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身近にあるものでハッピー

◍ まだまだ日中は半そでで作業する日が続いていて、「いつもの年のこの時期はどうだったかな?」と思い出せなくなっている自分がいます。ようやく山も紅葉が進んでいるような…赤や黄色に混ざって、どんぐりなどの落葉樹の茶色が目立っているのが気になるところ。

◍ ブタに食べきれない・売れそうにない野菜や果物、収穫の際にでるくず野菜・芋のツルなどをいただく際、農家さんと世間話をします。この夏の酷暑の影響か、サツマイモはあまり実っていないし、果物は大きくならなかったり実らなかったり虫にたくさん食べられている。。。農家さんは、いつもの年と同じ厳しい「自分の売るレベル」で農作物を撥ねたり、出荷が農協だったら、その基準に従うので、今年のように異常気象の影響で「いつもの基準」に満たないものがたくさん出たり、収穫自体が少ないと、売り上げも少なくなります。なのに、肥料や農業資材の価格は高騰。。。

先日も軽トラいっぱいのブドウをいただきました。「暑すぎて糖度が上がらないばかりか、下がっていくので処分する」と。一年間、手間をかけて育ててきたブドウなので、少しでも農家さんの収入にならないか、島のワイナリーやアイスクリーム屋さんなど加工できそうなところにも相談してみたけど引き受けてくれるところは見つかりませんでした。

それでも人間に食べてもらうために育てたものだから…と(農家さんが測ってブドウの袋に書かれた糖度をたよりに)甘い房を、子ども食堂や放牧場の近くでオリーブの収穫していた人に配りました。もちろん、ブタたちも!ブタは基本、何でも食べます。(そしてお肉になってくれる。) 触ると、ミカンが甘いか甘くないかも判る高性能の鼻を持っているのに、餌を運んで放牧場のなかに入って、もたもたしていると、エプロンや長靴も、そぉっと口に入れようとかぶりつかれます(笑)

円安で国の外から入ってくるものはもちろん、外から買った高いガソリンを使って運んだ日本国内で作られたものも値上がりしている今の時代。今までの厳しい基準で「美味しさ」「美しさ」「統一感」からはみ出したものを無駄にせず、もっとモノを大切にいただく社会の感覚や仕組みが求められているのではないでしょうか?

▤ 身近にあるものでハッピー

お店に行ったり、テレビや雑誌を見ると、新商品や季節の流行、期間限定商品などに気がつき、なぜか気になって買ってしまう仕組みに飲み込まれそうになります。パッケージもブランドイメージも丁寧に計算されて作られ、どれだけたくさんの方たちがこの商品を生み出すために関わったのか・・・と想像するのは好きなのに、きちんと計算され、きちんとそのとおりにカタチにされたものが溢れている今の日本は、楽しいはずなのに、私にはとても窮屈。

それは「間違いがない」=「間違いが許されない」雰囲気がついて回っているからでしょうか?きちんとしたものを選ぶ社会を好むことは、無理をしないとできないレベルの「きちんと」を求められ、そんな社会で働くことは、ストレスや疲れも大きく、ストレスを発散するために買い物、疲れや不調を癒すためにマッサージや病院という、たくさんのお金が必要な仕組み。お金がいくらあっても足りない、足りなさを感じさせられます。

娘の通う小学校でインフルエンザが流行り、学校閉鎖になっている間、週の半分あったスポ少もお休みに。娘ついでに幼稚園児の息子も一緒に、久しぶりに放牧場でたくさん過ごしました。

交替で軽トラに乗って、草集めや餌集めを手伝い、放牧場では、ブタの餌になるオカラや米ぬか、素麺くず、玄米などで、それぞれがケーキのように盛り付けて、ブタに差し入れ。ブタの餌を炊く廃材で、坂道を走るゴーカートを作って乗る。子どもらしく「その場にあるもので、楽しむ」ために工夫して遊ぶ姿がたくさん見ることができました。

遊びを通して、自分でいろいろ生み出す経験を積み重ね、他の人の活動や作品に対しても、その背景の苦労や工夫を想像したり、寛容さを育み、たくさんの感謝や小さな幸せを感じられるような感覚を持ってくれたらいいなと思います。