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事業戦略「第三次産業革命の衝撃」補論。1、脱炭素ビジネスについて思うこと。

これから二回に分けて、私の投稿したブログ、「事業戦略・第三次産業革命の衝撃」の補論として、脱炭素、水素ビジネス、ライドシェア(車の相乗り)について、考えていることを発信したい。
もちろん、私の意見についていろいろな考えがあることは承知している。
その後、長編トラベルミステリー小説「急行八甲田の男」をブログにアップする予定です。

脱炭素ビジネスについて思うこと。

最近、日本では「脱炭素」ということがよく言われる。もちろん脱炭素は望ましいが、おかしな方向におカネが使われているような気がする。

欧米、中国、日本でも、経済学者のジェレミー・リフキンの言う第三次産業革命が進展している。
詳しくはNHK出版刊の、リフキン、「グローバル・グリーンニューディール」、「限界費用ゼロ社会」を参照して欲しい。

それでは、第三次産業革命とは何か?ざっくり説明したい。

リフキンによると、現在、世界は第二次産業革命から第三次産業革命への移行期にある。
その移行には数十年が必要とされている。
私は、何も、来年、第三次産業革命が進んで、火力発電所が全部なくなり、風力、太陽光発電施設ばかりになる。ガソリン車が全部電気自動車に変わる。ガソリン車の製造施設が全部不要になると言っているわけではない。

しかし、今から第三次産業革命の進展に備えて、火力発電所、原子力発電所、ガソリン車製造施設などの第二次産業革命に依拠する施設を、いかに有利なシナリオで廃棄して、自分の事業を、第三次産業革命の経済の流れに沿って変化させていくのか?そのシナリオを描いていく必要があるということだ。

リフキンによると、産業革命を区分する特徴は、コミュニケーション媒体、エネルギー源、輸送/ロジスティクス、の三つとしている。

第一次産業革命は19世紀にイギリスで始まった。
そのエネルギー源は石炭である。石炭を燃やして水蒸気を発生させ、回転運動に変えた蒸気機関が主なものである。
蒸気機関による自動織機、蒸気機関車による人と貨物の輸送が輸送/ロジスティクス。蒸気機関を利用した印刷機による大量の印刷物、モールス信号による電信網などがコミュニケーション媒体である。

第二次産業革命は20世紀に入り、アメリカで始まった。エネルギー源は、水力、火力、原子力発電により供給される電力、ガソリン車の燃料となる石油。鉄道は電化され、高速道路網が発達。ロードサイドに工場やショッピングセンターが建設された。コミュニケーション媒体は電話、テレビ、ラジオである。

21世紀に入って、第三次産業革命が始まった。エネルギー源は、風力、太陽光発電によって生まれた燃料費ゼロの再生可能エネルギーである。
風力、太陽光発電とは異なり、火力、原子力発電は燃料を燃やさねば発電できないので、燃料費ゼロの風力、太陽光発電にはコスト面で太刀打ちできない。火力、原子力発電施設は今は安泰でも、第三次産業革命の進展によって、座礁資産すなわち経済的に見合わない資産とならざるを得ない。

現在、日本では、そうなっていないが、このまま風力、太陽光発電施設の建設が進めば、火力、原子力発電は、燃料費ゼロの再生可能エネルギーにとって変わられるだろう。
仮に、風力、太陽光発電施設の初期投資を国が負担すれば、ほぼゼロに近い価格で、工場、家庭、輸送機関などに電気が供給されるだろう。

そうなれば、我々は、インターネット、スマホの音楽や動画のように、ほぼ無料で、様々な財やサービスを手にすることができるようになるだろう。

そして、再生可能エネルギー100%となれば、自動的に脱炭素となる、ということである。

ところが、日本は脱炭素を進めるとして、間違った方向におカネが使われているような気がする。

たとえばCO2回収装置。石炭火力発電所で石炭を燃やし発電を行い、その排煙からCO2を回収して固形化して地面に埋めるという具合である。
確かに脱炭素にはなるが、しかし火力発電は燃料を燃やさねば発電できないから、いずれ風力、太陽光発電にとって代わられ、CO2回収装置は座礁資産となる。

既存の火力発電所を将来も稼働させるための延命措置だが、経済的必然性に逆らっているように思えてならない。

原子力発電は、確かに脱炭素であるが、戦争や地震によって原子炉が破壊される恐れがある。それに、核燃料を燃やさねば発電できないから、結局は、風力、太陽光発電にコスト面で太刀打ちができなくなる。

たとえ、今から火力発電、原子力発電に多額の支出をしても、火力、原子力発電は燃料が必要だという致命的欠陥がある。CO2除去装置を取り付けても、火力発電所が座礁資産となれば、消える運命にある。

第三次産業革命とは何か?その究極の目的は、再生可能エネルギー100パーセントの、燃料費ゼロのコストで得た価格ほぼゼロの電気を、工場のライン、設備、ロボット、3Dプリンター、輸送機関などに送り、多くの財やサービスをほぼゼロのコストで消費者に供給することである。

これを推進するのが、グリーン・ニューディール政策である。
政府が国債を財源として、風力、太陽光発電、蓄電施設などの資材を買い入れ、高給で労働者を雇う。
そして、国が初期投資を負担して、風力、太陽光発電施設、蓄電施設などを建設。また既存の風力、太陽光発電施設を国が民間から買い上げ、このほぼゼロの価格の電気を、工場、家庭、輸送機関などに供給。
これによって、財やサービスの価格を限りなくゼロに近づける。発電インフラは公有される。

これが再生可能エネルギー100パーセントの社会であり、その結果脱炭素が図られる。
だから、脱炭素になれば何でも良いというわけではない。

水素自家用車と水素のサプライチェーン。

CO2回収装置とともにわからないのは、水素サプライチェーンである。
中東やオーストラリアで生産された水素を、水素運搬船で日本に運び、港湾の貯蔵施設で貯蔵して、ローリーや貨車で、道路沿いの多数の水素ステーションに運び、そこで、燃料電池自家用車、水素エンジン車に充填するというものである。
これは、ガソリン自動車と同様のサプライチェーンを維持しようとする試みであるが、私は三つ疑問点を持っている。
まず、水素ステーションは建設のためにかなりのコストがかかること。
第ニに、水素自家用車、水素エンジン車が普及するのか?という問題。
最後に、水素は、水と電気があるなら、どこでも生産が可能だということである。

別に、中東やオーストラリアから日本に水素運搬船で水素を運ばなくても、燃料電池電車、バス、トラック、船舶などの水素充填地点で、水と電気を引いて水素製造施設を建設。水を電気分解すれば、水素は生産できる。
また、電気が、風力、太陽光発電由来であれば、水素の生産コストはほぼゼロである。

水素を輸入するということになると、水素のコストは高くなるので、地産地消の水素にはコスト面で太刀打ちができない。

私はFCVの自家用車は普及しないと思う。
普及するのは、燃料電池を動力源とする電車、バス、トラック、船舶に限られるのではないか?と思う。
これであれば、車庫や港湾施設に水素製造施設を建設。風力、太陽光発電によって得られた電気で水を電気分解すれば、地産地消のコストほぼゼロの水素を得ることができる。

なぜ、このような事が起きるのか?今、欧米、中国はもちろん、日本でも、第ニ次産業革命のインフラを守ろうとする人々と、第三次産業革命の経済の流れに乗って成功しようとする人々との闘争が勃発しているのである。
CO2回収装置にしても、原子力発電は脱炭素だと主張するにしても、ガソリン同様のサプライチェーンを水素で実現しようという試みも、第二次産業革命のインフラをなんとか守ろうとする人々の試みであるが、私は無駄なような気がする。

第二次産業革命から第三次産業革命への経済の流れは、もう誰にも止めることができない経済的必然性を持った経済の流れである。
その過程で、いろいろな試みをしているのだが、第ニ次産業革命から第三次産業革命への移行の流れを止めようとするのは、揚子江の流れを戸板でせき止めようとするのと同じ、無駄なことだと思う。


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