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遅刻を責める人が知らない、遅刻は悪くない理由

先日、友人との待ち合わせに一時間ほど遅刻したところ、めっちゃ怒られた。
僕が遅刻をした理由は主に寝坊だったので、特に言い訳はせず僕を待つために発生した駐車場代などを補償することで手打ちとなった。
遊びに行くにあたって不愉快な気分を持続させないよう、怒りポイントを簡潔に説明したうえで、解決策を提示して早々に話を切り上げるという、アンガーマネジメントのお手本のような友人の対応に感謝である。

が、それはそれとして、そもそも遅刻することはそんなに悪いことだろうか?

1.「お前のせいで怒っている」の誤謬

遅刻を繰り返す遅刻者は、遅刻を大して悪いと思っていない。
もちろん良いことだとも思っていないが、せいぜい「満員電車でつま先を踏んでしまった」程度の感覚だろうか。すぐ足をどかして「すいません!」と謝れば終わりだ。
それに対して遅刻をされた側が、相手に非があるのをいいことに、青筋立てて怒ったり、いつまでも責め続けたり、不機嫌な態度を取る姿は実に大人気なく見える。
もちろん、悪意を持ってわざと足を踏んだり、逆に自分が踏まれた途端に烈火のごとく怒り出す人もいるだろうが、それは遅刻とは別の問題だ。わざと遅刻をするのは単なる嫌がらせだし、自分は遅刻をするくせに他人の遅刻を責めるのはフェアではない。
あくまで、悪意なく遅刻をしてしまい、遅刻そのものを軽視している人間を想定した話だ。

そんな悪意のない遅刻者に対して、怒りをあらわにして責める人がいる。
これは遅刻に限った話ではないが、他人から何か気に入らないことをされて怒るとき、「お前が〇〇した(しなかった)から怒ってるんだ!」と言うタイプの人だ。
結論から言うと、その怒りは間違いである。

例えば、他人から殴られたとする。
殴られたとき、肉体的な痛みを感じるのは生理的な反応なので、大半の人間に共通する。
したがって「お前に殴られたから痛いんだ!」は成立する。

だが、殴られてどう感じるかについては別問題だ。
ある人は殴った相手に怒りをおぼえるかもしれないが、別のある人は殴られて悲しむかもしれない。
同じ刺激を与えられても情緒的な反応は個人差が大きいため、「お前に殴られたから怒っているんだ!」は成立しない。

殴られたことと怒りとは、直接的な因果関係で結ばれていない。
殴られたことに対してどのような感情を抱くのかは、その本人の判断によって変わる。
怒っているのは殴られたせいではなく、本人が「殴られたことを理由にして怒ろう」と選んだ結果である。

あなたが遅刻者に対して怒るのは、あなたが怒りを感じたがっているからである。
自分が怒ることを選んだのに「お前のせいで怒っている」などと人のせいにするのは、責任転嫁も甚だしい。
自分の感情には、きちんと自分で責任をとっていただきたいものである。

……とはいっても、実際に遅刻をされてイライラする気持ちをどうしても止められないことだってあるだろう。
だが、その怒りは本当に遅刻のせいなのだろうか?

2.「イライラはすべて遅刻のせいにしてしまえ!」

あなたは駅の改札口で立ちながら、イライラと腕時計に目を落とす。すでに10分も無駄にした!
日陰とはいえ夏の空気は暑く、べとつく汗が不愉快だ。喉は渇くし、そろそろお腹も空いてきた。立ちっぱなしでいい加減足が疲れてきた。予定通りなら今頃、涼しいカフェで冷たいコーヒーを飲みながら楽しく雑談をしていたのに。すでに12分も無駄にした! 一体いつまで待たせるのだろうか。それもこれも、すべてあいつが遅刻をしたせいだ!

遅刻者を待つあいだ、あなたはこのように考えているだろう。だが、ちょっと待ってほしい。
あなたが遅刻者を待つことで発生した怒りの原因はすべて、本当に遅刻が原因だろうか? それは違う。熱さ寒さ、疲れ、空腹、理想と現実の乖離、その他諸々が怒りの原因のはずだ。
暑くてイライラする気持ちはわかるが、暑くてイライラしているのなら、そのイライラの原因は遅刻ではなく暑さだ。
あなたは「遅刻がなければ待つ必要も無いのだから、やっぱり遅刻者のせいだ!」と言うかもしれない。
だが、暑いのなら建物の中に避難したほうがいい。熱中症になる危険がある。それをしないのは、あなたの判断だ。
自分の判断で暑い中を30分も立っているのだから、その結果イライラしたのなら原因はあなた自身にある。

判断がつかないような微妙なとき、思いっきり極端な例を考えるのは一つの有効な手段だ。
例えば、遅刻者を待つ間にチンピラにカツアゲされたとする。
あなたはチンピラに絡まれたときの恐怖や、お金を奪われた悔しさでいっぱいだ。が、徐々にふつふつと怒りがわいてくる。なぜ自分がこんな理不尽な目に合わないといけないのか? と。
そこに遅刻者がノコノコやってきて、あなたの怒りは爆発する。「お前が遅刻をしたせいで、こんな目にあったんだぞ!」
よく考えてほしいが、あなたを理不尽な目に合わせたのはチンピラなのだから、あなたが怒りをぶつけるべき相手はチンピラだ。
遅刻者の立場から見れば、何もしていないのにカツアゲ犯扱いをされて、冤罪もいいところである。

怒りを感じた時に、手近な相手を責めたくなる気持ちは理解できる。
「自分は何の非もないのに不利益を被っている被害者で、遅刻者は自分を傷つけた加害者である」というシンプルな構図は物事を理解しやすくさせるが、しかし同時に被害者意識は怒りを加速させる。そして怒りは加害行為を正当化する。
怒りの原因を分解し、どこまでが本当に遅刻者のせいなのかを客観的に見極めたほうが、結果として怒りは和らぐだろう。

その怒りとは、そもそも生命や財産の危機に対する防御反応が元になっている。
では、遅刻をされることによって、何を失うのだろうか? 時間か、お金か? それを防ぐことはできないのだろうか?

3.あなたの時間の使い道は、あなたが決めている

遅刻を責めるとき「事前に遅れることがわかっていれば出発時間をずらすなど対応ができたのに。お前を待ったせいで時間を無駄にした。遅刻は相手の時間を奪っている」といった台詞がよく使われる。
しかしこれはまったくおかしな言い草で、鎖で縛られて地下牢に閉じ込められたわけでもあるまいし、遅刻者を待つ時間を無駄にしない方法などいくらでもある。
相手の現在位置を確認すれば残りの待ち時間は分単位でわかるし、大抵の待ち合わせ場所は駅や商業施設なので、本屋でもカフェでも何でもあるだろう。
本の一冊でも持っていれば、1時間や2時間あっという間だ。それに、何も無くても、スマホはあるはずだ。
出発時間をずらして家の中でスマホゲームをするのなら、待ち合わせ場所周辺でスマホゲームをしても同じこと。

時間を無駄にしない方法はいくらでもあるのに、何もせずに時間を無駄にするのだから、好き好んで時間を無駄にしているとしか思えない。
あなたが無駄に過ぎていく時間を思ってイライラするのは、遅刻者のせいではなく、あなたの怠慢のせいだ。

もちろん、時間以外でも当てはまる。
疲れたのなら休んだほうがいいし、暑い/寒いのなら空調の効いた建物の中に避難するべきだ。空腹なら何か食べたほうがいいし、喉が渇いたらきちんと水分補給をするといい。
あなたの体調管理ができるのはあなただけなのだから、怠ってはいけない。遅刻を待つことでそれができない理由など、何もないはずだ。

4.お金が補填できるのは金銭的な損失だけ

上記のとおり、今回僕を待つことで発生した駐車場代や諸経費は僕が負担した。
これは遅刻と費用の発生の因果関係が明確だからである。
遅刻を怒るのが間違いなのは、怒り(感情)と遅刻の間に因果関係がない=単なる言いがかりのためなので、遅刻によって損害が出たことが明らかな場合はきちんと補償するのが筋だ。

したがって、「遅刻を待って迷惑したから、ジュースをおごれ」といった因果関係のない要求に正当な理由はない。
そんなのはただのタカリだし、苦痛に感じたと主張すれば何でもありなので単なる言ったもの勝ちだ。遅刻者の負い目につけこんだ、悪質な手口である。

あなたは遅刻者に何らかのペナルティを課したいと思うかもしれないが、残念ながらそれは公正な審判ではなく、憂さ晴らしの私刑に過ぎない。
怒りに任せて私欲にまみれた不正義を実行する前に、その制裁が本当に妥当なのかをよく考えてほしい。

映画に遅刻をしそうなときは、遅刻者を待たずに入場するべきだ。
上映時間に間に合わなければ映画を見損ねるのは理屈にかなっているのだから、遅刻者が遅刻をしたことで映画を見損ねるのは自己責任だ。
それなのにわざわざ遅刻者を待って一緒に見損ねるのは、あなたの判断になる。自分の意思ですすんで見損ねたのだから、遅刻者を責めるのはお門違いというもの。
遅刻者を待たずに映画を見るか、遅刻者を待って映画を見損ねるか、どちらを選ぶのかはあなた次第だ。遅刻者にあなたの選択の決定権はない。

映画ほど明確に時間が決まっているわけではない用事、例えば食事の待ち合わせに遅刻した場合はどうすればいいか。
これも同じく、空腹を無理やり我慢するのではなく、先に食事を始めるべきだろう。空腹は大きなストレスになる。心身の健康のためにも、食事はきちんと摂ろう。
もちろん、予約のキャンセル料が発生するのであれば、遅刻者がキャンセル料を負担するべきであることは言うまでもない。

「遅刻者を置いていくなんて冷たい」と思うのなら、いくらでも待てばいい。それもあなたの判断だ。
だが、遅刻しがちな立場から言わせてもらえば、遅刻をする側とされる側は、あくまで対等な関係であることを忘れるべきではない。「待ってあげた」などと、恩着せがましくのたまう姿は愚かである。

5.遅刻とは、決断の場

遅刻をされたとき、「遅刻者のせいで時間を無駄にした! 〇〇できなかった!」と感じるのは幻想に過ぎない。
あなたが「遅刻者を待ち続ける」という決断をした結果なのだから、自分の行動の結果には自分で責任を取るべきだ。遅刻者のせいにするのは間違っている。

反対に遅刻をする側から見れば、待たないという選択肢がある中で、遅刻者を待つと判断しておきながら遅刻者を責めるのは、理不尽としか言いようがない。

待ち合わせるからには、何か用事があるのだろう。
約束の時間になっても相手が現れないとき、そのまま待ち続けるか、さっさと行動に移るか、あなたがどちらを選ぶのも自由だ。
遅刻者は、あなたの選択を受けて次の行動に移すだろう。あなたが遅刻者を置いて先に行けば、追いついて現地集合するか、諦めて帰るか、どちらを選ぶのも遅刻者の自由だ。
あなたが遅刻を続ける相手と付き合いをやめるのも自由だし、遅刻者が遅刻を責め続けるあなたと縁を切るのも自由だ。
すべて、対等な関係にある両者が自由意志で選択したことなのだから、そこに怒る理由は無い。
遅刻者に怒る前に、あなたが待ち続けながら腹を立てているのは、あなたが選択を放棄しているからだということを自覚してほしい。

6.遅刻に腹を立てないために

あなたは「そもそも遅刻をしなければいい」と思うかもしれないが、残念ながら世の中は理想だけで動いているわけではない。理想通りにならないかもしれないと分かっていながら何も手を打たず、案の定思い通りにならなくて怒るのは滑稽である。

遅刻者に早めの時間を伝えるのは無駄だ。遅刻者はありとあらゆる手段を尽くして本当の待ち合わせ時刻を見極め、そしてその時刻に遅れるだろう。
事前に伝えるのなら、「遅れたらジュースをおごる」など取り決めを交わしたほうがいい。
不愉快さを理由に後出しで要求するのは不正なタカリだが、事前に両者の合意のうえで約束を履行すれば正当な要求になる。
身銭を切ることが耐えられないタイプの遅刻者なら遅刻は減るだろうし、金銭的な利益によってあなたも溜飲を下げることができる。

相手が遅刻しがちだと分かっているのなら、待ち合わせ時間の前に現在地を聞くといい。
この際、「今日は遅れないよね?」「もう家を出たよね?」といった曖昧な質問は全く無意味だということを肝に銘じてほしい。
遅刻者も別に遅刻を誇っているわけではないので、「大丈夫! いま向かっているところ!」とふわっとした返事でその場を乗り切ろうとする。だが残念ながらその言葉は確実に誤魔化しだ。
「〇〇に向かっているところ」でも不十分だ。家を一歩出ただけの状態でも、目的地に向かっているところだと言って嘘にはならない。
「今〇〇駅にいる」「今○号線を走ってる」など、今その瞬間の遅刻者の居場所を、具体的な地名で答えさせなければいけない。
そうすれば、遅刻者が待ち合わせ場所に到着する時刻を分単位で予測することができる。あなたのポケットには、それを可能にするガジェットが入っているはずだ。
あなたがイライラするのは先が見通せないためなのだから、遅刻者がどれほど遅れるのか判明すれば、行動も取りやすくなるだろう。遅刻者を置いていくなり、カフェで涼むなり、あなたの思いのままだ。

よく考えればわかることだが、遅刻で損害を被ることは殆どない。ただイライラするだけだ。
あなたがイライラを望んでいるのなら止めはしないが、それを遅刻者に向けるのはやめていただきたい。
精神的な不愉快さは、ちょっとした考え方のコツやわずかな行動で大きく減らすことができる。
遅刻者を怒るより前に、怒りを鎮める小さな努力をすれば、あなたの生活はより豊かなものになるだろう。
遅刻者からの、小さなアドバイスだ。

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