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ゾイド創設者が語る「持続可能なキャラクタービジネスの極意」

青山GoFaで2020年12月12日~2021年1月24日にかけて開催されたゾイドのコンセプトアート展『ゾイド源泉 -ZOIDS CONCEPT ART EXHIBITION-』に行ったところ、たまたま来ていたらしいゾイド創設者のひとり徳山光俊氏に話しかけていただいた。
非常に気さくな方で、ゾイドへの思いや裏話など、おもしろすぎる話をポンポンと話していただく。
せっかくなのでまとめてみたが、あくまで「記憶を元にまとめた話」なので、不正確な内容になっている点は否めないのはご了承いただきたい。

展示物を見ていると、突然話しかけられ、「どうも、徳山です」と名乗られる。当然だが驚いた。
が、驚く僕をヨソに徳山氏は、そもそも展示されているコンセプトアートとはなにか。設定画とは違うのかについて語り始める。

「コンセプトアートは詳細なストーリーを決めるものではなく、世界観の方向性を固めるものである」

展示されているイラストに描かれたゾイドは、製品とは細部のデザインが異なるものや、そもそも製品化されていない(メディア作品にも登場していない)ものも多い。中にはマッコウクジラ種ゾイドのような、非常にそそるものまで存在する。
これは玩具製品のデザイン案という目的だけではなく、企画の立ち上げ時に『ゾイドワイルド』の世界はどのような歴史をたどって今に至るのか、どのような文明を発展させてきたのか、人とゾイドはどう関わりながら生活をしているのか、といった世界観を、何枚ものイラストに起こしたものだという。

では、なぜ最初に世界観から固めるか。

「ゾイドには、ガンダムのような強いキャラクター性を持った機体がいない。そのため、シリーズの枠組みとして世界観を固めることで、(複数のメディア展開のような)多用な展開を行う土壌を作った」

例えばドラえもんのような極めて協力なキャラクターであれば、顔をプリントしたハンカチやリュックサックといった、作品の世界観と切り離された製品でも成立する。
あるいは、アメコミヒーローは基本デザインや大まかな設定は踏襲しつつ、細部を時代に即した形に変化させることで長く続いている。トランスフォーマーもこの方法論を汲んでいる。
だが、ゾイドにはアイコンとなるほど強力なキャラクターがいない、シールドライガーはリメイクでも真っ先に製品化される機体だが、ゾイドのロゴを外して単体で成立するほどの知名度ではない。残念ながら「青いロボットの……ライオン?」という程度だろう。
そのため、ゾイドを作る際には”キャラを立てる”のとは別の方法を取っているのだという。
(また、引き合いにガンダムの名前を出すところに、ロボットアクションものとしてライバル視している様子が伺える)

ここで徳山氏が強調していた点が、「コンセプトアートが描くものはあくまで”世界観”であり、ストーリーを決めるためのものではない」ということである。

「ストーリーを固めてしまうと、テレビ作品の終了と共にコンテンツ自体がシュリンクしてしまう。それを防ぐために、ストーリーではなくゾイドのいる世界そのものを長期的に成長するIPとして育てなくてはいけない」

これは僕も気になってた点だった。(ネット配信に移行したとはいえ)TVアニメが終了したことで、ゾイドワイルドが”終わったコンテンツ”になってしまうではないか……と思っていた。
過去にも、例えばミクロマンが似たパターンとして挙げられる。マグネパワーズのアニメ終了後、ミクロマンシリーズはレッドパワーズに移行したものの、玩具箱に記載されたストーリーの他には、漫画や児童誌のグラビアなどのみの展開だった。玩具が棚のすみっこで細々と並んでいた状態は、正直言って尻すぼみ感があった。(玩具的にも流用やリカラーが目立ち、勢いの無さがことさら印象付けられてしまったように思う)

この点は現在のバンダイが非常に上手く、過去作品をアーカイブ化して現行作品と関連付け、毎年資産が増え続けるという正のスパイラルが作られている。
小型アイテムで番組終了後も露出を維持する仮面ライダー、同一世界で共演し続けるウルトラマン、ガンプラを題材にしてホビーアニメ化することで活躍し続けるガンダム等、大人ファン層のみならず現行の子供層にまで過去作品の魅力を届けるシステムが構築されている。

コレに対してタカラトミー……旧タカラは、文芸面では非常に高度な展開を見せる一方で、テレビ作品終了後も商品展開をするもののなんとなく往生際の悪いような印象がしてしまう。そのため、コンテンツが終わったのか、まだ続くのか、判然としないことが多い。(えっ?サイバーバースの日本展開って終わったの?みたいな)
1年スパンで商品を入れ替えることで疲弊やロスが発生するのを防ぐ目的だろうと思うが、尻切れトンボ感は否めない。あるいは逆に、テレビ作品が終了する前から負け戦感が漂うパターンも数多い。
この傾向は(印象論ではあるが)おおよそ90年代後半から顕著なり、現在でもテレビ展開では手探りが続いている。

一方、旧トミー系統の主力商品といえばトミカやプラレールなど、大まかな基本構造のみを与えて、あとはユーザーが自由に遊ぶスタイルが多い。
旧トミーはバンダイや旧タカラと比べて高い技術力をもって丁寧な製品開発を行う反面、テレビ展開のような素早い開発を苦手としていたことから、そういったスタイルの玩具を伸ばしたのではないかと思う。
徳山氏の語る「製品そのものの魅力をじっくりと浸透させる方法論としてのゾイドの世界観」の話には、なんとなくこのトミー精神を感じた。

ゾイドの世界観を築くうえで強調されていたのが、ゾイドの旧シリーズから現行のゾイドワイルドまで、惑星Ziと地球、過去と未来を円環構造で結び、メカ生命体としてのゾイドの進化の歴史を一枚にまとめた系統図『ZOIDS ODYSSEY』のイラストである。

「SF的な円環構造を作ることで、今後新しい展開があってもゾイドの系譜の中に組み込めるようにした」

ゾイドワイルドのコンセプトアートもゾイドシリーズの歴史の中に組み込まれており、惑星Ziの入植者が地球へ帰還し、地球産ゾイドを発掘、ゾイドを利用した対立、文明の崩壊と再生……と、現行の展開が簡潔に、だが叙事詩のような大スケールでまとめられている。
ワイルドはシリーズから独立した単発の作品ではなく、ゾイドというIPを計画的に育てることを目指しているという。仮にワイルドの展開が終了しても、次のシリーズを続けることで、ゾイドそのものは続いていく。そのための円環構造であり、ゆくゆくは「ゾイドをスターウォーズのようにしたい」というワクワクする言葉も。

シリーズの長期化に伴うファンの固定化はどのシリーズでも避けられない問題である。ファン層の高年齢化によって設定やストーリーは複雑になり、新規ファン―特に子供への訴求力が下がってしまう。
だからこそ多くの玩具シリーズはテレビ展開を1年スパンで終了するのだが、そうすると今度はテレビ作品の魅力に玩具の売れ行きが左右されることになる。玩具はあくまで副次的なもの、作品のアイテムを再現した”グッズ”になってしまい、単なる消費物に過ぎなくなる。
僕はゾイドワイルドから入った新参者なのでその立場から見ると、新規参入のハードルが低く、設定の端々に旧シリーズとの関連をほのめかすことで過去作への興味も出てくる。思惑通りにハマったと言える。

徳山氏の話は、「ゾイドを長期間愛されるコンテンツにする」というアツい心と、「ゾイドを長期間安定した収益を上げられる商材にする」というロジックに満ちていた。
別にイベントとしてトークショーが組まれていたわけでもなんでもなく、本当に偶然、たまたま話しかけていただいたことで、とても面白い話を伺えた。
おかげで、まだまだ続くゾイドシリーズ、これからがますます楽しみである。

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