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ヘリコプターマネーでなぜ悪い。10.その可能性は、現に存在している。

出典は失念したが、レーニンはその著書の中で、こう述べているという。

「その可能性は、現に存在している」

この言葉の持つ意味は、極めて重要である。

経済活動は、常に物の流れと一体になって動いている。これは当たり前の話である。
そして、経済活動は物の流れを活発化させる。

しかし、遺憾ながら、そうでない場合もある。恐慌や不況というのが、それである。
かって、マルクスの生きた時代。十年に一度、経済活動は無茶苦茶になった。
手形が落せず、支払い不能が連鎖となって、バタバタと企業が潰れ、潰れた企業を解雇された労働者が、あてもなく露頭に迷う。

社会には、仕事のない多数の労働者がいて、飢えと貧困に苦しみ、一方、その労働者に供給する消費財を生産する工場が、遊休になって稼働を停止している。

20世紀のはじめ、レーニンやボリシェヴィキのような人たちが、ロシアの民衆をこんなふうに扇動した。

「貨幣経済を廃止し、計画経済を導入しよう。
国を見てみろ。恐慌と戦争で、多数の労働者には仕事もなく失業している。
我がロシアには、あり余る鉱物資源と農地がある。
戦争を直ちに止め、中央政府の計画経済によって失業者を計画的に就労させ、食料を配給し、住宅を建設し、衣料品を生産し、ダムを作り、発電所を建設し、工場を建設し、肥沃な農地を開発する。『その可能性は、現に存在している』しかし、貨幣経済が、それを邪魔している」

これが、1917年10月にロシアを革命に導いた原動力だった。
これによって、重化学工業政策がロシアで成功したのは確かである。

私は、「その可能性は、現に存在している」というレーニンの言葉から、「レーニンの最適配分」という、資源配分の最適状態を規定したいと思う。

それは、誰も飢えることなく、世界の全ての人々に食料が行き渡るのが、「レーニンの最適配分」だということだ。
なぜなら、世界の人口を養うだけの食料は、現に存在している。
だから、貨幣経済が廃止されたならば、計画経済で、貨幣なしに、全ての人たちに必要最低限の食料品、衣料品、住居を提供する可能性は、現に存在しているからだ。

この「レーニンの最適配分」が、現在満たされていないという事実。そして、一部の先進国に、財が集中的に集まるという事実は、貨幣経済の限界を示しているのではないだろうか?

多くの人たちは、マルクス経済学を誤解している。マルクスやレーニンは、その著書の中で、資本主義や、資本主義の帝国主義段階の経済法則を明らかにした。
しかし、それは、経済法則を利用しようとか、応用しようとか、マルクスやレーニンが考えたわけではない。

マルクスやレーニンが目指していた社会とは、経済法則を廃棄し、計画経済の、貨幣なき社会だったということが、多くの人々に忘れられている。

国債を財源として、ベーシックインカムで国民全員にお金を配るとか、グリーンニューディール政策で、失業者を国が雇用し、資材を買い入れ、風力、太陽光発電施設、蓄電施設などを建設するのは、事実上の計画経済と言えるかもしれない。

私がMMTの本に接して考えたのは、グリーン・ニューディール政策やベーシックインカムによって、もっと多くの人たちが、人間らしく、より豊かに暮らせる可能性は、現に存在しているということだ。
今の日本には、国が国民にお金を配れば、財やサービスを需要する力は大いにある。それは日本だけではなく、欧米でも同じである。

コロナ禍による国民への現金給付は、次のことを証明した。

つまり、社会にある富は、国民にお金を配ることによって需要される部分が大きいということである。

我々の社会は、その気になれば、計画経済のようなことが可能なのだ。
それを貨幣経済が邪魔しているのだ。その障害を取り除くためには、政府が国債を財源に国民にお金を配る、あるいは、グリーン・ニューディール政策を行なって、政府の財政支出によって、とにかく市中にお金を回す政策を取ることが肝要なのだ。

もし、国が財政支出を拒むなら、民間の力で、市中のマネーストックを増やす方法も可能である。
市中金融機関等に、貨幣創造、貨幣創造代行の権限を与えれば、市中金融機関等の貸付金は、貸倒れリスクゼロになる。
多くの人たちや事業者は、自らの事業のために借り入れを行う。
市中金融機関等から借り入れを行なえば、貨幣創造によって、民間のマネーストックが増え、民間にお金が回り、日本経済は成長軌道に乗ることができる。
それはこのブログで力説している。

日本不況の最大の原因は、貨幣の不足にある。だから、とにかく政府が、国債を財源として、グリーン・ニューディール政策で財政支出を行う、ベーシックインカムを国民に配るのが、日本不況を解決する最も有効な方法だと私は考えている。

「その可能性は、現に存在している」という言葉は、今の日本にピッタリ当てはまる。

今、多くの人たちが、低賃金と失業に苦しんでいる。けれども、そうした人達が、とにかく生存を維持する食料は計算上、日本に存在する。
ならば、どうして、多くの人達が低賃金労働や失業に苦しまねばならないのか?

なぜ、年金生活者が、老後も働かねばならないのか?
長期的な財やサービスの供給能力を確保すれば、年金数理計算にかかわらず、多くの年金生活者が、今よりも、人間的な生活をおくることは可能である。
そのためには、生産の自動化を進め、医療サービスを充実させるために、医師、看護師、介護士などの人材を育成し、病院を建設する必要がある。
国から支給される年金額を上げても、受給者が財やサービスのインフレで、モノが買えない状態を回避する必要がある。
そのために、財やサービスの長期的な供給能力を確保する必要がある。その可能性は、現に存在している。

アパートの空き室が膨大にあるのに、一方で、なぜホームレスの人達が路上生活をしなければならないのか?
ホームレスの人達に国債を財源とした家賃補助や、国の借家一括借上げを行い、誰もが住める公営住宅を建設できる可能性は、現に存在している。

シングルマザーや、その子ども達が、一日三食まともに食べることができない。
そうした人達に、食料を与える可能性は、現に存在している。
ベーシックインカムの支給や、最低賃金を引き上げれば、そうした人達が三食食べるだけの食料は、日本に存在しているからだ。

来たるべき大地震に備え、防災のためになすべきことも、私の主張する方法なら、その対策を行う可能性は、現に存在している。

国が国債を財源にして、グリーン・ニューディール政策を行い、風力、太陽光発電施設、蓄電施設を建設し、電気を供給すれば、燃料費ゼロで、電気をゼロに近い価格で、工場、家庭、輸送機関等に送り、動力費を劇的に下げる、その可能性は、現に存在している。
その電気で、3Dプリンター、ロボット、AI、自動運転システムなどを動かせば、労務費はほぼゼロになる。その可能性は、現に存在している。
私が提唱する会計操作によって、風力、太陽光発電施設、蓄電施設の減価償却費がなくなれば、財やサービスの価格は、限りなくゼロに近づく。
スマホゲーム、動画、映像、音楽のように、財やサービスに希少性がなくなり、消費者はわずかの支出で財やサービスを享受する。
その可能性は、現に存在している。

列車や航空機に空席があるというのも、可能性が眠り込んでいる代表例かもしれない。
たとえば、鉄道会社や空港会社の巨額債務に徳政令をかければ、鉄道運賃、航空運賃が下がり、多くの人たちが、その空席を利用して、観光地に人が来る。その可能性は、現に存在している。

何か新しい技術を事業化したり、新しい商品のアイデアを温め、起業のチャンスをうかがっている、会社勤めのエンジニアやビジネスパーソンがいるかもしれない。
そうした人たちに起業資金を融通し、そうした人たちが事業を起こし成功する。その可能性は、現に存在している。

このように、市中にお金が回れば、日本にある様々な可能性が現実のものとなる。その可能性は、現に存在している。

私は、MMTの考えは、一種の指令経済、計画経済であると思っている。
かってのソ連では、計画経済により、政府が指図書を発行し、資材や労働力を調達して、社会のインフラや消費財などを生産した。
MMTは、国が国債を発行し、失業者を国が高給で雇い、資材を調達。風力、太陽光発電施設、蓄電施設を建設。燃料費ゼロの電気を、工場、家庭、輸送機関に送り、社会に流通する財やサービスの生産コストを大幅に引き下げることを目標の一つとしている。

つまり、日銀が国債を財源にして、国民にベーシックインカムを配ろうが、徳政令で企業の借金をチャラにしようが、バランスシートを分割しようが、経済的な側面がどうであっても、社会の経済活動が活発になり、社会のモノの動き、ファンダメンタルズ(経済的物質的基礎)、物質代謝がうまく回っている限り、全ては許される。

これが、私の結論である。

ジェレミーリフキンは、その著書「限界費用ゼロ社会」において、資本主義社会から資本主義社会にとって変わる動きが広がる。
そして、資本主義社会にとって変わる社会が生れる。その移行には長い歳月が必要だとしている。

中国や欧米で行われている、第三次産業革命は、従来の中央集権的な生産システムから、水平的、分散的に繋がったコミュニティによる生産システムに移行する契機となる。
再生可能エネルギーを中心とした電力インフラにより、住民や生産者が相互に電力を融通しながら、生活や生産活動を行う多数のコミュニティに分かれるだろう。
そのコミュニティの中で、人々は簡単な規則を作り、電気や生産物をシェアするであろう。

以上で、私の「ヘリコプターマネーでなぜ悪い」のブログを終えたいと思う。

私の提案が受け入れられるかどうかは分からないが、私の提案する会計操作が成功することを期待している。

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お知らせ

これで、私の投稿したマネジメント関係のブログはおしまいです。
「マネジメントのための韓非子注解」、「我々はいかに勝つか?事業戦略」、「ヘリコプターマネーでなぜ悪い」のブログは、難解な部分もありますが、分かる人には分かると思います。

私も、今年で66歳になります。
心不全、心筋梗塞、脳梗塞、ガンなどで、いつあの世からお迎えが来てもおかしくない年齢になりました。
私の持っているノウハウや考えを後世に残したいと思い、これらのブログを投稿しました。

今は、「我が人生に、悔い無し」という気持ちです。

noteで、私の名前、「鈴木敦雄」を検索すれば、無料でブログが読めます。

今後の予定ですが、今のところ健康状態は良好なので、健康なうちは、ブログをこれからも投稿していきたいと思います。

とりあえず、一年半前に投稿した、日本の鉄道政策に関するブログについて、新しい展開を踏まえて、四回に分けて補足をしたいと思います。

その後は、以前書いた、長編トラベルミステリー小説、「夏の旅」、「急行八甲田の男」をブログに連載する予定です。ご期待ください。

鈴木敦雄(公認会計士)

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