子どもたちのあげるメッセージが私の胸にギュッと突き刺さる

子どもが教える学校 校長の鈴木です。
  

・社会にはルールはいらない

 本当に必要なのは「思いやり」

 

・僕たち「人間が絶滅危惧種」

 だとしたらどう思いますか

  

・なんで数学の方が問題をショートカット

 できるのに、「小学校では学ばない」の

  

・大人はなんで嫌いな仕事を

 いつまでも「辞めないの」

  

・「設計図のない」ほうが

 物作りは断然面白い

  

・ゲームって大人が思うよりすごいよ

 「戦略性」が学べるんだよ

  

・マンガだって馬鹿にできない

 国語の成績が上がったんだから

  

  

これらはすべて

子ども先生たちの言葉です。


  

すごいねぇ、、

心に突き刺さるねぇ、

子どもなのに!?

  

  

子どもなのになんかじゃ、

決してないと私は思います。

  

  

フラットな濁りなき視線で

世の中を見ているからこそ、

  

世の中の歪みや

こびりついた常識、

  

視線を変えることで

新たに見えてくる可能性に

  

自分なりの視点から

警笛をあげてるんだと思います。

  

  

彼ら、彼女たちは、

いつまでこんなメッセージを

あげ続けてくれるのだろうか。

  

  

大人が聞く耳を持たなかったら

いつしか疲れて声をあげなく

なってしまうのだろうか。

  

  

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声をあげるより

世間に迎合したほうが楽だと思うのかな。

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声をあげることに

くじけてしまうのかな。

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自分ひとりの意見より

大多数のほうにひるがえっちゃうのかな。

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それが大人になるって

ことなのだろうか。。。

  

子どもたちが持っている

宝物のような視点や気づき、

アイデア、発想、思いやり、

  

それらが成長とともに

消えていってしまうのだとしたら、

本当に悲しい。悔しい。

  

  

それが

大人たちの「聞く耳次第」なのだとしたら

とてつもない焦りと責任を感じる、、

  

  

子どもたちを見ていると、

学年を重ねるごとに、歳を経ることに、

 

自分の意見や考え、アイデアを

突き通すことに「くじけちゃってる子」が

多いなぁと感じる。

  

 

悲しい。(2回目)

  

  

幼いうちに

自分の意見や考えやアイデアを

誰かに堂々と伝えられる経験ができれば、

  

それを受け入れてくれる場や

聞いてくれる大人がいれば、

  

ただ我を通すのではなく

相手とのコミュニケーションの調和の中で

新たな何かを生む伝える力が育めれば、

  

自分の考えを持つことを

誰かに伝えることを

  

くじけなくなるんじゃないかって。

  

そんなことを思いながら

子ども先生のプロジェクトをやっています。

  

 

  

プロジェクトには

本当にさまざまなお子さんが参加を

してくれています。

  

 

特殊なセンスや能力を

持ちながらなかなかまわりに

理解してもらえない子とか、

  

海外経験が長く

なかなか自己表現できる場のない子とか、

  

もちろん

  

発表が大好きで

そのスキルを磨きたい子や、

  

反対に

  

人前で話すのが苦手だからこそ

ひとつ挑戦してみたい子とか。

  

プロジェクトについて気になってる方が

いらっしゃれば、遠慮なくメッセージ

くださいね。


次期子ども先生の募集も始まりました!

https://kodomosensei.com/event/event01/kouza01/


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子どもが教える学校 校長 鈴木深雪

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