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ウーフと久しぶりに再会して

思いがけず「くまの子ウーフ」と再会しました。

小学生の頃、何度も何度も読んでいたのに、その存在もお話も、すっかりと忘れてしまっていました。私が買ったのか、親が買ってくれたのかわからないが、我が家の本棚には、漫画に挟まれて、くまの子ウーフの童話集が一冊ありました。
表紙のウーフの何とも言えない表情が好きでした。

小学生だった私は、ウーフの食事シーンが好きでした。
文字だけなのに、つやつやのはちみつを想像して、うっとりした。
「おさじでたまごのきみをすくいました。」というシーンを見て、なんて美味しそうな食べ方だと思い、家で目玉焼きの黄身をスプーンですくって、とろりと流れでた黄身を食べたことを思い出します。

その当時、感じていた気持ちを思い出して、懐かしい気持ちになると同時に、新しい発見もありました。

小学生の私はウーフでした。
親が用意してくれたご飯を当たり前のように食べ、お腹がいっぱいになれば好きなところへ遊びに行く。
思ったことを言葉に出して、わからないことはお父さんやお母さんに聞けば、すぐに答えてくれた。
まさに、育てられていた。

今、大人になって読むと、私はウーフのお母さんでした。
ウーフのお母さんのように卵を割るし、息子の突拍子もない話にも笑って「そうだねえ。」なんて言ってあげる。ウーフのお母さんを、とても優しいと思っていたけれど、とても普通なことのように思えたのです。

ウーフがツネタにからかわれた時、くそうと思ったことは、今では応援する気持ちに。
ウーフがけがをした時は、痛いようというよりは、大丈夫かなという心配する気持ちになりました。

まるでウーフを見守る親のように感じている自分がいました。

だから、最後のウーフの言葉
「ぼくね、なんでできてるかっていえばね」
「ぼくでできてるの。ウーフは、ウーフでできてるの」
という言葉に拍手を送りたい。もし自分の息子たちがそう言ってくれたなら、すごく嬉しいと思う。
そうなんだ。自分は自分なんだよ。

このウーフの素直な言葉は、大人の私たちもはっとさせられるのではないかと思う。
私は、私でできている。

当たり前なようで、普段は意識しない。そんな大切な言葉に、私は小学生の時に出会っていたんだなと思う。
その当時は、ウーフってよく考えるんだなと感心していた。
自問自答することだったり、自分で自分を励ましたり、ひとりで散歩したり、ご機嫌だなとも思っていた。

大人になり、誰かと何かを比べてしまったり。
出来ないことを数えてしまったり。
何かをなさないといけないと思ってしまったり。
普通に生きているだけで、外へ外へと目が向いてしまう。

そこで、落ち込むんじゃなくて、自分で考える。自分に問う。
自分で自分を励ましてあげる。
自分を大切にして、自分で答えを出す。
だって、自分は自分以外になれないから。

つい最近、私はそれらが少し出来るようになってきたと思う。

でも、ウーフはあんな小さなころからわかっていたんだね。
本当のことを、まっすぐに伝えてくれていたんだね。


小さなころに土に埋めたタイムカプセルみたいに、自分に必要な言葉を、受け取ったような気持ちになりました。
大きくなって、ウーフと再会できてよかったと思う。



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