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名古屋・石垣・東京、、うどん・コーヒー、、

「若い頃、女の子との3回目のデートで
 今みたいに対面になって うどんをすすって。
 それがちょっと恥ずかしいんですよ。
 いま思い出しました。」


すべての用事を済ませ、名古屋駅に向かっている頃
初老のおじいさんが私に向かってそっと近づき、「ここに行きたいのですが」とスマホの画面を見せてきた。インターネットで簡単に地図と位置情報を検索できる時代。道を聞かれたのは久しぶりだったのでわたしは少し驚いた。

おじいさんのスマホにあったのは、
「味噌煮込みうどん」のお店だった。
わたしのスマホで店名を検索すると、その場所に行くには どうやらタクシーか地下鉄に乗った方が良さそう。
この後の予定も無かったわたしは、地下鉄まで案内しようとしたころ、先ほどのスマホ画面から、店の営業時間が視界に入る。
閉店まであと1時間。
これでは、注文し食べ終えたらすぐにお店を出なくちゃいけない。

おじいさんにそのことを伝えると、
「ホテルの人からこの辺りに店があると言われたんです」
そう言い、フロントスタッフから貰ったらしきプリントアウトされた地図を、鞄から取り出した。
ついでにおじいさんは先ほどから「田舎者」であることを何度か口にしている。
(どこから来たのだろう。)

わたしは“田舎”と“紙の地図”に共感し、このおじいさんを必ず味噌煮込みうどんのお店までお送りすると、決心した。

※余談、学生時代に一時ガラケーに乗り換えたことのあるわたしは、目的地の地図や時刻表、路線など ありとあらゆるものをプリントアウトし持ち運んでいた。もちろん不便極まりなく、地図のgps,電車の乗換検索が日々われらに与えてくれる便益 !! 、そして素晴らしさにはじめて気がついた。



「この近くと言われたんですね、、」
確かにおじいさんの紙の地図を拝見すると、ピンはこの付近を標している。

わたしはスマホの位置情報をオンにし、現在地付近にある「味噌煮込みうどん」を検索。すると、山本屋総本家がヒットした。
ここから徒歩4分。おじいさんに店名を伝えると、「それだ」と言う。
覚えた店名と貰った地図が間違っていたらしいが、そんなことはどうでもいい。

「行きましょう!」
わたしたちはマップに従い歩き始めた。

歩きながらおじいさんは「実は石垣島から来ていて」と言った。
わたしにとっては想像もできないくらい遠い場所。
そして「良かったらうどん、一緒に食べていきませんか?」と誘ってくれた。

今しがた聞いた「石垣島」というフレーズに気を引かれ、
わたしは知らないおじいさんについていくことにした。
いや、どちらかというと、連れていく、、、?付き添う?!

お店に着きわたしたちは王道の「味噌煮込みうどん」を注文。
食事が到着するまで、わたしたちはお互いの近況について報告し合った。
おじいさんには娘・孫がおり、その家族がこの付近に、夫の仕事の都合で引っ越しをしたのだそう。その手伝いと、ついでに孫との観光を満喫したらしく、明日には石垣島へ帰るという。

おじいさんは地元で喫茶店を営まれていることから、自らもあらゆるお店を巡るのが趣味で、本日も既に6,7件はまわり、コーヒーおよそ10杯も飲まれたのだとか。

「最終日の食事に一人じゃなくてよかった」と言うので、わたしも「お供できて光栄です」と後から思えば調子のいいことを言った。

食事が到着するまで、石垣島のこと、おじいさんの喫茶店のことを聞いた。

ちなみにおじいさんは現在70代で
喫茶店だけじゃなく、コーヒー豆の卸売もしているのだそう。40年以上も続くお店は家族経営で、コーヒーはもちろん、ランチには沖縄そばを、夜には屋上でビアガーデンまでと地元の人から愛されているよう。すてきだ。

そして話題はおじいさんが一度就職したという70年代初頭、東京での出来事。


そこで熱々の味噌煮込みうどんがわたしたちの前に運ばれてきたので、蓋を開け、少し冷ましながら話を聞くことに。


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当時おじいさんは、広島に本社と工場がある学生服を主としたアパレル会社に勤めていた。70年代ファッションといえば、ヒッピースタイルが支持を得ていて、若者の間でジーンズがブームに。リーバイスやエドウィンが台頭する中で、おじいさんの会社でもジーンズの製造を手掛けるようになったとか。そしておじいさんは営業担当として東京に赴いた。

しかしブランド力や履き心地の面から他社には対抗できず、、
そしておじいさん自身も都会の空気に馴染めず、友達もできず 。。

当時の若き青年は一人ぼっち、たばこを吸い、真っ暗な喫茶店に入り浸るようになる。
これがおじいさんと喫茶店との出会いだった。



ふー、と息を吹きかけながら わたしはうどんをすする。するとおじいさんが思い出したように
「若い頃、女の子との3回目のデートで 今のように対面になって うどんをすすって。それがちょっと恥ずかしいんですよ。いま思い出しました。」と告げた。
(何を言ってんだ、このじいさんは) と思ったのを我慢し、話の続きを聞いた。

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おじいさんはジーンズの会社に勤めながら、当時通っていた喫茶店で週3日働くようになった。アルバイトなのでもちろん洗い場から。入口からすぐの洗い場は、正面に客席が設けられおり、そこにいつも座る女性がいたのだそう。何回か顔を合わせるうちに知り合いになり、女性は初め2,3人の友人を連れて来ていたが、だんだんと1人でそこに座ることも増えてきたという。それが、3回目のデートでうどんをすすった彼女なのだとか…


当時の東京にはアングラ的なジャズ喫茶が、駅から離れた場所にたくさんあったらしい。

ジャズ喫茶といってもライブハウスではない。店主の趣味でレコードやオーディオ機材を集めてやっているような小さな店。薄暗い照明で、店主は客を放置(してくれる)。当時の青年は、ジャズこそ分からなかったがスピーカーやアンプなどのオーディオ機材や、部屋の造りなどの音環境に関心があった。ひとりぼっちの若き青年はそこで、1時間や2時間入り浸った。彼にとってその喫茶店は、心を落ち着かせることのできる唯一の居場所だったのだ。



「恥ずかしいのですが、もう一杯食べますね。付き合ってもらっていいですか?」

そうわたしに断りを入れ、おじいさんは天ぷらを乗せた味噌煮込みうどんを追加で注文した。
見た目には想像もしていなかった食欲にびっくりしたわたしに、
「お恥ずかしいです」とひっそり言う。
わたしは残り少ない具とスープをちびちび味わいながら、そんなおじいさんに感心していた。

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若き青年が喫茶店によく出入りしていた頃、石垣の実家から、道路に面した場所が空き家になったという連絡が入った。
そのころ既に家族ぐるみで仲良くなった、うどんの彼女に「喫茶店をやりたい、石垣についてきてほしい」と伝えると、あっけなく、断られたのだそう。
「今となっては断った彼女の気持ちがわかる」とおじいさんは言った。あれだけ親しくしていたのに、それっきり二度と会わなくなったらしい。

それでも、石垣に戻って3年して現在の奥様に出会われ、今も一緒に喫茶店を営んでいる。
お店は2人のアルバイトを雇い、キッチンは奥様ひとりで担っている。沖縄の方言で「テーゲー(大雑把) 、だけど頑張り屋」だと、奥様のことも話してくれた。
ついでにお店の名刺と連絡先も教えてくれ、「行き詰まったことがあったら、いつでも石垣へ」と微笑んだ。頼もしい。


それにしても、どうして東京の時のことを話してくれたんだろう。
うどんをすすってフラッシュバック・・・?

おじいさんの話を思い返すと、
喫茶店が好きで、
お店をやる動機になったのも
全部東京での思い出なんだもんな、、と感じる。

都会での居心地の悪さを救い、
癒してくれた喫茶店。

そしてそこに
いまのお店をやる原動力がある。
彼女との悲しい別れもあったけれど、、

そんなことも含めて
ほろ苦くも、ちょっと愛おしい記憶?
なのかなぁ。

おじいさんのなかでは
情熱のコーヒーのような思い出がつまっているのかしら…なんて想像してみる。




いらっしゃいませ。

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