ライトノベルに「さよなら」を言う日

 11月21日発売のホビージャパン、HJノベルス『TOKYO異世界不動産 3軒め』は、ぼく、、すずきあきらの、おそらく最後の商業出版ライトノベル作品となります。
 えー、つまり、ライトノベル作家・すずきあきらとしては最後の作品ということです。
 ではなぜ、というところですが、小説を書くのがイヤになったのでも飽きたのでもありません。なので引退宣言、でもなく。
 ましてライトノベルを卒業して、大人ノベルへ行くというのでもなくて。

 ようは、売れないから、です。

 新作が出た日に、売れない、はない。ぼくもそう思います。
 逆に言えば『3軒め』はシリーズの締めのつもりで出し惜しみせずアイデアを注ぎ込んだし、キャラもよく動いてくれ、これまででも最高の出来に仕上がったと思います。
 それでもこう言わざるを得ない。ぼくの力足らずです。
 売れれば次があります。続巻もあれば新作もある。書きたいものはいっぱいあります。あった、というべきか。
 なのでここで終わりです。
 本来、よほど有名な人気作家か巨匠でもなければ、いちいち断筆とか引退とかを宣言したりしないし、言うべきではないのかもしれません。
 少し前に、やはりライトノベル作家の方で、引退宣言をされた方がいました。そのマネをして話題になろうと思ってるんだろう、と思われるかもしれませんが、去年の年末あたりからしだいに決めていました。
 仕事がなくなればフリーは自然消滅です。消滅した、と見えて、またしばらくしてしぶとく何かを書いたり出したり、復活する方もいます。未来は不明でわからないので、万に一つそういうこともあるかもしれません。
 あるのかな・・。

           *      *      *

 なぜ作品が売れないのか。
 難しい問題です。と言いたいけれど、じつはたぶん単純です。

 おもしろくないから。

 もちろん自分では、最高におもしろいと思って書いているのですが、どうやら読者にはそうは思われない、ウケない、つまらないのでしょう。
 もっとも自信を持って送り出した本作『TOKYO異世界不動産』シリーズも、受け入れられませんでした。数字が物語っています。

 おもしろくないから売れないのでしょう。

 そこをどう面白くするか。
 そこが作家の力量なのだし、おもしろい=作品に引き込まれる、という意味では、ライトノベルどころか大衆的な流行作品でもない、純文学作品も古典文学も、おもしろいから売れているし生き残っているのだと思えば、そのどれにも当てはまらないのは致命的です。
 回り回って最近では、どうすれば面白くなるのか、どころか、何が面白いのか、すら少々あやふやになって来ました。
 そんな状態で書かれる作品がおもしろいわけがないし売れるわけないし、今後読んでもらうのもはばかられます。
 ここらでやはり、休んだほうがいいのです。休むのがどれほどの期間になるのかはわかりませんが、予想も目途もつかないほどなら、それは止める、辞めると同じですから、ここで終わりとした方がいいし、ここで終わりになります。

 年齢的なこともあるでしょう。
 ぼくは来年で六十歳です。
 びっくりです。いやもう自分が驚いてます。
 アスキー(かつてあったIT系企業)週刊ファミコン通信編集部(現・週刊ファミ通)に十年近く在籍していたので、辞めたときは三十五歳でした。
 もっといえば、アスキー以前に編集を学んだエロ系出版社(といっても取次ぎを通した本だけの会社で、いまもあります)と編集プロダクションに二年ほど。さらにまえはふつうのサラリーマン(スーツ着て電車乗って朝9時半に出社するやつ)を一年ほどやっていたので、計算は合います。
 六十歳(まだ五十九歳ですが)といっても、急に演歌を聴いたり歌ったり、盆栽をいじったり(観葉植物をいくつも育てているので盆栽に興味はありますが)するわけでもありません。
 アニメ見たりスマホいじったりゲームやったり、一日中ネットやったり、ラノベの新作は気になるし、マンガもエロマンガもツイッター(あまりつぶやかないけど)やったり、読む本はミリタリー系やサブカル系とかだしと、頭の中は三十五歳くらいのオタクライフがずーっと続いているような、そんな感じでした。
 なので実年齢はともかく、そうしたオタク脳はずーっとこれからも続くと思っていたのです。
 なにより自分、ストーリーを考えるときもキャラ自体を作るときも、すべて二次元で考えます、浮かびます。
 生身のキャラをイメージして動かしたことが一度もない。だからダメなのかもしれませんが。
 なのでライトベル作家はずーっとやっていられると思っていました。
 注文がなければ商業作家ではいられない。けど書き続けていればライトノベル書き、自称ライトノベル作家、くらいではあり続けるかもしれない。
 でもダメでした。
 現役最高齢?ライトノベル作家にはなれないようです。
 売れないというのは、出版社や担当編集との関係とか以前に、読者がいない、読まれていないというのは、それだけで堪えるものです。

 なんだおまえは、ただ反応が欲しいだけじゃないのか、承認欲求か、ちやほやされたい、褒められたいだけかよ。

 そうじゃない、と言いたかったけど、そうなのかも。いやきっとそうなのでしょう。
 ちなみにこの『TOKYO異世界不動産 3軒め』も、「小説家になろう」サイトで掲載していたものの、毎日更新で第二章の終わりくらいまで評価0、ブックマーク0でした。最後はちょっと、付きましたが、といっても二けたくらいです。
 何かの間違いでもなければ、そんなシリーズが続くわけはありません。おかしいなぁ、おもしろいのに。いや、そうじゃない。ダメなものはダメ、おもしろくないものはおもしろくないのでしょう。
 気づくと、あんなに好きだったアニメも最近はちっとも見なくなっていました。一時期はいわゆる深夜帯のアニメは全部録画して全部観ていたのに。いやさすがに全部はちょっと仕事っぽかったけど、やはり気になるし好きだから観ていたのです。ここ一年ほどは、それがもうさっぱり。超有名メガヒットのあれも、タイムラインでよく出て来る話題のそれも、まったく観てないし観たい気持ちもさほどない。
 ヒマなので新しいことにも挑戦できるゆとりはたっぷりあるけど、読書ひとつ意欲が湧かない(それでも月に二、三冊は読みますが)。昔、朝から晩までぎっしり大忙しだったころは、寸暇を惜しんで本を読んでいたのに。あと何行書いたら次の章を読もう(読める!)とか、n時になったら三十分だけ本読もう、とか。
 というわけでぜんぜんダメなのでした。あれ、鬱か? いや、よく眠れるし食欲もあるのでそっちの線は薄いような・・。

 思えば、わりと自分を客観視できるほうだと思っていました。
 自分から見た自分は、カリスマやリーダーシップはまるでなく、寄らば大樹の陰、長い物には巻かれろ。
 目指すのはナンバーツーで参謀タイプ。ファミ通編集部にいるときも、そう言われました。誰に? 編集長に。
 2015年ごろから、だんだん相手にされなくなって来たな、と感じ始めたころから、もっとはっきりとわかって来ました、自分のこと。

 ぼくはつねに、自分以外の人をバカにして(生きて)来たんだな。と。

 若い頃は(子どもの頃から)むやみな自信がありました。自分はいつかひとかどの人間になるだろう。とか。
 けどまぁ、それは若者にはよくある勘違いで、いいんですが、ぼくの場合はそれを他人との比較でつねに感じていないといられない、というやつだったようで。
 あいつよりはオレのほうが頭がいい。とか、勉強ができる、とか。運動はできなかったので、優位性は文科系のほうに偏りました。
 でもやはり、いちばんの優位性は、オレには才能がある、でした。
 何の才能か。
 それが、ストレートに、小説家、作家の才能、でした。
 小学生の頃から明確に、作家になるのだと思っていました。
 この場合の作家というのは、ベストセラー作家のことです。ノーベル文学賞作家、とかでは、あるかもしれないけど、もっとはっきり、売れる作家のことですね。
 子どもの頃はともかく、働くようになるとはっきりと、仕事のできるできない、才能のあるなしが明確に判定されるようになります。
 途中からサブカルマイブームで目指した編集者を経て、いよいよフリーのライター・作家になってからは、それはもう才能のあるなしは死活問題でした。
 雑誌掲載ならともかく、単行本はもう、隠しようがありません。
 それでもなんとか二十年近い作家生活をやってこられました(正確には19年間)。
 その間も今思えば、周りの人たちをバカにし続けて来ました。
 口に出すわけじゃありません。むしろ絶対に口にも態度にも出さないようにしていました。
 バカにする、その中身はいろいろで、いちばんはもちろん、オレの方が才能がある、おもしろいんだ、ですが、それが危うい、しっかりと才能を感じる相手には、いや、オレの方が深いとか文章がいいだとか、それも通じないようならしまいには、オレの方が背が高いとか、痩せててスマートだとか、もうそのレベルでどうにか保っていたのです。
 保っていたのは、プライド、でしょう。
 もうどうにもこうにもかなわない、才能にあふれ、見栄えもよく、売れていて、どれそれの賞の受賞者でもある、なんて人には近づかないようにしていました。
 こうまでしても、保とうとしたプライドや優位性も、ことここに至っては無駄で無理で無意味でした。

 加えて、ぼくがバカにしていた人たちは、その後どんどん発展し、成功し、キャリアアップしていきました。

 むろん、才能があって努力して、機を見る感覚も優れていたから、でしょう。
 バカにしていたぼくが、いちばんバカで下、だったのです。
 ここ数年、いちばん悟った、思い知ったのはこれでした。
 それはもう、今回の決断に至るのは当然のような流れでした。
 自分の半生記、みたいなものにはしないでおこう、と思っていましたが、それなりにけっこう長い文章になりました。
 繰り返しますがこれは流行作家や巨匠の、引退宣言や断筆宣言といったものではありません。
 (商業)ライトノベル作家を戦力外通告された作家の端くれの、けじめとしての御挨拶、みたいなものです。
 そういえば年末になると毎年、戦力外通告された男たち、みたいな、プロ野球選手の番組をやりますよね。数年まえから、気づくと観ていました。やっぱり共通する部分を感じてつい観てしまうのか。

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 今後のことは、まだ考えていません。
 どう生きていくのか。どうやって食っていくか、ですね。住宅ローンもまだ二十年くらいありますし(あぁ、笑、を付けたい。付けてるか)。
 いまは、仕事のもうひとつの柱である、ライター・ライティングのほうがメインになるでしょう。
 具体的には、ミリタリー系雑誌(*)への連載です。
 こちらも、世界史での戦争全般を扱うものや、第一次世界大戦の兵器をひとつひとつ取り上げるものなど、とても楽しい内容を書かせてもらっています。
 ネタが尽きるまで、もういいよ、と言われるまで続けていきたいと思います。
 とはいえこのミリタリー路線も、決して平たんでも安楽でもありません。
 いまはミリタリーに限らずプロでなくとも詳しい人が多い。
 なんでそんなこと知ってるの? そこまで知ってるの? という微に入り細を穿つ重箱の隅系知識にやたら強かったり、ご当地ローカルの強みを活かした現地取材知識継続系とか、本業の仕事の恩恵なのか世界中を飛び回っての情報などなど。
 もちろん本職軍事プロの方々の知識の深化と蒐集能力はもう、留まるところを知りません。加えて語学や絵心や社交性や、それらを全部ひとりで持ってる方とかもいるわけですから。
 ちょっとくらい歴史を知ってる、ミリタリーに詳しいレベルではとてもとても。
 では自分に書ける歴史とは、ミリタリーとは何なのか。
 ページ数はさほどないからと片手間ではとうてい立ちいかない。読者に見透かされるのは目に見えています。こっちも終生勉強、終生磨いていかなくてはいけないでしょう。
 けどそれだから愉しさがあるし、納得できる原稿が書けたときの歓びは何にも代えがたい。

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 そして、ぼくの決して上出来とは言えなかった作家生活を過去、彩ってくれた『百花繚乱 SAMURAI GILRS』に、作品と、作品に関わってくれたすべての方々に、最大限の感謝を述べたいと思います。
 この作品で知ってくれた方も多いでしょう。この作品で知り合い、繋がることができた方々も多くいます。すべてが大きな財産です。
 なのにそれを活かすことができなかったのがぼくの不甲斐なさで、責任です。
 
 商業ライトノベル作家はひとまず終了ですが、ご存じのとおり、いまでは本家「小説家になろう」をはじめとして、いわゆるなろう系投稿サイトがいくつもあります。
 商業にこだわらなければ、つまりは無償で、書きたいものを書いて投稿する、そんな日も来るのかも。
 なんといっても小説を書くのは無類に楽しいことだから。
 着想を得て、キャラクターを考え、動かし、ストーリーになっていく。
 動き出し、加速し、思いもよらない行動をキャラがしたり。たとえば地の文で「と思った」を「とも思った」と書いただけで、もしかするとこのキャラはもっと多くのことを考え、思っているのではないか、こんなことを考えていたのか! そう思えて来る。作者も想定していなかったキャラに育って、物語を引っ張って行ってくれる。
 ときに展開に詰まっても、キャラが教えてくれる。このキャラなら、どう思い行動するだろう? そう考えるうちに展開が浮かび道が開ける。
 そうしてエンドマークを振ったとき、そこには最初とは全く違う作品ができあがっているかもしれない。まったく、ではないかもしれないけれど、少なくとも初めに描いていた物語の何倍も大きくて厚くて深い、複雑で、さまざまな反射を持った物語がそこにあるはず。
 だからやめられない。
 ミュージシャンの大槻ケンヂ氏が、最初の作品『新興宗教オモイデ教』を書き終えたとき、「これはこんな話だったのか」と思ったのだとか。
 すいません、聞いた話なので出展を明記できなくて。『グミチョコレートパイン』だったかも。どっちも読んでいます。とても好きです。
 そんな、とても楽しい、なんてものじゃない狂おしいほど好きな小説書きに、またいつか戻れたらと。
 やっぱり原稿書きからは離れられそうにないようです。
 ちょっと、良かった。
 そんな(こんどは「そんな」多い)希望を持ちながらこの文章を終わりたいと思います。


(* イカロス出版「MC☆あくしず」、「ミリタリークラシックス」)


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