誰もが全力を尽くしている。
全ての人が、全力を尽くしている。
どんな時でも。
そんなことを言うと、
「あの人は、やる気が無い。全力を尽くしているようには見えない。」
「自分は怠惰で、全力を尽くしていない。」
そう反論されるかもしれない。
それでも、誰もが全力で生きている。
どんな時でも、全力を尽くしている。
自分の中で、何故か歯車が噛み合わなくて、
やる事やる事が裏目に出てしまう。
そんな戸惑いを感じた事は無いだろうか?
やる気が無いとか、逃げ腰とか、
そんな風に見られている人、
実際にそう思われる行動を取ってしまっている人。
そんな人達の多くの人が、そんな自分を責めていたりする。
「どうして自分は、ダメなんだ。」
「何故、自分には出来ないんだ。」と。
自分がとってしまった行動を後悔して、
でも変えることが出来なくて、
内心では、もがいて、足掻いている。
前向きな行動が取れない時、建設的な考えができない時、
メンタルブロックが邪魔をしている。
それは、
幼い頃に知らない内に受け入れてしまった価値観や偏見。
それらを繰り返す事で、強固になり確信へと変わっていく。
体験からくる狭い視点での、勝手な思い込み。
「どうせ〜〜」と言った思い込みは、思考や行動に影響を与える。
そして、思い込みが正しい事を証明するような現実を呼び寄せる。
または、学び損ねた事。
例えば、自分にとって面白くない事が起こった時、
スグに癇癪を起こしたり、怒ったり、怒鳴ったり。
こんな事を繰り返す人が幸せになれるだろうか?
我慢するとか、相手の事も思いやるとか、
自分の思いを怒り以外で叶える方法とか。
学んでいないから、取り組んで来なかったから、
怒りで対応しようとする。
一時的には、自分の思いは叶ったように見えるが、
長い目で見た時、本当に大切な思いは
遠ざかって行くのは感じている。
でも、怒りを抑えられない。学んでいないから。
多くの育った環境の中で繰り返された、体験と感情。
それらを繰り返す事で、心を束縛することになる。
心の束縛とは次のようなもの、諦め、習慣、自動反応とか、
気づいていても変えたいと思っても、
本人の意思では、変えることは難しい状態になっている。
表面的に見える出来事、行動や言葉からは、
全力を尽くしているとは、思えないかもしれない。
全力を尽くしているようには、見えないかもしれない。
でもその人中では、
心の奥で全力で踠き足掻いて苦しんでいる。
誰もが全力を尽くして…。
何故「誰もが全力を尽くしている。」と考えるのか、
それは、その人を受け入れられるようになるから。
「あいつは、やる気が無い」と思っていると、
怒りを感じたり、諦めたり、冷たい態度に繋がらないだろうか?でも「この人も心中では、足掻いて悩んでいるのかも。」そう思えれば、
優しい気持ちでその人に接せられないだろうか?
ほんの少しでも、そんな人たちに手を差し伸べられると素敵だなと思う。
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