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【真実】冷凍品が手抜きとかそういう次元の話はしない
聞いて欲しい。
私の作るカレーが美味いのだ。
もともと私は結構家事をする。そして料理は好きな方だ。その昔バイト先の居酒屋で包丁を握った経験がその後の人生で活きている。
社会人になって様々な研修を受けたりしたが結局のところ、バイト先で「おまえホールじゃなくて、中な。」と言われ嫌々キャベツを切り、卵を巻き、てんぷらを揚げ、刺身を盛ったあの日々が活きている。人生とはそんなもんだ。
近所の親父を集めてキャベツの千切り対決をしたら、少なくとも決勝トーナメントに残る自信はある。優勝とは言わない。プロがいたら勝てないからだ。こんな冷静さも保ちながら、分析したうえで自負する。私は料理がそこそこ出来る。
そんな私が、ステイホームの自粛期間中に積極的に料理をするようになり、そして、何度も言うが、私が作るカレーが美味いのだ。
■冷凍品が手抜きだというやつは全員〇ね
おっと済まない。少々過激になってしまった。
ちょっと前にこんな論争があったそうだ。妻の出す冷凍餃子に夫が「手抜きだ」と言って揉めているらしい。
妻の出す冷凍品に手抜きだという前に、まず厨房に立って料理と向き合ってみたらどうだ、と言いたい。
うちは共働きではないとか、相手は主婦だからちゃんと料理するべきとか、そんな前提条件は関係ない。そもそも俺たちは人間で、料理とは人間が食うものだ。
料理と向き合えば、男とか女とかいう立場の違いによる論争が全くの的外れだということが分かるだろう。料理とは全人類が向き合うべき生産活動であり、ある日それがたまたま冷凍品であったに過ぎない。
何を言っているかわからないだろう?私もわからなくなってきた。
まぁ気を取り直してカレーの話をしたいと思う。
■人類に作られすぎてきたカレー
カレーはこれまでとても多くの人たちが作ってきた。多くの人たちにこねくり回されると、何か特別なことをしたくなり、余計な尾ひれがついてくる。
コーヒーを入れるとコクが出るとか、味噌を隠し味に入れると良いとか、あの類だ。
はっきり言いたい。これらのテクニックを使ってこねくり回す前にもっとやることがある。美味いカレーを作るコツはズバリ、「下味」と「灰汁取り」だ。
灰汁も取らずにコーヒーを入れる。目ヤニを取らず化粧をするようなもんだ。コクが出る以前にそれはとても不細工だ。
私が美味いカレーを作るときにすることは2つ。根菜にほんのり下味をつけるために別で塩茹ですること。そして煮込む際に丁寧に灰汁を取ること。
下味は野菜本来のうまみを引き出し、灰汁取りは香辛料本来のコクを引き立たせる。
あとはカレールーの包装箱に書かれている通りに忠実に作る。これだけだ。これだけで、劇的にカレーは美味くなる。コクだってしっかり出ちゃう。
冷凍餃子を手抜きだと言ってるような奴はカレーを煮込みながら灰汁を取るがいい。
灰汁を取っていると澄み渡ってくるスープに心が洗われてくる。そして「あぁ、今日も平和な一日をありがとう」と思わず言ってしまう。灰汁取りには世界平和を願う効力がある。もはや晩飯が冷凍餃子かどうかなんてどうだっていい。灰汁を取っていれば世界も食卓も平和だ。
つまりのところ、冷凍餃子にも丁寧な仕込み過程が施されている。それを忠実に調理し、皿に盛ったのならば、それもまた美味くないわけがない。
手抜きとは、品質を損なう行為だ。誰かが誰かのために丁寧な仕事をしたのならばそれでいいじゃないか。
「一皿290円なら売れるだろうか」
と、妻に聞いてみた。売れるかもしれないが原価計算はしていない。
聞いてはみたものの結局のところ私はこれを商売にしたいのではなく、うまいカレーを作って世界平和を望んでいるに過ぎない。世界平和を望みながらカレーを作る自分に酔っているだけとも言える。
それでいい。それで世界と食卓が平和なら。
何度も言う、私の作るカレーは今日も美味い。
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