届け純粋な 2024年9月2日

・こっ、これで勝ったとおもうなよ~~~!(シャミ子)

・きらら作品をきららたらしめている要素を自分の追っていた作品で考えたとき、大方”部活”という枠で囲われていたことを思い出した。あとシェアハウス、ルームメイトとか。ふわっとつながりを持つきっかけとして都合が良いからね…..。

・逆にガチガチの血縁系とかは最近のアニメ化作品では見たことないかも。城下町のダンデライオンあたりの時代で時が止まっている。ハニカム~♪


・ネットで何かの情報に対して発言やら書き込みをするとき、最近は、情報を自分なりにかみ砕いて飲み込むことができても、”分かった気になる”ことを忌避しがちだな。Twitterの感情と謀略が入り混じるカオスな空間から、ちゃんとした記事、個人日記を見る時まで、全部。

・なんか、真意やら本当に伝えたいニュアンスって、人によっては言葉で表現するタイミングでかなり削られているような気がしてくるんだよな。言葉のチョイスが上手な人や、語彙の引き出しが多い人は数値が高くなる、みたいな。

・そもそも同じ意味で同じ言葉を使っているとも限らない。人生のルートの通り方で、その人が使う言葉は何パターンにも分岐する。たまたまその集合が多かったものが辞書に載っていたり、世論というだけなのかもしれない。

・こういうスケールまで広げていくと本当に果てしない話になって、正直キリが無い。でも、無限の想像があるものは暇な時に考える対象としてとっても面白いから、日記という場なのでやります。脳内直結キーボードかたかた、たのしいね。

・じゃあ私たちが発する言葉の正解ってなんだー、本当ってなんだー、言論統制だー、みたいにもなったりする。逆に、正解や本当ってないからこそ常識として出力されたことを飲み込んで共通として扱う必要があるなぁと。そうじゃないと意思疎通なんて到底できない。乗り越えるべき壁がありすぎる。同じ言語なのにコミュニケーションができない事態が発生する。そう考えると、言葉と言葉の意味をある程度形作った人、すごいな…..。

・私も、多少こうやって文章化することに慣れてきてやっと、伝えたいことの80%くらいは出力できていると思うけど、喋りになると50%くらいだと思う。さらに私の場合、出力したものは出力した瞬間過去になって、自分の一部とは切り離される感覚さえある。そういう人も、世界にはもう少しくらいはいるんじゃないかな。

(そういえば、”言葉は考えていることのほんのひとかけら”みたいなの、この前やったゲームで重要フレーズとして置いてあったな….)

・だから、”○○さんは△△って言ってた!”に、”そんなこと言ってたっけ?”と、そんなとぼけ方あるかぁ!な感覚もちょっと分かってしまう節がある。

・本人ですらこうなってしまうなら、その人の心を外部から一つの形に決定することって、やっぱり注意した方が良い気がしてくるな。だからこそ逆に、責任が発生する場所では慎重になり得だな。

・そうやって考えると、口語を介しての対面のコミュニケーション、本当にハードだ。考えれば考えるほど言葉すくなにした方が良いのではとなってしまう。意志を伝えるという目的に置いて、言葉を交える間隔が短すぎる。そりゃ思ってもないことを言ってしまうわけだ。飲みの席ならなおのこと。

・私がノクチルみたいな”話さなくてもある程度分かってしまう”みたいな、ある意味で”透明”なコミュニケーションに魅力を感じるのは、私の求めるコミュニケーション像の完成系、理想的すぎる故かもしれないね。


・まぁここまで書いておいて、実際には「あっ、あぅ…..」みたいになるのがオチなんですけどね!!!!!まずは対面力を鍛えましょう(たずな)。


~~~~~↑↑↑ここまですべて妄想↑↑↑~~~~~


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