いもフライ

小学四年生から、珠算を習い始めた。遅咲きと言われる年齢でのスタートだけに6級から始まった認定検定はサクサクと3級まで合格した。だが、その後入ってくる伝票算で苦戦、結局2級を取ることなく、小学校卒業と同時に塾はやめてしまった。

元々塾に行きたいと自ら願い出た。理由は極めて不純、同級生の母親がやっていた珠算塾、早く計算が解けると二階にあるファミリーコンピューター(ファミコン)で遊ぶことが出来た。自分の家でもテレビゲームを買ってもらっていたがセガSG1000Ⅱ(ツー)だった。クリスマスでファミコンが売り切れ、買えたのがセガであった。その残酷なまでの性能差にファミコンに夢中になり、その為に塾に通いたいと言い出したこと、セガの性能の低さに「こんなものを買って」と悪態をつき母を哀しませたこと、私にとっては一生背負っていかねばならない十字架である。

ところで、

珠算における認定試験は年に二度ほどあった。平成の大合併などと言う歴史を踏みにじるような滑稽ネーミング(市町村名における悪魔ちゃん事件と呼んでいる)になる前の、水海道市にある小学校で試験は行われていた。試験自体は勿論嫌いだったが、その帰り道の食事が、何よりの楽しみとなっていた。

母のドライヴによりB310型ダットサンサニー・クーペに弟二人(父はパチンコ)と共に来水し、マスダの駐車場に停め、テクテクと路地を歩くとその店があった。打ちっぱなしコンクリートの床に細い脚のテーブルと椅子。立ち上るソースの旨そうな香り。たしか「いのせ」という名前だったと思う。

お好み焼きと焼きそばの店だった。勿論お好み焼きも旨かったが、ずっと記憶に残っているのは「いもフライ」だった。ジャガイモをブツ切りにして衣を付けて揚げ、三個くらい串に刺したシンプルなそれ。ウスターソースをドボドボとかけて、熱々をハフハフと頬張る。旨い~いもフライ、旨い~。今考えればお好み焼きの方が旨いはずなのに、記憶に残っているのは全然いもフライ。

最近(でもないが)のB級グルメブームによれば、佐野あたりの名物らしいいもフライ。
だが私にとっては、誰が何と言おうと、いもフライと言えば、いのせ、なのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?