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神はここにいて、どこにもいない

フレンドが「スキリスト」が「ス ”キリスト”」に見える、そういう話をしたときに、わたしは神は遍在すると思ったものだ。

神は遍在ubiquitousする。あらゆるところにubique存在する。「天をも地をも」神は「満たしている」(エレミヤ書23:24)。

スマートフォンに視線を落とすわれわれは、あらゆるところでubiqueネットワークに接続されている。しかし、そのネットワークの遍在性ユビキタスを、我々は意識しない。

スマートフォンをのぞきこむと、われわれはソーシャル・ネットワークにつながれていることに気づく。「我々」は遍在ubiquitousしている。

ソーシャル・ネットワークの中でわれわれは、「我々」を知覚する。「我々」の行動を知覚する。「我々」の理想を知覚する。「我々」の憎悪を知覚する。

「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである」(マタイ伝5:3)にもかかわらず、われわれは、神を知覚することはない。神はどこにもいない。

「与えられる」ために、「求め」る者が遍在するソーシャル・ネットワークに、救いはある。ここにいるsum。神は遍在ubiquitousするからだ。

われわれがみいだした救い、、とは、█████████████である。


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