コテンラジオ#233 を聞いて
2022年1月15日
コテンラジオで資本主義の回が始まった。
とても興味深いテーマで、これからの配信が楽しみ。
#233では、カール・ポランニーの「悪魔の挽臼」という考え方を紹介していた。
資本主義社会では、自由経済でなんでもお金にすることができる。
自分の時間を粉々にして、売ってしまうこともできる。
それは、人間の生活基盤を壊してしまう危険もある。
自分が持っている24時間を全て売ってしまったら、人間は死ぬ。
その考えを聞き、ここ1年の自分の変化と密接に関わっていると感じた。
1年前までは、1日8時間×5日週働いて、疲れてストレスが溜まり、そのストレスを発散するために買い物したり、テーマパーク遊びに行ったり、アイドルのライブ行ったりが当たり前だと思っていた。
「生きるために働いて、疲れるからそれを癒す」のは当たり前だと。
しかし、ふと、順番が逆なんじゃないかということに気がついた。
「癒すために疲れて、えええ疲れるために働いている」のではないか、と。
資本主義社会では、なるべく利益を上げることがよしとされている。
そのためにはどれだけ消費させるかが重大な問題だ。
不要な消費を生み出せば生み出すほど、利益が上がる。
働いて疲れる人が増えれば増えるだけ、それを癒そうと消費が増える。
消費が増えれば仕事も増える。もっと働いて、もっと疲れる。
私もその社会の中に組み込まれていたことに気がつき、愕然とした。
疲れをとるためにお金を稼いでいるんだが、実はその労働こそが疲れを生んでいるという、わけわからんことになっとる。
それって人生めっちゃ浪費してんじゃん、この不毛な循環から一体何が生まれるってんだ。
そこで、生きるコストを下げることにした。
なるべく疲れることはしない。
嫌なことしてストレス溜めない。
生活のために労働はするが、出費を減らしてそんなに稼がなくても大丈夫なようにする。
なるべく勤務時間や通勤時間が短い仕事、
頑張らなきゃいけないような仕事じゃなくて、自分が興味持って、楽にできるような仕事を選ぶ。
そして、やりたいことをやる。
時間は浪費するのではなく、やりたいことをやるために使う。
やりたいことで生活できれば最高だが、そこを追求しすぎるのは今の私にとっては「頑張る」ことになる。
生活する=お金を稼ぐ
お金を稼ぐことを目的にすると、「やりたいこと」ではなく「義務」になってしまうのが嫌。
それならなるべく負担にならないことを労働する方が、今の私には気楽でいい。
夏目漱石の『吾輩は猫である』にこんな言葉が出てきた。
「千金の春宵(しゅんしょう)」
注釈によると「大金にもかえられない春の宵」という意味だそう。
お金なんかなくても、世界は豊かで美しい。
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