「闇夜」(堂場瞬一著、中公文庫刊)

 娘の失踪と悲劇的な再会による精神的ダメージで再起不能かと思われるほどの状態に陥っていた主人公。新たに発生した少女失踪事件の捜査に駆り出されたのを機に、再び執念の追撃を開始する。

 冒頭のダメ主人公ぶりは、1995年の米映画「ダイ・ハード3」を連想させる。映画と違うのは、こちらは愛娘を殺された父親だということ。精神的ダメージの大きさが違う。そのダメージゆえか、行方不明になった少女の母親との会話に思わず「え?」となる。

 父親がみなと一緒に娘を捜索するため外出している中、自宅に待機している母親に対し主人公は、「外で探しましょう。家にいると、考え込むだけですよ」と外へ行くことを勧める。父親が外で捜索に加わっているのだから、母親は自宅にいたほうがいいのでは?と思うが…。さすがに母親もおかしいと思ったのだろう、「ここへ帰って来るかもしれないし」と返すが、「ここには、誰か留守番の人にいてもらえばいいでしょう」と主人公は意に介さない。普通は、居ても立っても居られなくなって外へ飛び出そうとする母親を、「お子さんが帰って来たとき、お母さんが真っ先に迎えてあげるべき」と諭すのが捜査員じゃないのか?と思う。両親が2人揃って探しに行く意味が分からん。

 また、中年おっさん主人公と組んで捜査にあたる若い女性捜査官(本作の場合は18歳年下)との微妙なロマンスというお馴染みの設定は、堂場瞬一作品ではいつものことである。これは作者の好みということだろうか。相棒の若さに戸惑う主人公と、いわゆるツンデレタイプの若い女性捜査官という組み合わせはこの作品でも健在。是非はともかく、堂場作品を続けて何冊も読むと、そのたびに同じような設定と組み合わせのカップルが続く。

 申し訳ないなと誰にともなく謝りたくなってしまうのだが、堂場作品を読むとついついアラ探しばかりするようなブックレビューになってしまう。以下ネタバレ注意です。

 本作では、つい最近自殺した警察官の話題をきっかけに、少女誘拐殺人事件の捜査が一気に動くのだが、その警察官は「兄貴、ごめん」という遺書じみたメモを残して自殺していた。自殺の理由は分かっていない。常識的に考えるなら、遺書を読んだ時点でその兄貴が何かしら事情を知っているものとみて兄を問いただすだろう。でもなぜか本作ではこの点について誰も触れず、兄貴がいたことなど皆忘れてしまったのか、本作の後半になるまで誰も気付かない。そして、本作の主題である誘拐殺人事件の捜査とリンクし始めた終盤、急に思い出したかのようにその兄が注目されるのである。真犯人の意外性を強調しようと意識し過ぎた結果、通常なら気付くことまで気付かないことにして物語を構成したとしか言いようがない。

 と、このように本作もいつもの堂場作品に負けず劣らずのツッコミどころ満載の作品に仕上がっていると言えよう。

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