ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン』より

”別の言語を習得するとはどういうことか?もしフランス語の母音を完璧に発音できるようになり、フランス語の単語の意味を全部覚えて駆使できるようになったとしたら、フランス語を話せるといってもいいだろうか。発音と単語の知識さえあれば、生活の特定の場面での適切な表現を使うのに充分だろうか。それさえあれば、フランス知識人と同等にヴォルテールを読みこなせるのだろうかー答えはノーだ。言語とは、構成部分(単語、音声、文)の総和ではない。その言語を成り立たせている文化の知識なしでは、純然たる言語だけでは、充分なコミュニケーションや理解には不足なのだ。
文化は、わたしたちを取り巻く世界からわたしたちが感じとるさまざまなものを意味付けしてくれる。そして言語もまた、わたしたちを取り巻く世界の一部だ。”(第十三章「文法はどれだけ必要か」283頁)

”わたしは動詞と名詞さえあれば文法の基本的な骨格は自然とできあがるのではないかと確信するようになった。動詞の意味が成立するためには、いくつかの名詞が必要になる。それらの名詞と動詞が限られた順序で並べば、簡単な文はできる。これが文法の根幹で、それ以外のさまざまな順序や配列は文化や文脈、動詞や名詞の修飾に応じて決まる。文法にはほかにも要素はあるが、文法を構成する必須の要件は考えられてきたほどには多くない。”(第十五章「再帰ー言葉の入れ子人形」332頁)