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【ご縁は大切③-1】恩師のお話②〜大切な前置き〜

まず、前置きに説明しなくてはならないことがあります。
この人生の恩師は「西洋占星術・アカシックリーディング」の専門家です。

そして、私は僧侶として、仏道にお仕えする身でもあります。

私は普段はその「お役目」を果たすために僧侶という立場を纏います。
私が仏道に入ることになったのは
あくまで家業の支えをせねばならないという義務感もあるからです。

家族を助けて支えたいから
「許可をもらって僧侶にならざるを得なかった」
という現実があります。

冥加金をお納めして戒律(現代においての根拠が不明瞭とは感じてる)を守り
そして本山に許可をもらった人しか僧侶として布教したりお経を唱えてはいけない
今私のいる仏門ではそうなっています。

誤解しないでいただきたいのは
今からするお話は決して仏道や僧侶の存在そのものを否定するものではないです。

私は仏道は立派な精神世界であり、日本人にとても合った
日本人に寄り添った世界だと思うので、全く否定をするつもりはないのです。

ただ、私の体験から、現代の仏教や僧侶としてのあり方に少し疑問を持っている。
そして今もそれをずっと考え続けている。
という現状を踏まえてお読みいただければ幸いです。

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ある日、とある、関係の僧侶の方々に言われました。

【僧侶になったのだからそういう方(占術師など)とお付き合いしてはいけない】

男性2名に急に呼び出されて、突然「お叱り」のようなことを受け
その方と縁を切らないと僧侶を続けてもらっては困るとそう言われました。

半年たった後でも、私の母に
「その方とのお付き合いは本当になくなっているのか」
などと確認の連絡も来ていたほどです。

最初に「縁切り」を申し渡されて、その理由をお尋ねしたところ。
「檀家さんや信者が「迷われる」から」と。

正直このお答えにも色々思うことはありますが
(簡単にいうと檀家さんや信者を「ご自分の意思のない弱い者と決めつけている」のでは?いう感覚がしました)

なによりも1番気になったのは。

その2名のうちのお一人の方に
新米僧侶の私が「そういう方とのお付き合いがある」ことを
なんの悪気もなく(占術師への価値観の相違)お伝えした際。

「色んな方とお付き合いがあるのはいいことです」
と明るく笑って私に言っていたのにも関わらず。

いざ蓋を開けてみたところ、突然私に対して
「そういうのは良くない」と手のひらを返して
お偉い方と一緒に私に対してお咎めしてくださったことです。

この件に関する図式としては。

私から話を聞く
→聞かれた僧侶の方がお偉い僧侶の方にそれをお伝えする
→結果お二人で私に対してご指導くださる。

つまり簡単に言えば、真ん中の僧侶の方は
私が信頼してお話ししたことを
お偉い方に告げ口されたということになります。

その方に最初のお付き合いのお話しをしてから
実に、あいだ2週間はありました。

さらにその方とはその2週間の間にも、もう一回お電話でお話もしているのです。

その2回のお電話の最中、どちらとも私はその方から
それについてのご指導はまったく頂きませんでした。

ただただ、好意的に私に対して、お話をしてくださった記憶しかありません。

ですが、呼ばれて向かったその先で。

その方は私に「自分は子どもが神社の鳥居へ踏み込むことを辞めろと言っている」
とご自身のお話を堂々とおっしゃられ。

「君の行為は良くないことだ」と私に諭されたのです。
仏道以外の精神世界に通ずることはよくないこと。そうおっしゃられたのです。

私はその日以来、ずっと、その件に関しての違和感が残り。
正直、それ以来その方を、いや、僧侶のあり方そのものを
どうしても信用する気にはならないのが現状です。

諸々の事情がありますが、私自身は、その方が
私の亡き父の想いを踏みにじってくださったようにも感じていて。
(死んでしまえば何言ってもどうしても構わないと思っていらっしゃるように感じて)
そういう部分でも、すこし、気が立つ部分もあると思います。

その方を許せない気持ちでいるのはあくまで私の「まだ幼く未熟な部分」ですので
それは正直お恥ずかしい話、自分でどうにか処理するしかないのですが。

もし同じようなことが私に起こったなら。
「自分が先輩で、自分よりも若い方が何か失敗をしたり、間違っていると思う方向に向かう場合」は。

まず自分の見解をその場できちんと、本人に伝えて見守るスタイルを取ります。
そのような「告げ口」スタイルを絶対に取ったりはしません。

でも仮にそのつもりはなく、万が一結果的にそうなってしまった可能性があるとしたら。

それは「自分も若い人同様に知らなかった・勘違いしていた」
という場合だと思います。

もし自分がそうならば、私なら。

お偉い方にもキチンと自分の知らなかったという失態をお話して
「自分もその認識がなかった」ということをそのお偉い方にも詫びて。

そして、その次に必ず、その若い方に「自分がまず勘違いしていた」ことを
きちんと説明しお話し、誤解していたことを詫びて。

その上で、改めて「正しいといわれること」を丁寧に指導する。

そういう行動をとります。

これまで僧侶以外の仕事の世界でも
そういう風に私は、こそこそせずに、上下関係を作って過ごして来ました。

信頼は何よりも何においても大切で。
その理由は「人は誰しも悪気があって悪いといわれることをするものではない」と
いう思いが自分には根底にあるからです。

でも、私の中では、その件以来。
・何故、あのお話しした時に、お話を聞いた方は、それを言わなかったのか?
・陰で別の方にそのお話をして、今度はその方と一緒に責めるのは何故か?
それをずっと疑問に感じています。

基本私は自分の信念が強いのでそこまで気に病みませんでしたが。。。

捉えようによってはこれは立派なパワハラで。
まさかこんなことが僧侶の世界にもあるかと愕然としたのを覚えています。

それをきっかけにますます「僧侶の存在の意義」に不信感を持つ結果となりました。

(このコロナ禍に、母に心のない言葉をかけられたお話も聞いてますます不信は募っています)

阿弥陀様の教えは、尊いです。これは間違いありません。
もちろん、偉そうに言えるほど、私も教えなど良くわかっていないとも思います。

ただ、仏教そのものは、私の根底にあり。
まだまだ、知らない世界がたくさんあり、さらには興味があります。

縁という言葉も仏道の中ではとても重要な言葉です。

ただ、私の中では、そんな素晴らしい方にお使えする身だからといって
決して「僧侶」というだけで、特別な存在なのではない。

基本は一人の人間として、弱い命を抱えて存在している。
そう思っています。

なので、僧侶という立場から「何か「仏道」以外のものを否定する」というような
そういう戒律や風潮を、ほんの少し許せない、と感じている部分はあります。

神仏一体と思う節が私にはあり、皆、辿り着くところは同じで
それぞれが入りやすい入り口がある。
私の中では精神世界をそう捉えています。

宗教や信仰(占術も私は一つの精神世界と捉えます)はそれぞれに合う
フィットするものがあるだけで。
どれも否定すべき存在ではないと思います。

むしろ否定することが必要ならば、まずはその世界の方ときちんとお話を
多少なりとも勉強をしてからではないと
頭ごなしに否定してはいけないのでは?と思ったりもします。

相手や他の世界にことを良く知りもせず、人を査定して否定するようなことは
人権問題にも関わりますし
そのような行動を、それこそ僧侶たるものは、とるべきではないと思います。

そして、私が思うに、檀家さんにもご自身の知恵もあり、経験もあり
知識もあり、自由があると思っています。

僧侶という立場を用いて、先回りし、相手を「弱き」とこちらが勝手に決めて
道筋を勝手に敷くことが、正しい布教だとは思えないのです。

(すべての方がそうでは無く、たまたま私が触れた方がそういうことを感じさせる方だったということでご理解ください)

そういう点では私の父は今から思えば尊敬に値する人だと思いました。

父はキリスト教の神父さんとも交流を深めてお話をよく聞いていましたし
礼拝にも参加したこともありました。

神社にも行きましたし、だからと言って仏教を決して否定せず
きちんと自分は仏道の僧侶として、いろんなことを
一生懸命に考えて行動していました。

ただ、私の時代に比べて、まだまだ閉鎖されている時代でしたので
きっと父は異端者として見られていたんだろうと、今はその理解ができます。

父もきっとそのような「人権を無視するような行為」をしたく無くて
どの人も、どんな人も全て大切にするべき一人の人間として
お付き合いを丁寧にしていただけなんだと今はそう思います。

そんなこともあり。
私の中には「キチンと筋道を立ててお話しすればどんな方も
仏道もふくめ全ての精神世界を理解出来る」と
私は自分が関わる檀家の方々を信じています。

なので、私自身は、この人生の恩師
占術・アカシックリーディングの専門家の恩師とのお付き合いは
ご縁が続く限り自分のルーツだと思いますし
この方のお話や見えていらっしゃるものを、決して否定はしないと決めています。

この恩師が私に「自分の亡き後、お経を」と言われたら
「占術師だったので無理です」とお断りするようなことはしないと思います。

私の考えはもちろん、賛否色々あると思いますが。。。

大切なのは、僧侶や占術の専門家というそれぞれの「役割」ではなくて
その人そのものとの本質的なお付き合いだと私は思っています。

なので、明日はこの前置きをベースに、そのような観点から、私の人生の恩師についてお話しさせて頂こうと思います。

人生という舞台で輝ける人を育てる 自分の幸せは自分で生み出す こどもたちにその大切さを伝えるため また 未来を作る若者たちのための サードプレイスを作ります。 そのサードプレイス作りに必要な形で 有効活用させていただきます。