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命のリレー②

昨年の5月から熊本に引っ越してきて、「命と向き合う機会」に多く恵まれました。
東京に住んでいる時は、理科の教員(生物専攻)として、命の大切さ、命のリレーについて頭の中ではわかっているつもりだったのですが・・・。

現在は、くまもと☆農家ハンターで修業をさせていただいています。
やっぱり自分で命のやりとりを体験してみると衝撃を受けました。

くまもと☆農家ハンターは人里に降りてきて、農家さんの田畑の作物を食べてしまうイノシシだけを対象に駆除活動を行っています。

くまもと☆農家ハンターさんで修業させていただく中で、私たち人間は誰もが命のリレーの真っ只中を生きていると感じたのでお話させていただきます。

私たち人間は二つの側面で命のリレーに関わっていると考えています。
「生物学的な親から受け継いだDNA」を持っている側面」と「他の動物の命を頂いて生きている」側面の2つです。 

今回は後者についてお話していこうと思います。

前回の記事の最後に、

先祖が必死に生き抜いて繋いできた命のバトンを今私たちは受け取っています。
(それを次世代に渡していくかいかないかは個人の自由です。)
奇跡的に先祖たちが命のバトンを途切れることなく繋いできてくれた結果、私たちは今こうして生きることができています。
奇跡の連続の末に受け取ったバトンの重みというのは誰しもが感じることができるのではないでしょうか。
現代に生き残っている生物は種を問わず、優秀な一族です。
先祖たちが引き起こした奇跡の連続の末、今日私たちが生きていること自体がもうとんでもない奇跡です。生まれただけで宝くじ何回当たっているのだろうというぐらいの確率だと考えます。
生きているだけで丸儲けというのは本当なのかもしれませんね。

このように書かせていただきました。

でもこれは地球上に現存する生物にも同じことがいえます。どの生物も数多くの先祖から命のバトンを受け継いできた末裔たちです。

厳しい自然界を生き抜いてきているという面では、現存する生物たちは生物種としてエリートです。

そんな「動物の命を頂いて生きている」現実が私たち人間にはついて回ります。

例えば、イノシシのお肉をいただくとします。

イノシシの主食は地域によっても変わりますが、たけのこ、イモ類、米、果物類、どんぐり、イモリ、カエル、昆虫、巻き貝などが挙げられます。

昆虫に着目してみると食べた昆虫の種類によりますが、その昆虫に食べられた昆虫や植物も必ず存在します。

私たちの食卓に食物が上がるまでにたくさんの食物連鎖があり、たくさんの命のドラマ、命のやりとりがあります。

生産者である植物、それを食べることで命をつなぐ一次消費者、一次消費者を食べることで命をつなぐ二次消費者、それ以降の高次消費者、これらの生物たちが食物連鎖の繋がりを構成していきます。
様々な生物たちが大切に受け継いだ命のバトンをいただき、私たちは生命の一部にしています。

今回の例で言うと、イノシシの肉を食べるということはイノシシを支えていた命たちもいただくということだと私は考えます。

そう考えると人間は生きれば生きるほどたくさんの命に支えられて生きていることになりますね。

昔、韓国の小説やAC公共広告機構のCMで「あなたがダラダラと過ごし無駄にした今日という日は、昨日死んでいった人が生きたくて仕方がなかった日である」
というコピーを見たことがあります。

Today, which you have spent idly, is the tomorrow of somebody who died yesterday and was desperate to live. 

このコピーを今回の記事に合わせてちょっと変えると
「私たちが生きている今日は、生きたいと切望していた生き物たちの命をもらうことによって支えられている日」であるということが言えるのではないかと。


ちょっと話が変わりますが、太陽光と水と二酸化炭素があれば光合成をして自分の命を繋いでいける植物は、食物連鎖を底から支えてくれていますが、太陽の光が何らかの理由で届かなくなれば植物でさえも自分で生きていくことができなくなります。

14日にトンガ沖の海底火山が噴火しました。

火山灰が広がっている様子がわかります。畑、道路、屋根、水源地など人々の生活に欠かせない場所にも火山灰が降り積もっています。

もし空に舞い上がった火山灰が太陽光を遮るようなことがあれば、植物はおそらくうまく光合成ができなくなります。

確率はどれぐらいかわかりませんが、火山灰が日本の方へ流れたりすることがあれば、もしかすると日本の野菜や果物、植物の成長にも影響して来るかもしれません。

(日照時間が減って山にある餌が減ったら、山の中にいる動物たちは今まで以上に人里に降りてくるかもしれません。)

日本に来なくても海の上以外はどこかの国の農業が被害を受けてしまうかもしれません。海の上に落ちたとしてもその下にいる植物プランクトンは光合成ができません。それを食べる動物プランクトンは食料がなくなります。動物プランクトンが減るとそれを食べていた小魚たちの食料がなくなる・・・。

このような形で影響は地上に出るのか海に出るのかどこに出るかわかりませんが、どこかで影響は出てくることが可能性の一つとして考えられます。もしかしたら野菜や果物の値段が上がったり、鮮魚売り場やお寿司の値段に影響が出てくるかもしれません。

1991年にフィリピンのピナツボ火山が噴火したことが92年、93年と日照時間が減り冷夏になったことと関連があるのではないかという説も出ています。

今回の噴火が原因で何が起こっても不思議ではないです。逆に何も起きないことは考えづらいです。また、冷夏に見舞われて、海外のお米が流通することもあるかもしれません。その時は是非困っている農家さんに消費行動で救いの手を差し伸べてください。

地球に住んでいる限り、地球で起こったことは私たちの生活に影響してきますし、私たちの経済優先の生活が地球に影響していきます。

私たちは地球に住まわしてもらっている身なので、地球に何か起これば私たちはそれにうまく適応、対応していくしかありません。

このまま私たちのオーバーペースな消費経済を続けていくと、地球に影響を及ぼして、その跳ね返りが私たちの適応、対応できるレベルをいつか超えてしまう可能性があります。その場合、人間は地球からいなくなるかもしれません。

この命のリレーがこの先も「幸せに」そして「持続可能な形で」継続されていくために、私たち現代を生きる人間は何をしていくべきなのか一人ひとりが考えて行動していく必要があると感じています。

生きることは時に辛いこともありますが、基本的に幸せなことだと私は思っています。先祖たちが必死に繋いでくれたホモ・サピエンスとしてのバトンを現代を生きるホモ・サピエンスたちが終わらせてしまうのはもったいないことだと思いますし、生きる喜びや幸せを後世にも知ってもらったり、体験してもらいたいとも思います。

近年、 SDGsが話題によく上がり馴染んできていますが、地方の農家さんは割と持続可能な生活を継続されてきている方々が多いです。熊本で畑作業をしているおじいさんとSDGsの話をしていたときに、「難しい言葉はわからないけど、今までやってきたことじゃないか?」とおっしゃっていてまさにその通りだなと思いました。私たち現代人が、便利さを追い求めるあまりに見失ってしまっているもの、見失ってしまったものをもう一度取り戻していくことが後世のために必要ですよね。

「なんてひどい世の中に産んでくれたんだよ・・・」
なんて後世の人から言われない地球環境、国、地域を私たちは残していく責務があると考えます。(先人たちが良い環境を残してくれたかどうかは一旦置いておいて・・・。)

この素晴らしい人生を後世にも味わってほしい。
少しでもいい環境を残すためのチャンスを作れるのは今を生きる私たち1人ひとり選択。行動次第ですよね。

地球からも、他の生物からも生かされていることを自覚して、受け取った命のバトンを大切に持つこと。そしてそのバトンを種全体としてどのように後世に引き継いでいくのか。

バトンを渡したときにバトンを渡された側も暮らしやすい地球をどう実現していくか。

「自分が死ぬまで地球があればいい」とか「自分の孫の代まで良ければいい」という考えの人も尊重はしますが、個人的にはその先も「命のリレー」が幸せな形で、持続できる環境で、できるだけ継がれていってほしいです。

実際のリレーでも自分の番が終わったら終わりじゃなくて、その後リレーの行方を見守ったり、声を挙げて応援する人がいますよね。
少なくとも自分は命のリレーの中ではそういう人になっていきたいと思っています。




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