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「人間の幸せ」とAIとの線引き

◍ 春には毎年、しとしとと降る長雨があるけど、今年は1ヵ月ほど早いような体感があります。しとしとと降った雨は土の表面を流れ下るのではなく、土が雨水をたっぷりと含みます。たしか、雨の少ないイスラエルの農業は水を効率よく農作物に吸収してもらえる…しとしと雨のような「点滴潅水」だとか。

小豆島のような山と海の間隔が狭い島では、海側の平坦地に街を作り、水が一年を通して多い川の近くに、田んぼを。山側、街の上流の比較的傾斜の少ないところは畑として今も使われています。

ブタの放牧場も、放牧場自体は、(昔の人たちが)大きな石を積んでだんだん畑を作り傾斜を少なくしていても、放牧場と放牧場を結ぶ道は軽トラが通れる太さがあっても、人が歩ける細さでも土の山道。その土の道も、今回の長雨でしっかり水を含んでいて、足を置くと、じゅわっと水が染み出てくるほど。ゆっくり足を置いて、しっかり足が地面に固定できたことを意識して歩かないと、地面の表面に足が乗ったから、もう片方・・・と歩くと、足の乗った地表とともに、低い方へ滑ります。軽トラもゆっくり進まないと、スリップ。まるで溶けかけの雪の上にいるような感じです。

本当だったら、土がたっぷり水を含んでいるときは、そんな土の上を歩かない方が、スリップしないだけでなく、土を海に(ほんの数センチかもしれないけど、毎回だと)流してしまう原因にならなくていいのですが、ブタは毎日おなかがすきます。「悪いことはしない、良いことをする」とは割り切れない日常です。

◍ 島には両手では数えきれない数のお醤油屋さんがあります。普段から、お醤油を仕込む際に、床に落ちた大豆をいただいて、ブタの餌にしているのですが、今回、仕込みの始まりで、窯が壊れ、水に漬けた国産大豆と、炒ってから粉砕した国産麦が何トンも処分されるとのことで、ブタにいただきました。麦は乾いているので、保存できますが、濡れた大豆は、急いで使う必要があります。毎日、10頭くらいの群れに80L桶いっぱいの大豆。できるだけ食べてもらえるように、大豆のうえに、いつもの餌を載せて…我が家では、ご縁があってやってきた野菜や食材を無駄にせず、できるだけブタに食べてもらう養豚をやっています。それもあり、いつも同じ肉質ではなく、そんな一期一会も味わっていただきたいと思います。

▤ 「人間の幸せ」とAIとの線引き

2024年2月15日、アメリカのOpenAI(人工知能の研究をする非営利団体)が、テキストの指示を基に1分の動画を出力できる生成AI(人工知能)「Sora」を発表しました。東京のネオン街を歩くスタイリッシュな女性の姿や、ゴールドラッシュ時代のカリフォルニアの様子が映画のようにリアルに表現されています。このようなAIが進化し、映画のような長編が作られるようになると、今の映画業界で働く人たちはどうなるのでしょうか? AIが作った動画が果たして、観る私たちと何を共有できるのだろうかと考えてしまいます。

子どもが所属しているスポーツ少年団で、卒団する子どもたちを送り出すプレゼントを用意する担当になり、プレゼントのデザインを他の保護者に相談する機会がありました。あくまで「このデザインの方が喜んでくれるかな」という想像でしか意見はでてこないなか、1人の保護者が「これがいい!」と言ってくれました。みんなの少し引き気味の意見のなかで、熱い想いに触れ、私はその方の選んだデザインで注文しました。どのデザインを選んでも、もらう子どもたち次第なので、正解はありません。

AIが人間に代わって、いろいろな作業を担える時代になると、AIには持つことのできない「感情」が重視されるのではないかと思います。日本人は、集団のなかで自分より全体を優先する習慣があるので、「自分はどうしたいのだろう?」と自分を意識する機会が少なく、大人になっても自分の気持ちが分からず、流行や周りの意見・生き方が自分のやりたいことだと思い込んでいるように見えます。

AIは便利かもしれませんが、感情のない作られたものに囲まれている暮らしは、さらに私たちの感情を軽視しないのか…。人間は創造することに喜びを感じる生きもののはずです。AIに任せるところ、人間が「喜び」のために、大変でも大変じゃなくてもやるところを線引きすべきだと感じます。