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長編トラベルミステリー小説「急行八甲田の男」。終章、旅路の果てに。

終章、旅路の果てに。

吉田警部補は話が終わると、殺害された福本の経歴を話し始めた。
「まず、この殺害された福本というのですがね、年齢は四十五歳、住所不定、前科六犯という札つきのワルでしてね」
「ほう・・・」
署長と市川課長は身を乗りだして、吉田警部補の話に聞きいった。
「なにせ十五歳の時、傷害致死で少年院に送付されてから、出所後も傷害、強盗などの凶悪犯罪を繰り返しておって、今はどうやらソープランド嬢を脅してヒモのようなことをやっていたようですな」
「手口は?」
「まず、バーの女給なんかに女を通じて『頭がすっきりする』、『疲れがとれる』とか言って、ヘロインの使用を勧める。そして、ヘロイン中毒になったところで、『俺が警察へ、お前がヘロインを常用していることをタレ込めば、お前は刑務所行きだ』と脅してソープランドの仕事を世話するという手口だったようですね」
市川課長は頷いた。
「よくあるパターンですよ。ヘロインに手を出したばかり、ヘロインを買う金を得るため売春をする。私もそんな女性を沢山知っています」
「実は、婦長を通じて三矢初江から聞いたところでは、このあいだ、自分の目の前で、外国人女性がリンチにあって殺された。その場所にソープランド『ヴェーヌスベルク』の店長とボーイが立ち会っていた。また、何人かの女性が監禁されているという情報を得ました。それで、昨日、ソープランド『ヴェーヌスベルク』を急襲して、監禁されていた女性を保護。青少年保護育成条例違反の現行犯という名目でソープランド『ヴェーヌスベルク』の店長とボーイを逮捕しております。また、女性が監禁されていた室内からヘロインの包み二つが押収され、現在、殺人と麻薬取締法違反の両面から捜査中です」
「そうですか」
署長と市川課長はほほ笑んだ。
「ところで・・・」市川課長は切り出した。
「木村道雄は、どうなるんですか?」
吉田警部補は答えた。
「まあ、正当防衛で無罪放免でしょうね」
署長と市川課長はほっとした。吉田警部補は続ける。
「ただし、これも木村道雄には黙っていてください。供述後私のほうから話します。まず、この事件では最初にかかってきたのは、福本です。しかも短刀を持っていた。もし、福本を倒さなければ、当然木村が殺されることになる。しかも、福本の手により三矢初江は瀕死の重症を負った。したがって、木村が自己を守るためには福本を殺しても、あの場合仕方がなかったと考えられる。木村は別に逃げる必要はなかったんですよ」
市川課長は吉田警部補に尋ねた。
「ところで、福本は右手を骨折して短刀を落とし、命乞いをしていますが、過剰防衛ということは考えられないですか?」
「もちろん、そうも考えられます。しかし、福本が命乞いをしたといっても左手が残っているわけですし、相手を油断させるためにわざと死んだフリをしたのかもしれない。私としては、この命乞いの件は取り調べ調書には残さない腹積もりです」
「そうですか・・」
吉田警部補は、飲みかけのコーヒーをすべて飲み干すと、「それでは、木村道雄をいただきたい。時間もあまりないし・・」と言った。
市川課長は考えていた。つまり、あまりにも話がうますぎる。何か・・つまり・・何かもっと重要な事実があるのではないか?市川課長は長年の警官としての職業的な直感から、そんな疑念を抱いた。そして切り出した。
「あの・・、実はさっきから疑問に思っていたのは、・・吉田さんが何故過剰防衛という線を・・まったく考慮外に置かれているのか?ということです。しかも、命乞いの件を調書にすら残さないと言われる。もちろん私も、木村は正当防衛ということで救いたいと考えています。ただ、何かその・・吉田さんが・・」
その時、署長が話に割り込んだ。
「私も、さっきから疑問に思っていたんです。市川くんの言いたいのはこういうことです。木村道雄を過剰防衛をまったく考慮せず、命乞いの件を調書にも残さず、正当防衛で許すのには、ほかにもっと別の理由があるのではないか?実は私もさっきからそんな気がしたもんですから」
今度は吉田警部補と元木刑事が顔を見合わせた。やはり、ここは事情をきちんと説明しなければならないと観念して、吉田警部補はこう言った。
「この場限りに願いたい・・」
署長は答えた。
「だいじょうぶです。我々は身内です。他言はしません。・・・それで?」
「事件直後、福本の乗っていた大型のアメ車のナンバーを念のため調べたところ、福本の車ではなかったんです」
「ほう。では誰の車だったんですか?」
「麻薬課が現在内偵中のヘロイン密売組織『青蛇』の元締めの車だったんです」
署長と市川課長は驚いて顔を見合わせた。吉田警部補は続ける。
「車を新宿署に回送。車内を点検してヘロインの包み三つを発見しました。そして、さらにダッシュボードから百二十五名の氏名、住所、電話番号の書かれた手帳が出てきました。車については、手帳も含め、すべてもとの状態で持ち主の元締めに返してあります。もちろん相手を油断させ、こちらの意図を感づかれないためです。まあ言わば偽装工作ですよ。
この手帳については、コピーを取りました。そのコピーを麻薬課に送ったところ、昨日、その百二十五名のうち三十名は現在麻薬課がマークしている『青蛇』のヘロインの密売人ということが分かりました」
市川課長は尋ねた。
「しかし、手帳に書かれた氏名、住所、電話番号は百二十五名、麻薬課で掴んでいるのは三十名、では差し引き九十五名というのは・・・」
吉田警部補は答えた。
「そうです。麻薬課も掴んでいなかったヘロインの密売人の氏名、住所、電話番号らしいというんです」
署長と市川課長は笑みを浮かべた。市川課長は言った。
「では、木村道雄がこの事件を起こしたことによって、はからずも、大量のヘロイン密売人の存在が明らかになった。そういうことですね」
「まさに、その通りです。麻薬課では、これで『青蛇』の組織は壊滅だろうと言っていましたよ。令状を取って、二週間後にこれらヘロインの密売人のアジトを一斉に急襲する予定です。ただ、こちらの動きを読まれるとまずいので、この件は警視庁でも、まだ一部の者しか知らないんです。ですから失礼とは思うのですが、黙っていたわけです。木村道雄は『青蛇』の組織壊滅のいわば功労者ですから、我々も正当防衛という線で許してやろうという腹をかためたわけです」
「なるほど、そういうわけか」署長と市川課長は得心した。何だ!木村道雄というのは大変な功労者じゃないか。彼がこの事件を起こしたおかげで、この九十五人の麻薬密売人が売る麻薬によって被害を被るであろう人々が救われたのだ。
市川課長は笑みを浮かべた。
「分かりました。それで、木村道雄のところへ」
四人が立ち上がろうとした時、市川課長はそれを押しとどめた。
「ああ、そうだ・・」
市川課長は思い出して、ポケットから布に包まれたあのつつじの花のブローチを取り出した。
「それから、木村道雄が雪の中に埋めていたブローチがここにあります。あとから署員が雪の中から掘り出したものです。お渡しします」
「そうですか・・」
吉田警部補はそのつつじの花のブローチを受け取ると、取りあげて、しばらくじいっと眺めていた。ところどころ無惨に金メッキははげ、傷だらけである。一体こんな安物のブローチに何の意味があるのか?吉田警部補ははかりかねていた。それは、おそらく、道雄と初江の二人にしかわからないかもしれない。吉田警部補はブローチの前の部分が開くことに気づき開けると、東京に出てきた頃の道雄の写真があった。吉田警部補は尋ねた。
「これは、木村道雄の若い頃の写真ですか?」
「そうですね」
「まだ、少年だ・・・。連絡で聞いていますが、こんな安物のブローチを何の目的で、東京から、北海道余市の雪の中に埋めにきたのか・・・?」
「さあ?」
四人は考え込んでしまった。
署長がふと窓の外を見て呟いた。
「ああ、雪がやんで、青空が広がっている」
市川課長は頷いた。
「そうですね。あんなに降り続いていたのに」
五日間続いた豪雪はおさまり、北海道余市の空に、明るい青空が広がった。

青空の広がった余市駅。道雄は長身の元木刑事にガードされ、待合室で小樽行の列車を待っていた。吉田警部補、元木刑事、道雄の三人を車で送った市川課長と阿部巡査も一緒である。駅の待合室には十人くらいの列車を待つ乗客が、駅舎のストーブで暖をとっている。
余市駅の駅員が市川課長を見つけた。二人はもう二年近くの知り合いである。駅員が声をかけた。
「市川さん、こんにちは」
「ああ、こんにちは。雪はやんだようだね」
「そうですね」
「ところで、ジェイアール北海道では何か被害はありましたか?」
「そう、昨日の夜、札幌発網走行の夜行の特急オホーツク9号が、遠軽の先で雪に閉じ込められて、三時間遅れという話ですな。その他各線でも運休や遅れが出ています」
市川課長は、吉田警部補、元木刑事、道雄の三人が新千歳空港発の羽田行最終の20時35分発の飛行機に乗れるかどうかが少し心配となり、駅員に問いかけた。
「ところで、余市から小樽を経由して新千歳空港ヘの遅れはどうですか?実は新千歳空港の全日空、羽田行最終の20時35分発の飛行機に乗る人たちがいるんですけど・・」
「そう、今のところ五分から十分程度の遅れですね。でももう雪はやみましたしね。多分、だいじょうぶですよ」
駅員は道内時刻表を取り出した。「ええっと・・16時7分発の小樽行普通列車が小樽に16時38分に到着。これが・・小樽始発17時ちょうど発の快速エアポート174号に接続して新千歳空港には18時10分到着予定。これならだいじょうぶですよ」
「そうですか。良かった・・」市川課長は安堵した。
市川課長は神妙な顔つきをしている道雄に話しかけた。
「東京へ行ったら、正直に何もかも話すんだよ」
道雄は頷いて、市川課長に尋ねた。
「ところで、刑務所には何年はいればいいんでしょうか?」
市川課長と吉田警部補は一瞬顔を見合わせた。吉田警部補は「この件は言わないでくれ」と合図をするために、首を少し横に振った。市川課長は答えた。
「そうだね、過剰防衛で二~三年くらい込むかもしれないね」
「そうですか・・・」道雄は肩を落とした。市川課長は、こう道雄を勇気づけた。
「気にすることはないよ。きみはまだ若いんだ。これからやり直しはいくらでもきくさ」
市川課長はこう言って、道雄の肩をポンと叩いた。
平成八年一月一日、十六時。余市駅の駅員は列車の改札を告げた。
「16時7分発上り、然別(しかりべつ)行。16時7分発下り、小樽行の改札を行います」
乗客たちは暖かい駅待合室から極寒のホームへと改札を抜けていった。吉田警部補、元木刑事、元木刑事にガードされた道雄、市川課長と阿部巡査もその乗客たちと改札を抜けた。

極寒のホームで、道雄は市川課長にこう話しかけた。
「初江が死んだのはとても残念に思います。彼女がいれば、俺は必死に働いて、彼女を幸せにしようと努力したと思います。本当ですよ。これは」
「そうか・・・」
市川課長はよほど、初江が生きていることを言ってしまおうか?と思ったが、何とかこらえた。そんなことは言えない。道雄は続ける。
「初江はもう死んでしまった。でも、自分は天国にいる初江の分まで頑張って、きっと幸せになります」
市川課長はこれに答えた。
「その気持ちで頑張ればいい。刑務所に入ってもそのつもりで頑張れば、きっと早く出られるよ」
そう言って、市川課長は道雄の肩を再び叩いた。
倶知安(くっちゃん)の方向からディーゼルカーが凄いエンジン音を響かせて、余市駅に入線してきた。反対ホームには然別行の列車が入っていた。吉田警部補、元木刑事、元木刑事にガードされた道雄の三人は小樽行の列車に乗り込んだ。道雄の求めに応じて、元木刑事が列車の二重の窓を開けた。
窓越しに、市川課長は道雄に大声で話しかけた。
「落ちついたらたよりをくれ!北海道に来るなら、一度ぼくのところに寄ってくれ!」
声はディーゼルエンジンのアイドリングの轟音でかき消され気味だ。
車掌が笛を鳴らすとドアが閉まり、列車は余市駅を発車した。吉田警部補、元木刑事、元木刑事にガードされた道雄の三人が列車の中から、別れの会釈をすると、市川課長と阿部巡査も、軽く会釈をして手を振った。
小樽行の列車は、けたたましいディーゼル音をたてて余市駅を離れていった。ディーゼルカーは、明るい、青空の見えた雪の余市の街を、白銀の雪煙を巻き上げながら走り去っていった。

男の旅は終わった。

これからの予定ですが、以前、noteに投稿した「ヘリコプターマネーでなぜ悪い」の補論を三回、そのあとは、平成十年頃に書いた短編集「彼岸花」を投稿する予定です。
私も、もう67歳で、先はあまりありません。健康な限り、noteに投稿したいと思います。

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