はお金を借りるときは対面で茶封筒を受け取っていたのが、今ならスマホで送金できるようなもの、と考えれば分かりやすい。
ジードライザーやタイガスパークやゼットライザーなど複数アイテムが登場するのは、さしずめ○○ペイが乱立するような状態だ。
M78宇宙内であればウルトラ的には近場なので、普段はウルトラペイで送金して援助しつつ、ベリアル復活のような一大事にはひょいひょいとパパがやってくる。
『タイガ』出演時のゼロなど、完全に「よっ! 近くまで来たから顔出したぜ。頑張ってるみたいだから、ホレ、小遣いやるよ」みたいなノリだ。

一方、M78ユニバース以外のウルトラマンは海外に住む親戚のようなもの。
ウルトラ的には飛行機の距離なので、わざわざ顔を出すのは面倒だし、留守中に空き巣に狙われるのも困る。
そこで、地球滅亡くらいの危機ならクラウドファンディングで乗り切ってもらうのだろう。(「諸先輩方!光の力、お借りします!」「兄弟の力を一つに!」)
クラファン成功の報酬は宇宙の平和だ。さすが我らのウルトラマン!

そう考えると、ニュージェネの多くにパワーを与えていたマンやセブンやタロウは、それなりの年齢だろうに、新しい送金アプリが登場するたびに使いこなして頑張っている。
新マンやレオあたりは、「最近ナントカペイが流行ってるけど、どれを使えばいいのかなぁ……」と迷いながらアプリを入れるおじいちゃんの姿が見える。
エースは『ジード』のブラザーズシールドに登場したのみだが、おそらく「キングさんが使ってるなら、オレも使わなきゃいけないかな……」と渋々アカウントを登録したのだろう。
……80、オメーは何してるんだ。YouTubeの再放送とかいいから!ホラ早くこのアプリを入れて!……えっ?スマホ持ってない?友達いないの?……お前ウルトラ兄弟の一員じゃなかったっけ!?

各アイテムのレジェンドにM78以外の出身者が少ないのも、これで説明がつく。
別の宇宙に住むウルトラマンは、ファーウェイのHarmonyOSのスマホを使っているため、互換性が無いのだ。
が、光の国のエンジニアの努力によって、晴れて『Z』ではティガ、ダイナ、ガイアが一堂に会することになった。

一方、新参のニュージェネはAndroidに乗っかる道を選択したため、パワーの貸し借りを頻繁に行える。
使い勝手は悪くないし導入コストは低く済むのだが、大型ガジェットに小アイテムを装着してガチャガチャと操作する姿を、Appleユーザーから「オモチャっぽい」とバカにされてしまうのだ。

……と、商業面と設定面の双方向からレジェンド商法について考えてみた。
ヒーロー番組はどちらの面から見ても楽しいのだが、やはりウルトラマンを設定面から見る楽しさは格別である。
新番組『ウルトラマンZ』が楽しみで楽しみで、ワクワクが止まらない。

ご唱和ください 我の名を!

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