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長編トラベルミステリー小説「急行八甲田の男」。14.東京からの来訪者。

14.東京からの来訪者

平成七年十二月三十一日大晦日。余市署のコンクリート製の拘置所は冷え冷えとしていた。そのコンクリートの上に畳が敷かれ、狭い鉄格子の入った窓の外では、鉛色の空に真っ白な雪が狂ったように舞っていた。
道雄は、狭い拘置独房から出され、余市署の取調室で市川課長の取り調べを受けていた。もっとも、それは、取り調べというよりは事情聴取に近かった。道雄は二日間何も食べず、目だけが異様に光って、完全に憔悴(しょうすい)していた。
市川課長は道雄の話を聞いて非常に同情した。
道雄は独房で真っ赤に泣きはらした目にさらに涙をためながら、がりがりになった手で市川課長に訴えた。
「俺は苦しい・・」
「何が苦しいんだ?」
「ここだ。初江を失ったこの胸の苦しみだ。まるで棍棒でどつかれたような苦しみに、ぽっかりと空洞になった心の寂しさに、どう耐えていけば良いのか・・?」
市川課長はその話を聞きながら答えた。
「まあ・・きみには気の毒なことだったと言わざるを得ない。だが、起きてしまったことは仕方がない。どうにもならないんだ」
「そう・・・。だが、俺の心は苦しみでいっぱいだ。どうしてあの時・・初江のかわりに俺が刺されなかったのか・・そうすれば、こんな苦しみは味あわなくて済むのに・・このむなしさをどう埋め合わせれば良いのか・・・」
市川課長は道雄の独白を黙って聞いていた。それしかない。こうした時には決して話を制することなく聞き手に回ることが一番だ。そうして本人が言いたいことを全てぶちまけてくれれば、本人の心の痛みも楽になるに違いない。市川課長はこう言った。
「まあ・・何だな・・『覆水盆に帰らず』とも言うからな・・」
「覆水・・盆に帰らず・・」
「つまり、地面にこぼれた水をお盆に再び集めることはできない。同じように、起きてしまったことは、もう考えても仕方ないんだよ」
「そう・・だから昨日の夜も必死になって諦めよう、諦めようと自分に言い聞かせてきた。もう初江は死んだんだ。死んだ人間のことをいくら言っても仕方がない・・・と・・だがそう思うほどますます諦めがつかない」
市川課長は制服のポケットからマイルドセブンの箱を取り出すと、道雄に勧めた。だが、道雄は「自分はタバコを吸わない」と、これを断った。

年が明けて、平成八年一月一日元旦。余市の街の初景色は雪に埋もれてひっそりとしていた。初日が出る時間は、薄暗く雪がごうごうと舞い、街路灯の明かりがわずかに残っていた。
市川課長は、早朝、家を出る前に、妻の作った雑煮を食べ、今年一年何もないことは神棚に願った。今年もどうやら正月三が日は出勤になりそうだ。雪は相変わらず激しく降り続いている。

その日の十二時半すぎ、市川課長はさっぱりした目でデスクから外を眺めていた。木村道雄はこの二日間自分にいろいろなことを話してくれた。木村には非常に同情すべき点が多いことを感じた。
市川課長はひたすら考えていた。木村道雄は福本を殴り殺した。これは、正当防衛か過剰防衛か?と。市川課長は、できれば木村を正当防衛で救ってやりたいと考えていた。ただ、この事件は自分の管轄外である。問題は、本庁の係官がどう判断するかだ。
木村が福本を水道鉛管で突いて、福本を倒し、右の手を打ち骨折させた時点で福本は命乞いをしている。この時点で、木村が福本への攻撃を止めていれば、何の問題もなかった。しかし、福本が命乞いをしているのを無視して、木村は三矢初江を刺された恨みから逆上し、福本を殴り殺している。過剰防衛という可能性もある。そうなれば刑務所行きも最悪の場合には考えられる。市川課長としては、今日、警視庁から来る警部補たちに事情を説明して、木村道雄をなんとか正当防衛で救ってやるため、全力を尽くすことを考えていた。
署長が上の階から降りてきて、市川課長に声をかけた。
「おい、市川くん。本庁のかたはまだ見えないのか?」
市川課長は答えた。
「今、水野くんと阿部くんが余市駅まで迎えに行ってます」
「何時の列車だ?」
「小樽から余市に12時27分に着く列車です」
「そうか。着いたら署長室へ通してくれ」
「わかってます」
市川課長がそう言うと、署長はだぶつき気味のお腹を抱えて署長室へ帰っていった。
署長は頭の禿げた、温厚な人柄の人である。仕事はみんな部下に任せて、何か、いるのかいないのか良くわからない人である。ただ、こういう時になると、ポッとやって来るのであるが、それでもちゃんと署の仕事はうまく回っているのだから不思議である。
「あの署長、いるのかいないのかさっぱりわからない。別に俺たちだけでも、十分やっていける。署がうまくいっているのは、俺たちの働きさ」このあいだの、課長どうしの忘年会に、交通課長がもらした一言だ。
その時、市川課長が窓の外を見ると、水野巡査と阿部巡査の乗った車が帰ってきたのを見つけた。車から二人の濃紺のコートを着た男が降り立った。市川課長は席を立つとこの二人を出入り口に迎えに行った。
市川課長は入口の受付のところにいたこの二人に挨拶をすると、二人を署長室へ案内した。
署長室のドアを開けると、デスクの署長は二人を歓待した。
「どうも、どうも、遠いところをえらかったでしょ。さあ、どうぞ」
署長は、コートを手にした、三つ揃いの背広を着た二人の男に、署長室の応接のソファーに座るように促した。
二人の男は、署長と市川課長に名刺を渡した。
一人は長身の、年の頃四十歳すぎの、金縁のメガネをかけた男である。頭の額が数学者のように広い。
「警視庁警部補、吉田三郎」
もう一人は身長190センチはあろうかという、頭を角刈りにしたスポーツマンタイプの男だった。そのごつごつした骨太の手から名刺を渡した。
「新宿署刑事、元木誠」
署長は「まあ、とにかく座ってください」と吉田警部補に促した。吉田警部補は、「それじゃあ君も失礼して・・」と元木刑事に言い、二人はソファーに座った。
署長は切り出した。
「羽田空港から新千歳空港までは飛行機ですか?」
吉田警部補は答えた。
「そうです。今は帰省のシーズンですが、さすがに一月一日は空席がありましてね。もっとも帰省の最中でも無理を言えば席は取れますがね。今朝の羽田空港発午前6時40分の朝一番の日航機で、新千歳空港に少し遅れて8時50分に着いたまでは良かったんですが、そこからが大変でしたね。小樽でお昼ご飯を食べて、先ほど余市駅に着いたところです。しかし、すごい雪ですね」
「このところ暖冬が続いておったんですが、昨日も新千歳空港が一時閉鎖になりましてね。心配しましたよ。東京のほうは?」
「少し、そう三センチくらい積もった程度ですよ。それでもなんだかんだと交通機関に影響が出るんですよ。北海道に住んでおられるあなたがたには笑われてしまいそうですがね」
この一言で、初対面で緊張していた一同はおおいに笑った。署長は尋ねた。
「それで今日は、殺人の重要容疑者の木村道雄の身柄を受け取り、今日の最終の飛行機でまた羽田に戻る。そういうことですか?」
「その予定です」吉田警部補は続けた。
「実はね。木村道雄の行方を警視庁の全力をあげて追っていたんですが、見つからなかったんです。それでとりあえず本籍照会をしたところ、すぐに木村道雄の身柄を確保したとの連絡を受けまして、捜査員一同非常に喜んでおります」
署長は嬉しそうに「いや、お役にたてて光栄です。これはここの市川くんのお手柄ですよ」と市川課長に向かって褒めるように言った。市川課長はこの一言に笑みを浮かべた。署長はこういう手柄は全部本人に回してくれる。
署長は続ける。
「しかし、よく本籍地がわかりましたね・・」
吉田警部補は答えた。
「ええ、容疑者の木村が事件後脱ぎ捨てたコートから運転免許証が出てきましてね」
「ああ、そういうことでしたか」署長と市川課長は頷いた。
「十人くらいの人が証人になってくれましてね。その人たちに運転免許証の写真を見せたところ、ケンカをしていたのは確かにこの人だというのでね。我々も各駅で緊急配備を敷いたんですが、何分服装がわからない。というのは、コートを着てケンカをしているんですね。ところが木村は、逃げる途中でその返り血を浴びたコートを脱ぎ捨てている。その下の服装がわからなかったものですから、緊急配備でも捕まえることができなかったんです」
署長は、「実は、ちょっと市川くん。あれを・・」と市川課長に促した。
その時、市川課長は十枚近くの取り調べ調書を取り出した。
「木村は我々にこの二日間でいろいろ喋ってくれましてね。これが調書です。ご参考になれば幸いです」
市川課長はそう言うと、吉田警部補に取り調べ調書を渡した。
吉田警部補は、「どうも、じゃあ読ませてもらいます」と言い、しばらくこの調書を読んでいた。時々「ああ、・・・なるほど・・うん・・そういうことか!」などと相槌を元木刑事と打っていた。やがて調書を読み終わると、吉田警部補は市川課長に尋ねた。
「この調書は、市川課長の書かれたものですか?」
「そうです」
「こちらの余市署には、長いんですか?」
「いえ、二十年近く札幌市内の署に勤務していました」
「そうですか。なかなか良い調書ですよ。コピーをいただけますか?」
その時、ドアをノックして「失礼します!」と声がした。「どうぞ!」と署長が言うと、阿部巡査が慣れない手つきでお盆に載せたコーヒーを四つ持ってきた。
「まあ、どうぞ・・」
署長は吉田警部補と元木刑事にコーヒーを勧めた。二人は軽く会釈をした。
市川課長は、コーヒーを置いて帰ろうとした阿部巡査に、「阿部くん。これをコピーしてきてくれ」と頼んだ。
「わかりました」と阿部巡査はその調書をもって部屋を出て行った。
署長はコーヒーに砂糖とミルクを無造作に入れると、スプーンで乱暴にひっかき回した。市川課長はこれを見ながら、まあ、この場はお前に任せる。お前が取り仕切れ、という署長のいつものサインだと判断して、吉田警部補に話しかけた。
「しかし、あの木村道雄の幼なじみという三矢初江はかわいそうなことになりましたね。木村道雄はこの二日間ほとんど何も食べていない。時折大粒の涙を浮かべて泣いています。確かに、好きな女があんなふうに目の前で殺されては本人はたまらんでしょう」
吉田警部補は申し訳なさそうに答えた。
「これは・・・あいすまんことと思いますが、我々のほうの事情でね。実は、その三矢初江という女、一命をとりとめて、浜村医大附属病院で、治療を受けています」
「えっ!本当ですか?!」
署長と市川課長はこの一言に驚愕した。吉田警部補は続ける。
「このことは、木村道雄にはまだ伏せておいて下さい。木村道雄が供述して、その供述内容が、三矢初江の供述と一致するかどうかを確かめたいんです。三矢初江が生きていることは、木村には東京で供述後話します」
「なるほど。それで供述の信頼性を確保したい。こういうことですな」
署長がこう言うと、吉田警部補は頷いた。

新宿、歌舞伎町の歓楽街にある交番には、四人の若い巡査が詰めていた。その時、歌舞伎町の路上で三人の男女がケンカをしているとの通報があった。平成七年十二月二十八日午後7時21分のことである。二人の巡査が通報を受け、走って現場へ向かった。二人の巡査は手にボードと懐中電灯を持って歌舞伎町の人通りの多い道路を走っていった。しばらく走って行くと黒山の人だかりが見えた。
「多分、あれだろう」と二人の巡査が気づくとそこに近寄った。
一方、道雄が福本を殺害した現場を離れた直後、一人の背の高いフロックコートを着た男が福本に近寄った。男は福本の瞳孔がすでに開き、即死の状態であることを確かめた。そして、横たわっている初江の手を取った瞬間驚いた。

「まだ生きている!」

ちょうど駆けつけた二人の巡査は、この男が邪魔であると考えた。一人の巡査が荒々しい口調でこう注意した。
「おい、あんた!ちょっとどいてくれ!」
その男は、「実は、私、新潟で外科の専門医をしているんですがね・・」と釈明すると、手に持ったカバンから携帯用の診察用具を取り出した。
警官はその男が医師であることを知った。こういう緊急時の場合、医師が現場にいることは非常な助けになる。
巡査は、「そうですか。助かります。それであちらの男は?」と福本を指した。
医師は、「ああ、あの男は死んでいます。それより、この女の人は生きています。救急車を早く呼んでください」と、警官に促した。
警官は携帯用無線のマイクを取り上げた。
「ああ、指令。こちら歌舞伎町ケンカの件の現場ですが」、そう言うと、警官はマイクを耳にあてた。
「状況を報告されたい」との要請が即座にかえってきた。
「一人がすでに死亡。もう一人が重体。至急救急車を呼んでいただきたい。また、殺人事件であり、我々では対処不能。直ちに応援をよこしてほしい」
「わかった。応援の到着するまで、現場の維持、確保と応急処置にあたられたい」
「了解!」
医師は、近くに転がっていた初江のハンドバッグを取り上げると、中身を道路にあけた。口紅、財布、コンパクト、ティッシュペーパーなどがこぼれ落ちた。
警官が驚いた。
「どうされたんです!」
「手帳です。手帳を探しているんです!」
医師は初江の赤い表紙の手帳を見つけると、裏表紙のおぼえを見た。だが、暗くて字が読めない。
医師は尋ねた。「ライトはあります?!」
「ええ!」警官は懐中電灯のライトをつけ手帳を照らした。
「三矢初江、昭和49年2月10日生まれ。血液型RH+O型」医師は警官に要請した。
「至急近くの救急病院に連絡してください。患者は大腿部を刺され、大量の輸血が必要。血液型はRH+O型、お願いします!」
警官が無線で連絡している間、医師は必死になって、初江の止血作業を行って、救急車が到着すると、これに便乗して近くの浜村医大附属病院に向かった。
平成七年十二月二十八日午後八時より行われた手術は三時間に及んだが、無事成功して、初江は集中治療室へ移された。

二十九日午前二時すぎ、寒風が吹きすさみ、時折雪花の混じる東京浜村医大附属病院の正門の明かりはこうこうと、冷え冷えとしていた。もう救急患者入口のあたりはひっそりとしており、そこを二人の警官が警備していた。
その十階建ての巨大な病院の六階にある執刀医の部屋では、急を聞いて駆けつけた警視庁の三井警部と吉田警部補が執刀医と協議をしていた。

執刀医はやれやれと一息ついた。
三井警部は尋ねた。
「どうですか?被害者の状態は?」
執刀医は答えた。
「重体ですが、応急処置が適切でしたね。もうだいじょうぶですよ」
「ところで・・」三井警部は切り出した。
「事件の概要について、何とか被害者に事情を聴取したいのですが、何とかなりませんか?」
執刀医は考えた。冗談じゃない。何とか命を救ったとは言ってもまだ危機を脱したわけではない。執刀医はにべもなくこの申し出をはねつけることにした。
「それは当分無理です。残念ながら」
「そうですか・・」三井警部と吉田警部補は肩を落とした。執刀医は続ける。
「でもね・・。麻酔の切れたあと、婦長が言うには、女が何かうわ言のようなことを喋っていた、とか聞いています。もっとも、あくまでうわ言ですからね。クランケは異常な状況にあるのだから、言っていることは本当とは限りませんよ」
執刀医は怒りをあらわにし語気を荒げてさらに続けた。
「それから、両腕と太ももにおびただしい静脈の注射痕がある。明らかな麻薬中毒者です。さらに麻薬中毒者特有の肺水腫にかかっている。梅毒の陽性反応もある。酷いものだ!」
三井警部は「そうですか・・」と頷いた。その間、吉田警部補は必死になってメモを取っていた。吉田警部補が切り出した。
「ところでその現場にいた医師に会いたい。どこにおられます?」
となりにいた看護婦が答えた。
「それが・・どこかへ行ってしまって、いないんです」
「いない。といいますと・・?」
「あの、救急車が到着後、その方が、先生に容体を説明して引き継ぎをしたんです。その後、血を洗いたいので、洗滌室を教えてくれ、とおっしゃるので、案内をしました。その後、控え室でお茶をいれて、洗滌室に『お茶でもいかがですか?』と呼びに行ったところいないんです。どこかへ消えてしまって・・・。探したんですが、受付の人が言うには、その人が玄関からタクシーに乗るところを見たというんです。それ以外どこの誰ともわからないんです」
執刀医は断言した。
「まったくこの患者の命が救われたのも、この人の適切な処置と指示によるところが大きい。まさにこの人によって一人の人間の命が救われたんです。にもかかわらずどこかへ行ってしまうなんて・・・」
三井警部は吉田警部補に強い口調で尋ねた。
「誰かこの人の名前を聞いた警官はいなかったのかね?」
吉田警部補は答えた。
「現場の警官が、緊急事態で現場が混乱して、その医師の名前を聞いていないと報告していますから、多分誰も知らないと思います。ただ、新潟県の医師だとか言っていたそうなので、今日にでも新潟県医師会に問い合わせる予定です」
「そうか・・」三井警部は答えた。

二人は執刀医のもとを辞し、婦長から、初江の語った言葉を聞くべく、看護婦の控え室に向かった。婦長は年の頃五十歳くらいの、優しい感じの人である。婦長は初江の様子について次のように語った。
「あの女の人がわずかに意識を取り戻したのは午前零時ごろだったと思います。麻酔が切れてひどい痛みを感じていたのだと思います。そしてうわ言のように『みちおさん・・・みちおさん・・』って男の人の名前をしきりに呼んでいるんです」

深夜の静まりかえった集中治療室には、もう婦長しかいなかった。婦長は初江に尋ねた。
「みちおさんて誰?」
初江は小さな弱々しい声で答えた。
「わたしの・・・幼なじみ・・いやな奴で・・気が弱くて・・・決心の・・つかない・・人。でも・・・今日は・・違っていたわ」
婦長は優しく尋ねた。
「どう違っていたの?」
「だって・・・あの人は・・わたしを・・救い出す・・・ために・・・怖い・・ヤクザと・・戦ったの・・」
だが、それから、初江の声は悲しげになった。
「そう・・そして・・・あの人は・・・人殺しになってしまったの!・・・全部・・わたしの・・・せいよ。
あの人と・・・わたしは・・・とても・・・・良く・・似てるの・・・。わたしには・・あの人の・・・考えが・・よく・・わかるの・・あの人と・・・わたしは・・・同じなの・・そして・・もう・・二度と・・・離れることは・・・ないの」
「あの人って、みちおさんという人ね」
「そう・・・みちおさん・・・もう・・わたし・・決めたの。・・・どんなに・・辛いことがあっても・・・どんなに・・・貧しくても・・あの人に・・・ついて行こうって。・・・看護婦さん・・わたしは・・助かるの?」
婦長はこの問いかけに優しく答えた。
「もちろん!もうだいじょうぶですよ。だから、あなたも勇気をもって、その道雄さんという人と一緒になろうという気持ちを支えに、強い心で元気になろうとしなければいけないわよ」
初江は、大粒の涙を浮かべて嬉しそうにこう言った。
「そう・・・わたしは・・助かるのね・・・だから・・これからは・・・今までの・・・汚れ切った・・・生活を・・・捨て切って・・新しく・・生きるんだわ。・・・でも・・でも・・みちおさんは・・・みちおさんは・・・どうなるの・・・彼は・・・わたしを・・・捨ては・・・しないかしら?」
婦長はとっさにこう答えた。
「そんな心配はいらないわよ。その道雄さんという人は、命がけで、あえて人を殺してまでもあなたを助けようとしたのよ。そんな人がなぜあなたを見捨てたりするの?」
初江は涙が頬を伝わるのを感じ、こう続けた。
「そう・・・そうよね・・・都会って・・・ウソばかり・・・でも・・・あの・・・みちおさんの・・・こころは・・きっと・・・うそいつわりの・・・ない・・こころ・・・だわ。・・・今・・たった・・ひとつだけ・・・信じる・・・ことが・・・できる。・・そして・・・わたしの・・・すべて・・。みちおさんは・・今・・どこに・・いるの?」
「わからないわ。でも、すぐに会いに来てくれるわよ」
「そう・・・彼も・・きっと・・今頃は・・・こころの・・・痛みで・・・・苦しんで・・いるのね・・。きっと・・わたしは・・・死んだと・・・思い込んで・・・。彼の・・・苦しみは・・・わたしの・・・苦しみ・・・・。そして・・・彼の・・・よろこびは・・・わたしの・・・よろこび・・。たとえ・・・世界が・・・滅んでも・・彼さえ・・いれば・・・それで・・いいわ」
「だからこそ、早く元気になって、道雄さんと再会することを夢見て頑張るのよ」

初江は頷くと、この一言に安心したのか、目を閉じて眠りについた。

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