#182 面白半分日記41 学びの身体技法 ~ 外から内へ、内から外への還流 ~
こんにちは、ボクです。
相変わらず「チンパンジー先生」です。
着ぐるみを着用しているわけではなく、容姿の問題だと自覚しています。
■学びの身体技法
今週の授業のトピックは「学びの身体技法」
コロナ禍をきっかけにオンライン授業を始めた頃、日本のIT技術は汎用性が低く、世界ランキング(2020年時点)で遅れを取っているという報道に衝撃を受けた。
大学に勤めてから担当した政治学やIT系のシラバスを変更し、コロナの状況下で政治的に何をすべきか、情報やIT技術はどうなっているのかついて講義した。
敵対する国家間では軍隊や兵器を使った戦争を始める前に、その裏で、サイバースパイ合戦やサイバー戦争が繰り広げられている現在、日本はデフェンス能力が著しく劣っているというのが国際評価だ。
スイスの国際経営開発研究所をはじめとする各種の国際比較データを見ると、2020年度時点でおおよそ下表のとおりだ。
国家としての脆弱性を修復しようという日本のDSやDX推進などのデジタル戦略をポジティブに解釈すれば、教育界のGIGAスクール構想は渡りに船のような思いだった。
コロナ禍における子ども達の学習がそれで救われるならありがたい。
あくまでも平和利用、日常やビジネス利用、学術利用という側面からの好意的解釈だ。
2020年、GIGAスクール構想の前倒しの報を受け、各学校は教育環境をどうしたいか、教育委員会に学びのあり方や通信環境、一人一台端末に関する要望や意見を上げ、着々と準備を進めるなか、私は定年退職を迎えた。
それ以上のことは手出しできなかった。
2021年には国会でデジタル庁設置が可決された。
大学に着任し、4月の講義は順調だったが、5月の連休明けに感染状況が悪化し、非常事態宣言、まん防、法令・条例の施行や改正など、次々と国家統制が進んでいく状況に暗澹たるい思いが深まっていった。
大学も自宅でのオンライン学習に突入した。
先の見えない暗くて長いトンネルを走る感覚だった。
当初、見えない相手に向かって解説し、録画したものをオンデマンド授業として配信することに違和感を覚えた。
「オレはユーチューバーか!」と。
「気にいったら “ いいね ” ボタン押して、チャンネル登録もヨロシク!!」
わずかながら学生たちにウケたものの、こんな状況がいつまで続くのか不安だった。
お笑い芸人として一発屋で終わりたくない・・・・
いや、そうじゃない。
■新たな教育的課題と向き合う
長いトンネルを抜け出し、講義が平常運転になった時、新たな問題が起こった。
対面授業になった途端、パワーポイントのスライドに慣らされた学生たちは、学内イントラネットに配信されたスライドをダウンロードしてノート代わりにするということが当たり前の感覚になっていた。
パワポの良さを最大限に生かした教材づくりは今もおこなっている。
特段、面倒なことではない。
しかし、違った意味で後々面倒なことにならないか?という疑問があった。
学生たちがあまりノートやメモを取らなくても済むということが習慣化されると、どんな影響が出てくるのか、特に深く議論されることもなく、各教員の授業は粛々と進められ今日に至っている。
私の実感として、効果の上がる勉強の仕方を心得ている学生ほど、ノートづくりの習慣が確立されており、しかもどんどん「ノート上手」「勉強上手」になって成果を上げている。
実は、高校教師だった頃、決め台詞があった。
簿記や情報処理、マーケティングの授業でも、すべて同じことを呪文のように唱えていた。
学生にアンケートを取っても、多くの科目でノートらしいノートをつくっていないことがわった。
授業にノートPCやタブレットを持ち込んでいる学生は良しとしよう。
手を動かすから脳の活性化には貢献しているだろう。
脳内で認知作業が進み学習事項が整理され定着率が高くなる。
「手も動かさずボーッと聞いていると、脳が溶けて耳から流れ出てくるかもしれないぞ!」と言うと、学生にはウケるが、それで態度が改まる者はそう多くはない。
「ほらほら!口を開けっぱなしにして聞いているからヨダレが流れてるぞ!!」と言ったら、あわてて口元に手を当てるが学生が何人かいる。
身体技法が重要なのは武道やスポーツだけの話ではない。
学びとは、見て聞いてインプットするだけなく、話して書いてアウトプットしてナンボだ。
聞くだけ見るだけでなく、話す、音読・朗読する、書くことの意味を今一度強調したい。
チンパンジーの学習能力が高いのは
「真似る→ まねぶ→ 学ぶ」があるからだ。
教師になりたいという志を持つ教職課程専攻の学生たちには、口を酸っぱくして言っているので、私の口の中は唾液であふれている・・・・
学生たちから言われそうだ。
センセー、口からヨダレが出てます!!