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「嫌なら断っていいんだよ」を子供に伝える言葉―『ヒーリングっど♥プリキュア』42話

『ヒーリングっど♥プリキュア』42話は、驚きの展開であった。

主人公・キュアグレースの前に、因縁の宿敵であるダルイゼンが助けを求めてやって来る。敵のボス・キングビョーゲンが部下を粛清し始めたため、命からがら逃げてきたのだという。
しかし、キュアグレースは助けを拒否。これまでどれほど辛い思いをしてきたのかを語り、非常に強い口調でダルイゼンを拒絶した。

従来、対象となる視聴層から、『プリキュア』シリーズでは強敵を倒す爽快感よりも傷ついた相手を癒やすほうがメインになりがちであった。(個別に見れば例外は多々あるが)
それを大方の予想に反して「ボロボロになって助けを求める相手を見捨てる」展開に至るためのこれまでの積み上げと、そこに込められたメッセージは見事なものであった。

誤解されがちだが、今回の話は「相手を助けるためであろうと自己犠牲はよくない。自分が傷つくくらいなら相手を見捨ててOK」ではなく、「世の中には罪悪感を掻き立てることで善意を食い物にする輩がいるから、意に反する行為を強要されたときは断っていいし、後ろ暗く思わなくてもいい」という意味だ。
自己犠牲が全部ダメというわけではなく、あくまで「望まない行為は断っていいし、断ることに罪悪感を持たなくていい」という話。
人の求めに応え、人を助ける行為は美しいけど、だからといって助けない=悪人ではない。重要なのは自分で決めることであり、言われるがまま応じなきゃいけない空気感に流されるのではなく、行為の主体であれというメッセージだ。
裏を返せば、世の中に「本当は嫌だけど、断ったりしたら相手に悪いし、言われた通りにしたほうがいいよね…」と耐えてしまう人が多いからこそ、それを断っていいとするメッセージが出てきたとも言える。プリキュアのメインの視聴層が女児であることを踏まえれば、女性は未だに「自分を顧みずに相手に尽くすべき」という無言の圧力があるのだろう。折悪しく、自分の意見を述べず、唯々諾々と追従するような人を「わきまえている女性」とする旨の発言が話題になった。

だからこそ、子供たちがいずれそんな社会に出たときにくじけないように、プリキュアは戦う。
「言われたことは素直に聞いて、反論せずニコニコ受け入れて、人のために尽くす従順な”いい子”になれ」「男の求めには応じて、でしゃばらずに支えて、身を粉にして尽くすのが”いい女”だ」というプレッシャーをハッキリ否定した今回の42話は、児童番組としての矜持と寓話としてメッセージを伝える技術力の高さを見せつけた傑作回だった。これをフィクションに落とし込んで未就学児の理解レベルに伝えるのが、どれだけスゴいことか。

さて、ダルイゼンとのどかの関係は恋愛的なニュアンスで解釈できる雰囲気があったが、「体の中に入れろ」と迫る姿はかなり直截的な言いわましでありながら婉曲的でもある見事な表現であった。対する「私の体を利用するな」という返答も本質を突いている。
重要なのは「体も心も」という台詞の順序から、心より体の安全を優先している点だ。アニメでよくある「物理的な肉体から切り離された魂的な精神パワー」ではなく、「精神の安定は肉体の健康に影響を受ける」ことが想定されている。
事実、精神は脳という器官で発生し、ホルモンという物質で制御されているので、科学的な発想をアニメ的な比喩表現で描写しているといえる。
ダルイゼンを「女性を搾取するヒモ男」的にとらえれば、シンドイーネは「愛の名のもとに自己決定権を放棄し、愛されている実感を得るために言われるまま体を差し出してドーパミンがドバドバ出ている”尽くす女”」といえる。ダルイゼンと決別したのどかと対照的だ。

恋愛的に解釈したが、今回の話は女性が抱える見えない負担だけでなく、もっと広く、「職責を果たすのが当然。義務を果たしただけだから感謝は不要。やって当たり前」みたいな風潮はやめましょう、とも取れるだろう。
アバンギャルドとして始まったプリキュアが、いつの間にか児童番組の規範として行き過ぎた「清く正しく美しく」な理想に縛られるようになったのが、ここ数年は視聴者の子供の糧になるものを届けようとメッセージ性が強くなってきた。
今週のヒープリはその頂点に達した、「子供が楽しめる面白さ」「子供の成長を願う思想」が詰まった傑作回だったと思う。

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