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#122 読書日記17 失敗から学習できない人と組織

■『失敗の科学』マシュー・サイドを読んで

教育・学校・教師の失敗(エラー)について考えを整理していたところ、年明けに国内で大きな災害と事故が発生した。

甚大な事故や失敗が発生した場合、原因究明と責任の所在を明らかにするのは当然のこととして、それが個人に帰する問題なのか、組織の責任として扱うのかでは雲泥の差となる。

魔女狩りやトカゲの尻尾切りみたいに個人に原因を求めて片付けてしまうこともある。

「それは秘書がやったことで私は関知していません」

「派閥の会長(故人)が指示したことなので」と。

死人に口なしか・・・・

個人的なミスが、ただ一つの「原因→結果」として重大な事故に直結した場合は分かりやすい。

しかし、ミスを事故に至らしめた連鎖や、それを生み出した背景を無視して、個人を糾弾することは公正とは言えない。

ミシガン州立大学での実験によると、着目するべき脳の信号が2つあるという。

難しいことは読み飛ばしていただきたい。
なにしろ、私が分かってない。

1つは、自分のミスに気づいた後、自動的に現れる信号で「エラー関連陰性電位(ERN)」と呼ばれ、エラーを検出する機能に関連する脳の部位に生じる反応。
もう1つは、「エラー陽性電位(Pe)」と呼ばれ、自分が犯したミスに意識的に着目するときに現れる反応。

マシュー・サイド 『失敗の科学』より

自分のミスに気づくERNの信号
そのミスを意識的に着目するPeの信号

この2つの信号が強いほど、失敗から素早く学ぼうとする傾向があることが分かっているそうだ。

さらに、Peの信号が強い人ほど
知性や才能は努力によって伸びる
と考える傾向があったという実験結果がある。

ミスから学ぼうとするマインドセットは、個人のみならず組織でも育成できるということなのだろう。

■しくみづくり

本書は事例が豊富でわかりやすかった。

日常的にも応用できそうな考え方がある。

すでに何かの機会に経験した手法は「ああ、そういう意味と効果があるんだ」と再認識できる。

例えば、事故防止や犯罪防止に関わる各種の研修会のワークショップで用いられている手法は役に立つ。

まだ始まってもいないのに
プロジェクトは大失敗でした。なぜですか?
という問いを立てる。

失敗していないうちから失敗を想定して学ぶ手法だ。

研修ということもあるが、メンバーは、プロジェクトに対して否定的にとらえない。

失敗を恐れずオープンに話し合うことを経験すると、本番でもそれができる確率が高くなるという。

ディスカッションで
もし上手くいかないことがあるとしたら、それはどんな理由?
と問うて

さあ、みんなで意見を出し合ってみよう!

と議論の行方や反応を見るやり方だ。

そういえば、高校生や大学生の探究学習におけるアイディアの創出、ブレーンストーミングでも似たようなことをやっている。

荒唐無稽なものから割と手堅くて現実的なものまでいろいろなアイディアが出てくる。

仲間の考えや意見を否定せず受け入れる。

自他の意見が融合し化学反応が起こり、思ってもみなかった価値が創造されることがある。

私たちは人間だから、ミスが起きるのは当然のこと。

重要なのは一度起こしたミスを再発させず、トラブルにまでつなげない仕組みが必要だ。

そのためには、まずエラーを受け入れるオープンな姿勢が必要なのだろう。

企業や学校(教育委員会)の研修では、「ヒヤリハット」から事故への連鎖を止めるためのさまざまな事例が紹介されている。

「その時、あなたならどう判断しどう行動する?」

各種事例を通じて学習し、思考のトレースをしておくことは大切だ。

研修や訓練ではこうしたことを視覚的・体感的にシミュレーションし、モデル化、イメージ化するわけだが、私たちは平穏な状況が続くと危機に対する意識が薄らいでいく。

特に私のようなチンパンジーは、3歩も歩けば学んだことが脳からこぼれ落ちる。
いや、チンパンジーより悪いな・・・・・

話はそれるが、
学校の先生方は結構サンダル履きが多いのではないだろうか。

高校教師時代、ある校長からこんなことを言われた。

災害時、スリッパやサンダルで迅速に行動できますか?
脱いで、裸足で避難しますか?
走れる靴に履き替える余裕がありますか?
児童生徒のもとへ速やかに駆けつけたり避難誘導できますか?
天井や壁のがれき、ガラスの破片の上を走れますか?

私は内心、こう思った。
「四六時中、靴を履いていたら足が蒸れて臭くなるな」
「水虫の人はどうするんだ」

それでも、それ以降の約20年間、スーツ姿にフィットするスポーティーな革靴を履いて過ごした。

現在、一足制いっそくせいの学校が増えている。
下駄箱の排除(スペース確保)とスムーズな動線や出入りの確保、そして安全優先だ。

確率論で論じると、最悪の事態はそうそう起こるものではないのかもしれない。

しかし、エラーや事故が発生したとき検証が行われる。

ぬかりはなかったか?
自分は大丈夫と慢心していなかったか?
計画に漏れはなかったか?
注意欠陥、うっかり、勘違いはなかったか?
記憶の欠落なかったか?
「そんなことあり得ない」と思っていなかったか?

ヒューマンエラーに対して
「何をやっているんだ、しっかりしろ!」
と、精神性に訴える方法や、処罰(厳罰化)するという方法を用いても、大きな効果や抑止力は期待できないとされている。

交通・航空事故、建設事故、学校事故、医療事故、行政ミス・・・・

未然防止策はもとより、どんな組織(企業、学校、公共施設、自治体、町内会、家庭)においても「コントロールできるしくみ」をつくっておくことで、いざというときに適切な対応ができるということなのだろう。

望ましい結果にならなかったことは後になってわかることが多い。

そういう意味で、ヒューマンエラーは原因ではなく結果なのだとよく言われる。

事後に報告・学習できる組織にしておくことが重要なのだと理解したい。

本書の内容
第1章 失敗のマネジメント
「ありえない」失敗が起きたとき、人はどう反応するか
「完璧な集中」こそが事故を招く
すべては「仮説」にすぎない

第2章 人はウソを隠すのではなく信じ込む
その「努力」が判断を鈍らせる
過去は「事後的」に編集される

第3章「単純化の罠」から脱出せよ
考えるな、間違えろ
「物語」が人を欺く

第4章 難問はまず切り刻め
「一発逆転」より「百発逆転」

第5章「犯人探し」バイアス
脳に組み込まれた「非難」のプログラム
「魔女狩り」症候群 そして、誰もいなくなった

第6章 究極の成果をもたらす マインドセット
誰でも、いつからでも能力は伸ばすことができる

終章 失敗と人類の進化
失敗は「厄災」ではない