喪服

今頃、桜の花が満開で風が吹くたびに花びらが舞っている頃だろうか。

Morning


喪服。
幸か不幸か、あまりお葬式に参列した事が無い。家族以外のお葬式は参加はとても少ない。
子供の頃はお葬式に参加する際は、学校の制服着用だったような気がする。

 初めて喪服を購入したのは、仕事の後輩のお葬式だった。印象的な出来事だったので、なぜか今でも鮮明に記憶している。
私よりかなり年下の後輩、彼は高校時代のガールフレンドと結婚したばかり。20代前半だった。新婚旅行は、社員旅行でハワイに行ったので別な所に行きたいが、どこがお勧めかというので、オーストラリアを推薦した。彼は新婚旅行にオーストラリアに行き、とても楽しかった、と話してくれた。お土産に当時人気のあったキース・へリングのポップな絵柄の折り畳み傘を買ってきてくれた。
 その後何年経過しても、その傘は捨てる事なく、日本から引っ越す時も大量の書籍と共に引っ越し荷物に入れていた。



Life


 当時、職場の飲み会が毎日のようにあり、それは当たり前でもあり、飲み屋に行かない時は、事務所でコンビニから購入してきたビールを夜遅くまでみんなで飲んでいた。後輩はいわゆるヤンキー系ではあったが、口数が少なく、いつもニコニコ笑って酒好きな上司のよもやま話を聞いていた。
 ある日曜、酒好きな上司から電話があった。その電話で後輩が急死した事、お葬式は自宅で執り行われる事、が告げられた。あまりの突然の出来事にショックを受けながらも、お葬式用の喪服を持っていなかったので、最寄りの「たまプラーザ東急百貨店」に車を走らせた。
 礼服売り場は客も無く静かであった。多くの喪服を見ていたら、なんか涙が止まらなかった。年配の販売員のおばさんが、丁寧に接客してくれて、私は人生初の喪服を購入した。
後輩は新婚生活を実家近くのアパートで開始していた。クルマ好きの彼は、自分でクルマの手入れか何かをしていた。職場の飲み会では、クルマの話が良く出ていた。確か彼の愛車は、「スープラ」だったと記憶している。
 日曜日、彼はアパートの駐車場でクルマをジャッキで持ち上げ、クルマの下に入り何かしていた所、急にジャッキが外れ、クルマが彼を直撃、だったそうだ。
 酒好きな上司と葬儀の前の日もビールを飲んで泣きながら亡くなった彼の話をしていた。本当に良い子だったから。

Endless


 葬儀の当日、ご家族に「最後お別れをしてください」と依頼され、出棺前に彼に挨拶をした。お母さんが、「xxx、会社の皆さんが来てくれたよ。いっぱい可愛がってもらったね。」と亡骸に語りかける。
 それは確かにいつもニコニコ笑っていた彼だった。安らかに眠っているようで、私はまだ彼に起きた事、もう一緒に酒を飲むことも無い事、を信じられずにいた。 その彼の寝顔が彼の最後の思い出になり、その経験から、私はもう亡くなった人を見ない事を心に決めた。
 
 僧侶の読経と共に棺に釘が打ち込まれる。その時に、お母さんの絶叫が響いた。参列した全ての人がうつむき、涙を流していたと思う。彼はひとり息子、であった。
 出棺の前に、家族が参列者の前を通り過ぎる。笑顔の彼の遺影を持つ若い奥さんは茫然としていたように見える。その若い奥さんの遺影を握りしめる奥さんの親指に、彼のものと思われる結婚指輪があった。


 いろんな事を忘れても、あの葬儀の日はなぜか記憶に残っている。いつもニコニコしていて、特に気の利いた言葉をつぶやくでもなかった彼の事を、私は今でも覚えている。 若い彼は私や酒好きのオヤジ上司のよもやま話なんかつまんなかったと思うけど、飲みの誘いを断る事も無かったし、途中で帰る事も無かった、のである。

 購入した喪服は家族の所に保管していた。母の葬儀も、父の葬儀でも着用した。そしていつの間にか、もう喪服を着用する事も無い、という気がしている。

人生には不確実な事が多く発生して、アタフタと日々を過ごしているが、確実な事がひとつある。

            How do you live your life?


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