育児日記 第3回 プレパパママクラス

 ということで、前回はベビーベッド、ベビーカー、チャイルドシートについてひと通り振り返ってみた。出産前に揃えたもの、揃える必要があるだろうと思った主な大物もの(でもないだろうが)はこれら3つで、あとはすでに書いたようにコロンビアからの大量のプレゼントや、知り合いからのもらいものなどでベビー服やおもちゃは揃っていった感じだ。

 では次に何について書くか。いちおう触れておこうと思うのは、いわゆるパパママクラスだろうか。

 正確には、「プレ・パパママクラス」という名称で、母子手帳をもらう際に市のこども福祉課などで案内チラシをもらったり、市の無料広報誌などで紹介されているものに参加した。特別に高額なレッスンなどに参加したわけではない。

 市や関係団体が主催するものなので、だいたい平日の日中にクラスがある。残念ながらこの時点で、ほとんどの「プレパパ」たちは参加不可能だ。自然、参加者は「プレママ」ばかりとなる。私は仕事の関係で(どういう仕事をしているかはまた別の機会に譲るが)、平日の日中でもわりと時間があったし、事前にある程度余裕があればスケジュールに合わせて仕事を空けておくことも可能だったので、ほぼ毎回参加することができた(この時点でかなり特殊なほうだ)。

 この点、ワイフの日本語はまだ挨拶程度のレベルだったので、私も一緒に参加するほうがどう考えても好都合だったという事情もあるが、なにより、私自身が参加してみたいと思っていた。上記の通り、参加者はプレママばかりでプレパパはほとんどいない。ほぼ毎回参加しているプレパパに至っては、まずいない。面白いではないか。

 ちなみに、妊娠中の定期的な産科通院もワイフに一緒に行っていた。

 私は別に、これらのことをあげつらって自分の類まれな「努力」を自慢しようとしているわけではない。自分で実際に参加してみて、出産に至るまでのさまざまな準備、そしてそれに続く出産後のベイビーの世話に絡むあれこれ、こうしたことのほとんど一切に「パパ」は無縁で、実質的に「ママ」だけに負っているのだなと、改めて実感したと言いたいのである。昔も今も、ほとんど変わっていないのではないかとさえ感じる。

 私の母は、「そのとおりだ」と言っている。産科での健診やパパママ教室に私の父が参加したことなどは全く無く、当時22歳だった母は、若いながらにすべて一人でやっていた、一人でやるしかなかったと言うのである。なにしろ昭和。学歴の無かった肉体労働者の父は、朝から晩まで安月給で働き、出産準備や子育てに関する一切に関わっていなかったと言っていいほどだった(なんだか昭和の時代を描いたテレビドラマみたいだ)。

 そうしてその息子である私は、給料はまぁさほどではないにしても、わりと自由になる勤務スタイルの利点を活かして、出産準備からワイフと二人三脚で、わりと気楽に生きているというわけだ(なんだ、やっぱり自慢か)。

 妊娠、出産、そしてベイビーの世話。初めての経験ゆえに負担も相当なものだし、やり直しのきかない重要な時期でもある。私の父のように、ほとんど何も協力せずに日々が過ぎ去っていくような環境は、もとより受け入れるつもりは無かった。

 幸い、わりと自由のきく仕事のスタイルで安定している。ワイフやベイビーと一緒に過ごせる時間は、かなり確保できていると言っていい。この環境をぜひ維持していきたいと思う。まぁなんとかなるだろう、と思う今日この頃。

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