夜明けの海、静かな公園、師匠を想ふ


夜明けの海辺


静かな公園

Trust The Process

光陰矢の如しの如く時間は過ぎ去り、ずっと気になっていた投稿ができる心持ちになりました。
私は静かな日々を過ごしたいと望みながら、嵐にさらされた小さな葉っぱみたいに、何かに翻弄される日々でございます。この朝のお勤めが「平常」に取れ戻してくれる貴重な時間なのでございます。


 敬愛する我が師も、相変わらずひたむきに修行に励んでおられます。少し前に、「ネパールに行きます。」という連絡を頂きました。師は毎年、ブッダ生誕の地での師の修行のお仲間との結構長い瞑想リトリートを実施されております。 
昨年の後半に会ったのみで、その後はなかなか実際にお目にかかる機会が無いのだが、事あるごとにメッセージ交換で、近況を報告しております。

 今年初め、久しぶりに俗世のデキゴトに大きくネガティブに振れた事態が発生しました。予想もしない自分の失態に、自分の存在意義、正常な意識の場合はそんなもの無い、と断言しているのですが、そんな存在意義の崩壊みたいな感覚があって、ちょっと、いや相当落ち込んだ事がありました。 原因が「わたしの失策」であり、批判を受けた対象が私の能力であった事もあり、緊急事態を回避できるような「適当な言い訳」が見つからなかったのでございます。
毎朝のお勤め、夜明けの極上の時間に自然に囲まれても、久々の「Rejection」の衝撃が癒されずにいたのでございます。

 昨今、自身の身の上に起きた事象に対して他者の意見を求める事も無くなり、誰かに同意して貰って自分を慰めたい、ような衝動も無くなり、目前に流れてきてはどこかに流れ去る様子を眺めていたのですが、今回はそんな客観的態度になる前に「問題」に同化してしまったのでありました。

 「問題」とは多くの場合、問題としてどっからやってきたのではありません。諸般の事情が重なりあって「問題化」した際に、「わたし」に内在する受容体みたいなものが、即座に反応して「大変なことが起きた」として、解決策を探して奔走したり、問題を起因とする炎上の消火活動に躍起になる事によって、「目前に流れてきた」何かに、「わたし」が「問題だ!」という認識、レッテル貼りをするわけです。

そういった道理を理解しているにもかかわらず、久しぶりの失策によるRejectionには対応できずにいたのです。 そこで、師匠に手短に原因、そして今の自分の心境をメッセージで説明すると、有難い事に即座に回答がありました。

‘ Trust the Process’

という短い回答を頂きました。この一文を読んだ瞬間に、私を覆っていた「Rejection」の感情は雲散霧消したのでございます。

師匠の回答はこれだけ、でございました。そして、私が望んでいた、探していたものも、これだけなのでございます。

Trust the Process’

師匠がどんな意図でこの言葉を選んだのかは存しないのですが、わたし的には「道中、山あり谷あり。山賊に襲われる事もありましょう。しかし、そういった全ての事象が全て意味を持ち、目指す到達点に立った際は、喜びの一つとして思い出されるでしょう」という風に理解したのでございます。
私の目指す先は、Rejectionとの闘いではございません。ここで自分の全てを動員して闘う相手では無いです。そんな事を「ああ、そうだった」と思い出させてくれたのでした。


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